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幕末を生きた有名人は様々な人によって語られるが、東京の四ツ谷に高須四兄弟がいる。私もつい最近まで知らないでいたが、四ツ谷荒木町あたりに尾張藩の分家高須藩四ツ谷邸があった。そして幕末に藩主松平義建の息子として10男9女が誕生するが、その中に高須四兄弟と呼ばれている四人がいる。
この四人は、徳川慶勝(慶喜の時代で将軍補翼)、一橋茂栄(慶喜の後継として一橋家を継ぐ)、松平容保(京都守護職、会津藩主)、松平定敬(京都所司代、桑名藩主)であり、幕末に徳川幕府の主要人物として鳥羽伏見の戦いを始め、戊辰戦争の時代を、それぞれ生き抜いた人たちである。
そして、激動の時を越え明治十年に、四人が銀座で再会し慶勝が写真を趣味にしていたこともあるのか、記念写真を撮った。その写真は平成26年の新宿区歴史博物館の特別展で知ったのだが、とても印象的であった。あの異常な時代を、暗殺もされず戦争で死ぬこともなく生き残こり兄弟で仲良く写真を撮る。よく、生き残ったという感慨が伝わってくる。
それは、いったい何故なのだろう。これについては、18日に新宿四ツ谷の勉強会でも取り上げたいと思うが、父、松平義建が黒船が来る10年前に江戸から木曽川の近くの高須藩に始めて国いりしたときに次のような文章が残されている。
「神のミめくミ(御恵み)人々のまこころ(真心)と時にあい折にあいたるうれしミこそなほ(尚)うれしともうれしけれ」(平成26年特別展 高須四兄弟 新宿歴史博物館 平成26年9月発行 69ページ)
いろいろなことが、この短い文章から思いめぐらせることができるが、その一つは、自分の生育史、祖先や郷土への愛が胸をうつことではないだろうか。そして、これが子供たちにも伝わっていくのではないだろうか。
写真は、当時の四ツ谷邸が偲ばれる、津の守弁財天。
生育史を楽しむ 9/10