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ベランダに黄色の水仙が咲き出している。水仙はギリシャ神話の美少年ナルキッソスの話で有名でもある。
言い寄る女性を高慢に拒み、最後には水面に映る自分自身に恋し、その体は水辺に咲くスイセンに変わったという悲しい話である。
Wikipediaで花言葉を調べても、うぬぼれ、自己愛といった言葉が出てくる。黄色い水仙には、感じやすい心、気高さといったちょっとポジティブな言葉もあるようである。
人は皆こころの奥に愛そのものがあると、私は信じている。しかしその愛が本人は悪くないのに、何故か本人に見えなくなってしまうことがある。本人は激しい孤独感を感じているはずであるが、周りの人々は、ただ戸惑い悲しむ。なんでこんなになってしまうのだろう・・・
本当の愛は感情的な側面もあるが、理性的な側面、体感的な側面もあると思う。旧約聖書、雅歌は愛のすばらしさを語っているように思う。現代の日本では愛を狭く、歪曲して解釈して語られることが多いが、これで良いのだろうか?
イキイキと生きるために、重要なことは何か。愛の問題は避けては通れない!
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尚、「人の身体は神の神殿」(植村高雄著)を参考にしました。