私は、あっちこっちに興味が移りやすいたちで、新平家物語のような16巻の長編をを読むにも、一挙にという訳にはいかないようだ。橋本治さんの本を読んだり、はてまたヨブ記を読み返したり、万葉集や額田王関係の本がとても気になったりである。
やっと、昨晩から保元・平治のころの、清盛が熊野詣でをするため、京都で出て、大阪の江口の里で遊女の館に逗留しているところを読み、一挙に新平家物語に関心が戻ってきた。
熊野詣では当時、京都から大阪に出て、そこから船旅で風光明媚な和歌浦に行きそれから陸路で熊野にというルートも辿ったようだ。そして、私も、以前江口の里の近く?の吹田に住んでいたり、若いころビジネスで和歌山に行く途中通った和歌浦に愛着を覚えていた。さらに、熊野にも8年前に行ったため、とても臨場感が持てるのだ。
旅は、一人旅をしないでも、道中でトラブルに遭遇して助けられたり・・・結構、人の情けに触れる機会が多い。自分の青春時代を思い出すと、本当にしみじみと思う。そして、純粋に人に感謝する感情を味わったり。
さて、生き甲斐の心理学を学ぶと、ストレス曲線(暗い感情)を解消し明るい感情に変えていくポイントの一つに、現状への感謝の気持ちが大切にされる。理想と現実のギャップに悲観するだけでなく、そんな現実も見方一つで感謝になるということだ。
実際、清盛は旅の途中の江口の里で、自分の母、袈裟御前と和解する。父・忠盛と長年結婚しながら、最後には離縁し、清盛等の子供を捨てていく母との和解である。実際の小説では、感謝という言葉はでてこないが、何となく感じてしまう。そして、清盛の母に対する考えが、少しずつ、そして最後には劇的に変化する(吉川英治風にいうと野生の女性としての母・・・の受容かな?)。
さあ、今日は午後仕事ではあるが、新平家物語を読むぞ!
旅 4/10