田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

冬の準備 季節の句読点

2008年11月10日 | 日記
11月10日(月) 曇り 厚い雲 冷たい風 僅かに月・・・

昨日の疲れか目覚めが遅い・・・・・
7時前に起きだしたが外は曇り、東の窓からの景色も灰色一色に覆われて山の秋色も冴えない。

朝飯を終えてから司法書士が土地の境界確認にくる。
隣との接する箇所を確認して貰うためだが・・・既に測量はしてあるがハテサテどうなるのもか?
30分くらいで話し合いは終わり後はお隣からメールで返事をするということになった。

昼飯を早々に済ませて庭の冬の準備に全く手を着けていないので外に出た。
主たる作業は“ミョウガ”の冬囲い、風知草より一段上の菖蒲を切ること。
梅の剪定(時季はずれだが)、ハマナスの剪定、ラベンダーの花殻取り・・・・
無花果の冬囲い等々まだ山ほどあるが、冬が目の前まで来ているようで今年も追われてしまった。


俺の庭や畑の仕事はいつも遅れてるが、向かいの畑の婆さまは山の上の畑でマメを作っていた。
『もうマメはつくらねぇ~ コレぇ~もいらねぇ~モンだけど・・・・』
収穫間近に鹿に食われたと言いながら支えに使っていた竹を一輪車で下ろしている。
坂を下りるのは楽だがまた来年になると作らないではいられなくなるだろう。


茗荷の植えてあるところに籾殻を袋3杯山にして、菖蒲の葉を切ったものを上に載せた。
これで相当な風が吹いても籾殻は飛ばないだろう。
南高梅と豊後梅を剪定した。
今から剪定すると来年の花芽も取らなければならないが仕方がない。


一休みするが寒い・・・、身体を休めると風の冷たさを感じる。
東の雲が切れて浅間山の噴煙が少しだけ見える。
周りが重たい雲に囲まれているためか噴煙がいつもより白く感じた。


4時近くなってくると辺りは夕方の気配すらする。
浜茄子の枝を剪定して大きく張り出した太い枝を切った。
ラベンダー 夏は蝶が沢山蜜を吸いに来ていた花も今ではカラカラに枯れている。
細い針金のような茎をバリバリ折るように刈り取るが香りがシッカリとしている。
遠くに見える隣の集落の電灯が白く見える。
いつの間にか雲が切れて月が覗いていた。


予定の半分の作業を済ませたが辺りは暗くなってしまった。
集落の鎮守の杜の上には夕陽を受けているのか紅を点した雲が大きく横に広がっている。
月も鮮明に見えて幻想的な雰囲気を漂わしている。
辺りにはストーブを炊く香りが満ちている。


冬の準備 句読点のようだ
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一日 ふれあい村

2008年11月09日 | 日記
11月9日(日) 曇り 一日中冷たい風が吹く 寒い一日

いつもより早めに起きたが空はどんより昨日までは午後は晴れると予想が言っていたが・・・・
風は冷たく本格的な冬の到来を思わせる。
朝飯を済ませて即今日のイベントへ出かける準備をする。

必要なモノを軽トラに積み込み町人権センター広場に着いたのは9時少し過ぎていた。
荷物を下ろし車を駐車場へ置くと直ぐにテント張りの作業に入った。
全部で9張りのテントは柱は既に組み立てて合ったので時間は掛からなかった。
今日のイベントは町役場町民課とボランティア団体で構成する、『たてしなふれあい村』が開かれた。


机を運んだりゲームの準備をしたりと人海戦術で準備が進む。
10時開村式では村長の挨拶の後に来賓の“立科町町長”の祝辞が述べられれた。
開会宣言とともに打ち上げ花火ならぬ餅つきの杵が打ち下ろされました。


我が「たてしなエコ・クラブ」のブースへ最初のお客様は祝辞いただいたばかりのK町長
箸を使っての大豆移動ゲーム・・・流石にマメな町長手先が器用で大勝となり一号で商品をゲットしました。


ゲームはボーリング、魚釣りならぬお菓子釣りゲームと様々なブースが開かれました。
中でも町の小学生が学校に車椅子がないと言うことで、子どもたちが手作りした箸置き、マイ箸袋等々手芸の技を使った品物を販売していました。
大きな声で呼びかけ全て完売となったようです。


一番に賑やかなブースは手話体験です。
手話の説明ボードも手袋を指の形を石膏で作り“あいうえお順”にならべてあります。
初めての人もボードを見て言葉の不自由なブースの係に自校紹介をしています。
車いすにのった小学生が退去して手話で会話を楽しんでいる姿を見ると、この町の将来は明るく見えます。


「たてしなエコ・クラブ」では太陽熱を利用して、生ごみ堆肥で育てたポップコーンを作る予定でしたが残念。。
急遽天然ガスのコンロで沢山作り、暖かなポプコーンは人気の的多くの人が喜んでくれました。
テントの中ではアクリル毛糸のエコ束子作り、これも黄色のミカンやオレンジ、緑や赤の林檎に人気が集中しました。
いつまでも人が耐えなかったのはエコクイズです。
参加してくれた人は満点が多く景品も底をついたほどでした。


お昼には町内の企業に研修生できているベトナムの人たちがつくるブースでご当地春巻きを沢山食べました。
作り方まで教えて貰い調味料は町内のスーパーで売っているそうです。
今度は買い物に行く楽しみが増えました。

午後は《ヒューマンコンサート》になり、コーラス有り、踊りながらの唄など寒い中楽しいときを過ごしました。
会場では豚汁の無料接待、スタッフへの昼飯の準備など、朝からおにぎり作りをしてくれた女性部の方々はご苦労様でした。
縁の下の力持ちですね。

