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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の原形は人それぞれ!(異文化と愛 ② 1/10)

2014-10-17 | 第九章「愛」

 マッサンでは、エリーとのやりとりが国際結婚ということもあり、愛し愛されの流儀の違いから、ちょっとした誤解が生じる場面が結構でてくる。そこが面白いのだが、この愛し愛されの流儀の違いは、実は人それぞれ生育史によりかなり違っていて、誰でも当てはまるところがありそうだ。それを私が学んだのは「生き甲斐の心理学」で私の人生後半のことであったが、とても大切な智恵になっている。

 例えばハグする表現が愛の流儀である人(例えばエリー)が、微妙な言葉かけだけを愛の流儀とする人(例えばマッサン)の愛に気が付かないことは簡単に想像できる。本当は愛されているのに愛の孤独に陥る。自分なりに愛の表現をしているはずなのに伝わらないで自己嫌悪に陥ることも。これは、夫婦や恋人でも、親子や仕事での関係など、なんでも当てはまるように思う。孤独や自己嫌悪の前に、愛の流儀=愛の原型の違いが原因かな?と思い出せば随分楽になる。

 さて、今縄文語の学説を「縄文語の発見」(小泉保著)で勉強しているが、縄文語も、いろいろ方言がでてきたようだ。縄文時代は一万年くらい続き、その後弥生時代に入ると、北九州方面から中国語系語彙が流入し裏日本縄文語、九州縄文語、琉球縄文語、そして弥生語に別れていくようだ。勿論、縄文時代でも縄文土器が地域により違いがあるように、方言もきっとあっただろう。まあ、同じ日本の中でも言語でさえ微妙に違い、マッサンとエリーのように、愛の流儀も結構違い混乱したことも。

 多摩ニュータウンNo72遺跡では普通は地域の土器が見つかるのだが、東海や東北の土器もまれに見つかっていて、多摩の住人の外に、奥さんが東海や東北からやって来ていたかもしれないと類推されている。そして、そこで祖先も同じように苦労したかも。

異文化と愛 ② 1/10

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