イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

直感が冴える・・・災害を生き延びる力は縄文時代の祖先にも (4/10 五感とストレス解消の生活)

2021-07-17 | 第二章「五感と体感」

命に係わるような大事なことはあれこれ思索して決めるというより、直感や五感といったものに従ったほうがうまくいくことが多いのではないだろうか。思い出せば60年前に東伊豆で危うく台風が近づく海水浴場で溺れかけ、父に助けられたことは、父や私の直感のおかげかもしれない。

20年近く前になるが、ふと眼にした広告で「生き甲斐の心理学」を学び始めたのも直感だった。また、その後に第2の人生に向けて会社をやめるときも、思索の結果というよりは最終的には明るい直感だったように思う。私が縄文の世界にのめり込んだきっかけも、多摩境の田端遺跡で感じた明るい直感だったと思う。

五感体感を通し生な感情を得て瞬間的に一つのひらめきが起こる。さらに、魂の上昇感と言ったらよいのだろうか、深いところから湧きおこる明るい感情に支えられる。もちろん不安いっぱいなのだが明るい方向性がある。

一方、頭でこねくり回した考えや感情は直感とはいわない。他人からなんとなく聞いた話が主導権をとり、生な感情をどこかでブロックする。そうした考えに従ったばかりにへんなことになる。そして、いったんへんになると、雪だるま式にへんになる。自分がへんだという生の感情・不安感に気が付かない限り・・・。

生の感情は、下手な知識よりは生きる上で何らかの真理を表していて、その意味を考えることは実に役立つことだ。それが暗い感情であっても明るく解釈することで展望が開ける。

さて、今のコロナ禍や自然災害。憂鬱になってしまうが、日本列島での歴史を振り返ると決して今日に始まったことではないようだ。有名なところでは13世紀の鴨長明の方丈記がある。方丈記の初めの文は日本人誰もが知っているが、実は鴨長明が経験した大災害(つむじ風、地震、火災、飢饉・・)や組織内での没落などを背景にしたもので、名誉や拝金主義のような風潮のむなしさを訴えている。

特に飢饉の時の人々の記述は人々の中にある愛とか慈愛に感動するが、それを超える悲惨さの前には単なる自己概念が凶器となった事例という暗い解釈も成り立つようで、ぞっとする。

しかし、鴨長明の人生は悲惨さを潜り抜けてから、山の中で一人方丈の住居に住み、真善美を味わうという生き甲斐を発見するようだ。恐らく直感で生き延びた鴨長明は、その直感から真善美にたどり着いたのだろう。

これはNHKの100分で名著を見て知ったので、お時間がある方は是非ごらんください。

こうした、中世の悲劇や先人の生き方も参考になるが(特に山中に一人住むというのは縄文人のようでもある)、縄文時代の人たちはどうだったのだろうか。

13,000年の歴史は有史以来の時代の凡そ10倍くらい長い。当然ながら有史で経験したことのないような喜界カルデラの大災害をはじめ、気候変動による大災害もあっただろう。その中で、祖先たちは風説や当時の常識を超えて直感で生き抜き、命のバトンタッチをしてくれたのだろう。そしてその記憶は日本神話や民話のどこかに、そして縄文遺跡などの考古学の成果に残されているはずだ。

私は、縄文後期に盛んになるストーンサークルにその痕跡があるのではと秘かに妄想している。考古学者の堤隆さんのご著書に「浅間 火山と共に生きる」がある(ほおずき書籍 2012年)。縄文遺跡についても触れられているが一番印象的だったのは、江戸時代の浅間山の火山爆発で93名しか生き残らなかった麓の鎌原村のことだった。大被害で当然個々の家族は成り立たず生き残った人は悲惨な状況に置かれたが、当時の近隣の有力者によって仮設住宅が建てられ、炊き出しがあり、そして被災者を一つの家族として家族再生までしている。

縄文中期と比べ人口が減ったとされる縄文時代後期。その後期にストーンサークルが目立って作られる。私の住む関東にもあるが(近くの田端遺跡など)、その出現はある時期までお墓が作られるが、例えば3500年くらい前からそのお墓群の上に祭儀上と思われるようなストーンサークルがお墓群の上に墓を無視してまで作られる。その作られる背景に江戸時代の家族再生のような物語があったのではないか。私はよくわからない中であるが、そんなことも想像してしまう。

