このところ、よく詩人や詩について考えることが多い。宮澤賢治だったり、堀辰雄の好きな詩人だったり。
そしてフェースブックの知人から教えていただいた、ノーベル賞授賞者で詩人のオクタビオ・パスの「弓と竪琴」(岩波文庫)に興味を持ち、昨日入手することができた。
その序は素晴らしい。「ポエジーは認識、救済、力、放棄である。世界を変えうる作用としての詩的行為は、本質的に革命的なものであり、また、精神的運動なるがゆえに内的開放の一方法でもある。ポエジーはこの世界を啓示し、さらにもうひとつの世界を創造する。」
さて、7-8世紀の日本。内乱(壬申の乱など)を克服し律令が整えられ官僚制度が確立し、伊勢神宮の式年遷宮が始まり、日本という呼称が対外的にも使われはじめる時期。この時期に記紀と共に萬葉集が生まれる。その意味を考えると、オクタビオ・パスの序文がとても響く。
奈良の旅を思索するとき、様々な歴史家の本や小説なども読むが、やはり何とも味わいが深いのは、どこまで深く理解しているかは別にして、萬葉集だと思う。
特に巻1、巻2・・は6-7世紀の政権担当者等の歌が沢山収録されている。私は持統天皇の足跡に興味が特にあるのだが、冒頭の雄略天皇は別として、それ以外は持統天皇の祖父とか父とか・・・そんな身近な身内の歌ばかりのようだ。その中には、政治的に勝ち残った人もいれば悲運な運命を遂げる人もいる。
持統天皇の歌は沢山は残されていないが、すべて心に残る。
代表的な歌はご存知の。「春過ぎて夏来きたるらし白たへの衣ころも乾ほしたり天あめの香具山」
そして、当時の道教の思想(吉野裕子さんの本などから)から読みといていったりすると、いろいろなことが多層的に響いてくる。
持統天皇の生育史は唖然とするような悲惨なものである。父が祖父を殺害し、それで狂う母。姉と一緒に婿入りした天武天皇は沢山の妻がいる。外交・内政謀略の蠢く政治の世界の真っ只中で、殺さなければ殺されるという状況の中で生き抜いていく。
何で、普通ならば病んでしまうような環境に置かれながら、力強く生きることができたのだろうか?
そこには、魂の問題もあろう。思想や宗教も深く絡んでくるだろう。思想や宗教抜きでは、人は余りに弱すぎるはずだ。
今日は萬葉集で旅をしてみよう。
ひびきあう旅① 7/10