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白か黒か玉虫色か・・縄文時代の論争から学ぶ (7/10 生き甲斐の心理学と縄文)

2022-11-14 | 第四章「愛とゆるし」

写真は一昨年に行った北海道洞爺湖に近い入江貝塚。縄文時代の実態はまだ謎に包まれているが、縄文後期初頭にポリオに罹ってから10年以上殆ど寝たきり状態だったと思われる女性の人骨が見つかった。通常は西向きに埋葬されているのに、この女性は東向きに埋葬されていたという。それは何を意味していたのだろうか。人の行動にはかならず何等かの意図があると思われるので、通常の大人が行くあの世とは違う世界。一番考えられるのは東なので生まれなおしなのだろうか。

こうした発見や話題は縄文時代にも福祉思想があったのではとか、戦争のない社会だったとか、階層のない社会だったなどの諸説をムードとして押して縄文ブームの一翼を担っているように思う。その真偽は学者の方にお任せするとしても、縄文時代の宗教のあり方を考慮した縄文小説を書く立場からも眼を離せない問題のようだ。

こうした意見の違いはいろいろなところであるようだ。例えば縄文中期からの石棒の問題がある。縄文時代の土偶のように研究が進んでいないこともあり、石棒は何かということでいくつか意見があるようだ。一番人気があり支持されているのは、男性性器を表しているというものだ。これは宗教の本質を考える上でもとても魅力的だ(仏教でもキリスト教でも男女の性は隠喩で深く語られている)。調べるとその論の根拠もいくつかありとても魅力的だ。

しかし、いろいろ調べてみると石棒=蛇も浮かんでくる。民俗学の故吉野裕子さんの「蛇」、「山の神」などを読むと蛇、カグツチ(火の神)という類推が自然に湧いてくる。石棒が焼かれる祭儀もあるようで、それを考えるとカグツチ(蛇)の可能性も浮かびわくわくする。カグツチは丁寧に神話をたどると母を殺し父に殺される悲劇の神であることが分かる。カグツチを信仰する縄文人の真情は如何なるものだったのだろうか。また縄文後期に登場する石剣も八岐大蛇の尻尾が刀という神話のイメージから容易に蛇との近縁性が導き出せる。

そのほか立石に対して、ネリーナウマン氏は「生の緒」で「さえの神」、「天の御柱」について触れられている。魔除け的なものとも解釈できるし、世界軸の象徴とも。世界を見渡した宗教学の世界につながるのだろう。おそらく、石棒の解釈はこうした大きなテーマとも関わり、何かとても楽しい話題になるのではないかと期待している。

さて、今の世の中。縄文時代の平和論争、石棒論争と同じようにいろいろな問題で白黒をはっきりさせようとする人、玉虫色にする人いろいろだ。また、自分自身のことを考えても白黒・玉虫問題は意外に大事なもので、その判断を間違えると人間関係にも大きな影響を与えるとあらためて感じている。

白黒を明確にするのは、生き方そのものに影響を与える場合は絶対に決めなければならないと思う。職業の選択、配偶者の選択、宗教や哲学の選択・・・人生の旅路では時々そういうことがある。しかし、白黒問題は個性とも深く関わり、強烈な周りとの軋轢を生じさせることも多い。我慢して玉虫色も良い結果を生むことも確実にある。このバランスは厳しい社会を生き抜いていく中で自然に身につけてくるものだが、自分の能力を越えた決断の時もあり、祈りの中で決めていくことになるかもしれない。そういうときも邪眼のなかではなく慈眼の中で決めていきたい。

7/10 生き甲斐の心理学と縄文

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       森裕行

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