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あなたは東国派、それとも西国派?(歴史から自分を知る 2/10)

2013-05-10 | 第二章「五感と体感」

 東京生まれの私が始めて関西で一人暮らしを始めた20歳代。

 初めて、お蕎麦屋さんに行き力そばを頼んだ。そしたら、何とカレーそばが出てきた。関西と関東では、たぬき、きつねと言っても違うものを指すということを知っていたので、考え込んでしまった・・・。そして、関西ではカレーそばのことを言うのかと半分納得しつつ食べようとしたとき。店員が慌てて取り替えにやってきた。

 関東と関西。結構違う。方言や商習慣などは別格としても、エスカレータでの立ち止まる側も、色の好みも・・・

 私は東京で育ったが、4人の祖父母は、東京1、京都1、広島2と分散されている。隣の家に住んでいた母方の祖父母は、東男と京女でもあった。そんな中に育った私は、東国にも西国にも縁が深い。ただ、どっちと言われると判らない(勿論男系の祖先は関西系だが)。

 さて、今は6月に所属しているNPOで奈良に行くこともあり、いろいろ歴史の勉強をしている。今度の奈良旅行の目玉は持統天皇の足跡である。そして、吉野の宮滝遺跡や役小角の金峯山まで足を運ぶ予定である。

 持統天皇は、日本の原型ができる7-8世紀の陰の実力者で、天武天皇と壬申の乱を。そして天武天皇後の皇位継承の修羅場を不比等と生き抜き、藤原氏1000年につなげていく。その中で、今度行く吉野は忘れえぬ場所である。

 壬申の乱では東国が勝利の行方を決めたが、吉野が重要な意味を持つようだ。吉野は東国との政治的な架け橋だけでなく、役小角との繋がりや伊勢神宮(今年は式年遷宮の年だが、スタートは天武・持統天皇の治世だ)といった心の世界とも関係がある。役小角は修験道の開祖であり、持統天皇の同時代人でもある。

 持統天皇は蘇我氏の血も流れている。母は蘇我倉山田石川麻呂の子供。蘇我氏の本宗家は持統天皇が生まれた年に乙巳の変で滅びてしまうが、それでも蘇我氏の影響力は当時は絶大だ。

 そして、入鹿の暗殺は有名であるが、この同じ年に亡くなった蘇我蝦夷(入鹿の父)の名前(本当は毛人との説もある)からも推察できるが、蘇我氏と東国に深い関係があったようだ。

 日本における東国。当時輸入された中華思想からすると東国は辺境である。しかし、日本が成立していくなかで政治的にも文化的にも大きな影響を与えた東国。私が今住んでいる東国。自分の東国的部分。それは何なんだろうか。

 歴史から自分を知る 2/10

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