マッサンも竹原の暮らしに戻り、エリーさんは小姑や姑など複雑な人間関係の中で悪戦苦闘のようだ。しかし、何か心が安定していているようで頼もしい。小姑のきついアドバイスにも、ちょっとした感謝の念を表すなど余裕を感じてしまう。
突然の悩みが舞い降りてきたり、新しい環境に入ったりすると、誰でもストレス(理想と現実のギャップ)が生じて、暗い感情が渦巻くものだ。しかし、そんな時でも、感謝の念というか余裕をもっていると、ストレスが解消しやすい。生き甲斐の心理学で学んだが、臨床心理学のロジャースの理論にも、第1領域を大事にすることの大切さが言われている。
そういえば、今日のマッサンでは酒造りの『もとすり歌』が歌われた。私の祖父や曽祖父も酒造りに関わったので、あんな歌を歌ったかもしれないと聞き惚れてしまった。その労働歌も、どこかに感謝の念があるよにも。
さて、話は変わるが、昨日は富士塚のことをあれこれ考えた。NPOの同志のKさんが鳩森八幡神社の千駄ヶ谷富士に行かれたようで富士塚のことをいろいろ教えてくれたからだ。私も10月の勉強会の時に文化センターの近くで富士塚を観ていて、何か火がついた感じになってしまった。
富士塚は、江戸時代ぐらいから盛んになったそうだ。一般の庶民が、実際の溶岩などを使って小高い丘や古墳など(富士山がよく観える)に富士山を模した塚をつくる。実際の富士山登頂と違い、日常の中で富士登山の霊験にあずかれるようにする、心優しく楽しいアイデアだ。地域の老若男女が地元の疑似富士山に集まる。お金や時間、体力のない人も地域の富士山には登れる。実際に富士山には登れなくても幸せが訪れる。何とも素敵な智恵だ。
この富士塚、都内に300カ所とも1000カ所あるとも言われている。多摩のほうには、富士塚というようなものは知らないが、浅間山(府中)とか、日野の七つ塚古墳、堀之内に近い愛宕神社のそばの丘などに行くと、富士山が美しく見え富士塚と同じような効果があるように思えてならない(当然神社はある)。
富士山は、縄文以前から存在し、私たちだけでなく祖先たちもいろいろな想いで富士山を眺めただろう。神話に出てくるコノハナサクヤヒメは火や水との関わりが強い女神であるが(女神というのも縄文的)、豊作や安産などの御利益を祈る対象になっているようだ。
蛇足だが、来年の1月10日(土)に四ツ谷で勉強会を開催したいと昨日、考えた。正月に生き甲斐の心理学を勉強し、富士塚を登山するのは何か楽しそうだ・・・
魂で感じる ③ 9/10