家族とか祖先といった概念を超えた、真善美の世界が当時の人をとらえ始めたのではないだろうか。

五感や生の感情の世界、直感、真善美・・こうした時代に思索を深めるべきではなかろうか。

4/10五感とストレス解消の生活

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------


和解する・・・縄文人の愛とゆるしを考える (3/10 五感とストレス解消の生活)

2021-07-15 | 第五章「和解と平和」

先日、知人からある映画評論家の新刊本を紹介されたことをきっかけに、小津安二郎の晩春、麦秋、東京物語、早春などを見続けている。私が生まれた頃の1950年ごろの物語なのだが、今と比べてゆっくりと時間が流れ葛藤はあるものの大喧嘩はない平和な世界だ。

ここからが少し妄想の世界に入るのだが、13,000年くらい続いた縄文時代。特に5000年くらい前から3000年くらい前まで、世界的には青銅器文明で結構戦争が盛んだったようだが、日本では弥生時代に入るまでは人を殺傷する目的の武器は無かったようである。このことから縄文時代は平和な奇跡的な平和な世の中であったとされている。なぜそれは可能であったのだろうか。いろいろな仮説が立てられると思うが、生き甲斐の心理学で学ぶカール・ロジャースの人格形成理論が浮かんでくる。この理論はもともとロジャースが心理療法で研究され使われたものだが、晩年には世界的な平和構築の場に応用し始めたようで、一説によるとロジャースはそれゆえノーベル平和賞候補になったとされている。

利害が対立したり文化・環境が異なったりすると、気まずい関係になりがちであることは誰でも知っていることである。そして、一触即発の状態になり集団間であれば戦争になったり。個人対個人でも喧嘩したり別れたりする。

こうした中、和解とは何だろうか。和解の道というのはどういうものだろうか疑問になる。

基本的にはまず互いに信頼をもとにテーブルにつくことが大事だ。この前提がおそらく一番大事かもしれない。お互いに尊厳ある人(相手の中に仏性や愛、魂を想像する?)であり自他肯定の精神がどこかになければ原理的に始まらないのでは。その互恵の精神がなければ基本的に自説を曲げることはなく対立は深まるばかりだ。次に互恵の精神の中で相手の説をじっくり聴く。なぜ相手がそのような理路を選んだのかを賛同しないまでも情感を持って相手を理解しようとするうちに、相互に友好的な雰囲気の中で理解しあううちに、互いに第三の道が見えてくる。それが和解への道なのだろう。

原節子さんが演じる紀子さんが、秋田に嫁に行きたいと言うときに身近な人は初めは反対するものである。あるいは受け入れられないものである。それが変わっていくというのが和解の道である。縄文時代でもきっとそうだったに違いない。それは精神的に大人でなければ達成できない道であり、実は私を含めて皆が大事にしなければならない道だと思う。

3/10 五感とストレス解消の生活

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------


信じる・・縄文時代の人々の信じていたもの (2/10 五感とストレス解消の生活)

2021-07-12 | 第九章「愛」

楽しい出会いがあれば辛い別れもある。この数週間を思い出してもいろいろなことがあった。しかし、青年時代に感じたような乗り越えられないようなストレスは多分激減したようだ。その原因として「生き甲斐の心理学」で考えてみると、恐らく自分の生き甲斐とかアイデンティティが若い頃と比べると少しは安定したものになっているからなのではないか。

昔、外国人と付き合っている中で宗教はと訊かれたら、「特にありません」などと答えると信用されなくなると言われたことがある。「仏教」とか「キリスト教」と答えるべきだというアドバイスだった。確かに何かを信じていると、理想と現実のギャップとしてのストレス曲線は見えにくくなるし、周りから見て安定しているように感じられ信用されやすくなるのかもしれない。もちろん宗教でなくとも何か生き甲斐(例えば縄文(笑))があればそれだけでストレスにつよくなるようだ。

