8月になって、お盆の季節になると、私の家では妻が実家に長期帰省したりで妻と別れて一人で暮らしたりすることが多い。自分で家庭内リフレッシュ休暇と名ずけているが、その休暇で、本当に家庭がリフレッシュするのだ。
休暇をお互いにとって、リフレッシュするという意味もあるが、最近ちょっと違うことがある。
家事のことは妻に全て任せていたのはサラリーマン時代であったが。8年前にやめてから介護・福祉業界で仕事をしたこともあり、ホームヘルパー1級の資格をとったり、料理の講習会にでたこともあった。
そんなことから、家事のやりかたも自分流が芽生え(知覚が変わり)、このリフレッシュ休暇中に、気になっていたことをそっと断行するようになった(昨年は、台所の断捨離をしたり・・・)。まあ、リフレッシュ休暇の後は、ちょっと小競り合いがあるが、だいたいは妻も笑って許してくれる(平謝りのことも)。
行動とは(今回は「そっと断行・・・」)、生き甲斐の心理学を学ぶと、目的指向的な企てであることを学んでいく。自分の要求から始まる、私のオニのいない間の洗濯的行動で、後日、私の想いや要求が白日のもとにさらけ出される。もっともな妻の考えや想いを聴き、いろいろ人は違うということを新ためて学ぶ(深層心理学では、自分意外の他人は驚きの対象といわれる。それを復習するのだろう)。
そして何かリフレッシュされるのである。
さて、今、新平家物語を読んでいるが、家庭というものは何かということも、実に考えさせられてしまう。清盛の父、忠盛と母の祇園女御の関係。成育史がかなり違う二人の関係はいったい何か。そして、清盛の育った家庭は、父母の離縁で混乱するが、昨日の江口の里での話もあるように、家庭は決して崩壊してはいなかったのだろう。違いをどう受容していくか、キャッチしにくい相手の愛をどうキャッチするか。昔の話ではあるが、なかなか現代的な話である。
旅 5/10