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生育史を受け入れると・・・(生育史を楽しむ 10/10)

2017-02-15 | 第四章「愛とゆるし」

 高須四兄弟も、同じ四ツ谷で育ったとはいえ、幕末では各々の立場を背負い敵対したこともあったように思う。江戸城開城の前には武闘派の若い松平容保や松平定敬は、兄たちから登城禁止の処分をうけることも。

 それが、十年後に兄弟一緒に記念写真を撮る仲になる。丁度そのころ西南の役があり、なんと西郷隆盛は朝敵として亡くなる。政治の世界の難しさを想いつつも、兄弟を受容し、おそらく自分の生育史も受容しているだろう高須四兄弟の人生を祝福したくなった。

 さて、自分の生育史は好きか嫌いか?そんな普通では問いかけられない問いかけを受けたら、どのように答えられるだろうか。

 この問いかけは、深い意味で人間観と密接に絡まっていると思う。人間は身体と生育史を伴う、ここまでは恐らく殆どの人が納得するだろう。そして、人には魂とか霊魂があると考える人も多い。WHOで健康の定義を再検討したことがあるようだ。その時に魂という言葉を入れるかどうかがあったようだ(結果として健康の定義が変わらず、魂を認めるのはまだ大勢でないかもしれない)。

 日本人は縄文時代からの伝統もあり、特定の宗教を信じる人は少なくても、魂の存在を信じる人は多いようだ。そして、亡くなった人に手を合わせるのが普通だ。すると、基本的には人間は身体と成育史と手を合わせる魂の複合体という人間観がスタンダードなのだろう。

 自分や他者を信じることは結構難しいかもしれない。しかし、人には手を合わせるべき魂があると信じると、何かが変わってくるかもしれない。そして、その変化の延長に生育史をどう受け入れるかのヒントがあるように思われる。

生育史を楽しむ 10/10

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