美しいものを見ることができるというのは凄いことだと最近実感している。
素晴らしい夕焼けを見たり、味のある草木や景色を見たりすると、それと同じような美しいもの(自然を支配する原理原則は変わらないので)を、昔の人も同じように感動したと想像するからかもしれない。時間を越える美の存在と言ったらよいのだろうか。
先日西伊豆をドライブし、駿河湾の向こうに見える素晴らしい富士山を眺めた。夕方、沼津方面に国道17号線で海岸沿いを通っていたら、煌めきの丘というところがありたまたま車をとめた。
既に暗くなってきたころであったが、駿河湾を一望できる高台で、近くに井田松江(すんごう)古墳があった。誰も居ないその古墳を一人で見物したが、円墳で横穴式石室を見ることができた。
古墳時代後期の7,8世紀のころのものであるそうで、丁度読んでいた、平安時代の坂上田村麻呂やアテルイの時代と重なる。
素晴らしい景色が一望できるが、大規模な墳墓を作るには多大な労力がかかりそうな場所で、地方の有力な豪族のものなのだろう。そして、こうしたところに墳墓を作った昔の人の、優しい心根に触れたようで熱い感動を覚えた。
時間というのは、様々なものを運んでくるが、一方、今も昔も、美しいものがあり、そして美しいと感じる人が居る。そんな当たり前のことに最近感動してしまう。
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