さて、このところ縄文時代の土器やストーンサークル、あるいは神話について本を読んだり、遺跡のそばを散歩したりしているが、文字を使わなかった祖先にとって、アイデンティティとか生き甲斐はどのようであったか。言葉を少し変えて、何を信じていたか。おそらく、信じることは今も昔もストレス曲線に対して有効に機能し、辛い日々を明るく楽しく生きる糧になったのではと思う。それはいろいろ研究されている縄文の宗教だったかもしれないし、部族というか仲間や家族との絆(土器の図像?)であったかもしれない。

今と違い文字はなかったのだから、例えば土器などの図像は深い意味が込められていたはずであり、ストーンサークルやお墓も今以上に、その場所や形態には深い意味があり、今のようにパンフレットがなくても関係者にとっては五感・体感ですぐわかるようなものであったのだろう。

今の時代もコロナ禍だ、土石流・・などの自然災害は多い。ただ、縄文時代の約13,000年間におこったことは、私達が経験したこともないカルデラ火山の爆発など大災害もある。そんな時代を生き抜いてきた祖先のアイデンティティや生き甲斐。言葉を換えて何を信じていたか、それをどう解読していくかは現代の私達にとっても大事な課題だと思うが。

2/10 五感とストレス解消の生活

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------


衣服を着る・・縄文の人々の愛を探る(1/10 五感とストレス解消の生活)

2021-07-10 | 第二章「五感と体感」

写真は私が7歳の時にアラスカで撮ったものです。東京の小学生に通っていたころは、冬でも長ズボンを履かないで登校するのが当たり前の時代。また、戦後の木造の家は気密性もなく隙間風で火鉢で手をこすって温まったものでした。それが、突然アラスカ。しかし、冬は気密性の高い家でしっかり暖房し、衣服も同様のコートで全く寒くない。快適なアラスカでの生活に深く感動したものです。

さて、人類(ホモサピエンス)が衣服を着始めたのは、7万2千年まえころと言われています。これは人につく虱の遺伝子解析から判明した数値であり、同じころにスマトラ島の近くのトパ火山の大爆発(急激な寒冷化)があったことから真実味を帯びています。恐らく私たちの祖先(まだ日本列島にたどり着く前と推定)は寒さをしのぐために、自然素材の動物の皮などを恒常的に身にまとい始めたのでしょう。しかし、アドホックではなくそれからずっとと続けていたのは何ででしょうか。単に防寒だけではないと私は思うのですが。

さらに時代は流れ約2万年前には縫い針(動物の骨製)が発明され、気密性のある衣服やテントを作ることが可能になり、極寒の地でも活躍でるようになったのです。

縄文の人々はどんな衣服を着ていたか。身近な博物館に行くとカラムシの繊維を使った衣服などがよく展示されています。しかし、夏はともかく冬の寒冷地では動物の皮などが使われていたと思われます。私の縄文小説でも出だしは多摩の冬で狩りにでかける男性がイノシシの毛皮を身にまとう場面があります。今年訪問させていただいた栃原岩陰遺跡が展示されている長野県の北相木村考古博物館では、当時のジオラマがあり毛皮の衣服を纏った女性が皮を素材に針仕事(骨の針ですが)をしていて、とても感動しました。

ここからは縄文妄想ですが、クマとかイノシシ、シカ・・こうした動物を貴重な食糧としていただくのは当然ですが(骨の髄までいただく)、皮も衣服の貴重な素材として使われ、親などに綺麗に縫われて、身に着ける。その時の子供の感情はどうなのでしょう。極寒の中で命を守り活動を助ける衣服、そうした衣服(動物)を着ることは愛の原形にきっと繋がったのだと思います。幼児のころに母におんぶされた経験が私たちの愛の原形となったように。

触覚は、私の生育史を考えても最も原形的な感覚です。日本では人前で握手したり抱き合う習慣がありませんが、手を握ってもらって安心感を得るということは誰もが経験してことではないでしょうか。

次にちょっと太鼓のお話を。私もそうですが、日本は農耕文化だと思っている方が多いと思います。私も狩猟・漁労の文化は馴染んでいません。しかし、今でも祭りには太鼓が欠かせないのは不思議です。写真は以前撮った府中のくらやみ祭りの時ものです。大木をくりぬいて大きな動物の皮を張ったのが大太鼓です。こうした大太鼓が縄文時代にあったかはわかりません・・・ただ、太鼓は世界各地で使われており、古い歴史をもつことは確実です。皮を張った太鼓から魂のような音が出る。それは今も縄文時代もおなじように人々を感動させると思います。

さて、私はコロナで大きくなったお腹を叩き、梅雨でさらに運動不足になったことを感じ、今日は天気も良いので散歩をしようと決心するのでした。

1/10 五感とストレス解消の生活

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------

 


アジサイも良いけど花より団子 (9/10 真善美とストレス)

2021-07-04 | 第二章「五感と体感」

梅雨の時のアジサイは好きだ。見た目のアジサイだけでなく、雨の匂いと傘につたわる雨だれなど。五感を通して触れるアジサイは幼いころの記憶とも重なり、深い味わいを醸し出す。

高校生のころに詩に興味を持つようになり、最初に出会った三好達治の「乳母車」。「母よ――淡くかなしきもののふるなり 紫陽花あぢさゐいろのもののふるなり・・・」

今再び「乳母車」を読み直すと、この詩を好きになったころの初々しい自分に触れたようで赤面するが(笑)、五感から真善美といったものに興味を持ち始めた当時の自分を褒めたくもなる。

さて、昨日は映画「バベットの晩餐会」をネットで見た。U先生がブログ「生き甲斐の心理学」で推奨されていた映画だが、どうも五感の中で味覚は幸福感への近道であるようで、それはこころの奥深いところまで影響を与えることが印象的だった。フランス革命でデンマークの寒村に逃げてきた一流料理人と貧しい村人との話なのだが、五感と信仰を真面目に考える上では参考になると思う。

日本では花より団子?・・・という諺があり、より本能に近い味覚は低くみるような意味に捉えられがちだが、本当は美味しい団子(味覚)は花(視覚)よりも強烈に幸福感への道を導いてくれるといったメッセージと解釈するのが本当ではあるまいか。実際、コロナ禍の前は毎年のように唐崎神社前の老舗でみたらし団子を頂き、いつも幸福感に浸っていたことを思い出す。

お袋の味という言葉を最近あまり聴かなくなったが、日々の生活の中での母の手作りの料理、特にハレの日の料理の味は自分の幸福感をどこか支配しているようであり、また日々のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)にも影響を与えていると思う。

辛い時に美味しい料理で癒されたり、感情的にもつれた時に一緒に美味しい料理を食べることで平和になったりする。そんな経験を私たちは大人になるにつれて体験して、いつのまにか食の文化を大事にするようになってきたのではないだろうか。

今はコロナ禍で感染力が高まったデルタ株は恐ろしいので、昔のように外で一緒にB級グルメを楽しんだりできなくなっている。今は町に出るとシャッター通りとなっていて寂しいので、今の季節に良いキュウリ料理に凝って味覚を開発したり、さらに縄文時代の食文化についてあれやこれや楽しく調べ想像を楽しんでいる。

話がいつのまにか縄文時代になってしまったが、当時の果汁酒(ニワトコや山葡萄・・・)の味はどうだったのだろう。発酵とか加熱とかは当然知っていたはずであり、また恐らく当時の人も思考力は現代人とさほど変わらないはずであり、さらに今と同じように天才も出現したであろうから、とんでもない美味なお酒を味わっていたかもしれない。食についても動植物の知識は縄文カレンダーから考えると現代人の何倍も豊富にあり、豊かな素材だけでなくハープなども駆使しての料理だったのではと思う。さらに料理技術も石をつかった蒸し料理や燻製料理、深鉢土器の形態から想像すると煮込みだけでなく蒸し料理でふかしたりで、恐らくハレの日には凄い料理を味わっていたに違いない。

私も、年をとりあの世が近くなってきたようである。死んでからの世界は不可知の領域ではあるが、縄文時代の祖先と料理やレシピの語りながら今では味わえない縄文料理を食べ果汁酒を頂きたいものだ。

9/10 真善美とストレス

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------