3時には寒さも一段と身にしみるようになり、閉村式を皆で盛り上げてお開きとなりました。
テントの撤収、机の格納・・・・・役場の職員の方も大勢ご苦労様でした。
町民と行政が一丸となって行事を盛り上げるのは楽しいことです。

お疲れさまでした。
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雪はまだだが ストーブの前で丸くなる犬

2008年11月08日 | 日記
11月8日(土) 曇り 風が冷たい一日

雨こそ降っていないが重たい雲が広がっている。
朝飯を終えて直ぐに家をでた。
町の社会福祉協議会主催のバザーがあるので午前中は売り子のボランティアをする。

定刻8時30分に会場二階の集合場所へ行くと既に大勢の方が来ていて説明が始まったところだ。
圧倒的に女性が多いが男性もちらほらと散見するが中でTH先生が来られているのには驚いた。
事務局長の説明のあと具体的なレジの方法などの説明がありそれぞれ担当部署に着くことになった。


ロビーには大勢の買い物客が開店時間を待っているのには驚いた。
外を覗いてみると延々と列が続いている。
ボランティアが位置に着いたところで開店!!
ドドドと大勢の人が飛び込んできて先ずは黒山になったのは貴金属売場、次に女性用の服売り場だった。
貴金属は町内観光地。白樺高原のホテルの忘れ物などで部屋以外の風呂場などに忘れたもので遺失物から戻って来たモノだという。
ブランドの時計やアクセリーが人気の的だそうだ。
1時間半もすると山のようになっていた商品もだいぶ少なくなり床が見えるようになった。


12時半までで午前の役を終えて午後のボランティアと交代・・・
役場駐車場で催されている商工祭『たらふく祭り』で腹ごしらえ。
知った顔の面々が焼鳥やラーメン、蕎麦、焼き芋と模擬店が沢山並んでいる。
昼飯にと商工会青年部の作るラーメン400円を食す。
次は模擬店テントを一回りしていると、舞台では小学生コーラスが出演していた。目の前では子どもに丸太をノコギリで切る森林組合体験教室が開かれていた。


次には公民館で行われている文化祭を見に行く。
町づくり研究会の仲間のOKさん、Tさんなど普段仕事に追われている人が書道を展示しているのには驚いた。
この町の多くの人が墨書を志し高度の技を持っているのには驚く。
油絵、水彩、華道、盆栽・・・・多くのものが展示されているのが素晴らしい。


家に戻ったのは4時を過ぎていた。
ストーブの薪が運び込まれていた。
今日は寒いのでグットタイミングだ。
早速ストーブに薪を入れ火を付けて周りが暖まり出すと愛息Salaはいつもの定位置にしゃがみ込んだ。
長い鼻をストーブに向けている・・・・声を掛けると顔だけこちら向きにするのが猫のようだ。


雪はまだだが 犬はストーブの前で丸くなる
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悠久の大地 若者が往く

2008年11月07日 | 日記
11月7日(金)*立冬 曇り 晴れ 風が強い 夕方から冷える

天気予想では雨だった・・・
暗いうちから起きだして外を見るが雨が降った気配はない。
東の窓からの景色は雲が覆っているが浅間山は綺麗に見える。


午前中は15日の「秋の中山道を歩くinたてしな」へ参加する旨の電話が鳴る。
夕べも5人の会員から電話を貰った。
大勢が参加してくれると盛り上がるので嬉しいが、S会長は「たてしな歴史研究会」の代表として時代衣装を着て貰うことになっている。
しかし、その会長からの電話・・・「衣装を来るのはよいが役柄が町人役」だという。
どうやら町人役の参考写真が裾を捲った姿が気に入らなかったようだ・・・・・
イベントだから・・・とか、庶民的な会の代表なので・・・・と 押したがダメた。
裾をたくし上げて風邪でも曳かれては困ると言うことでお断りに相成った。
これも仕方がないことだが、袴姿で脇差しでも刺していれば喜んで衣装を着てくれたことだろう?
庶務係の俺の詰めの甘さだが、実行委員のHAさんには悪いことをした。

午後1時からは町の東部塩澤地区の「巡見道」を歩く『ふるさとプロジェクト』がある。
今日はマップの作りの最終段階コースにある道標や馬頭観音など石碑を読み取る作業になった。


集まった面々は5名、それぞれ心は若者の60代から70代までが揃った。
歩く道は稲の刈り入れからハザ掛、脱穀と収穫が終えた田圃は綺麗に片付いている。
途中には代々銘木を育てる業をしている畑ではみごとな黄葉をみた。
楓の樹だが黄色から深紅まで微妙なグラデーションをみごとに表現している。
美しさにしばし全員で見惚れた。


このコースは何回も歩いているがその都度景色に変化があるのが嬉しい。
途中には読み取れない石碑があり今日も古文書の指導的立場にあるA先生に確認して貰うが、石碑の上半分が欠けているので難しい。


約5kmのコースをゆっくりと歩き石碑を一つ一つ確認しながらあるいていると意外に時間が掛かる。
広々とした田の中を冷たい浅間降ろしが吹く、塩沢の集落を抜けて出発地の農村公園に戻った。
ここは巡検道でも次の地区へ向かうところで重要な箇所だったらしい。
公園とはいえ豊受社という神社の境内になっている。
嘗ては脇の水路で水車を使って米を精米したという。
今では水車も壊れたまま置かれているのが寂しい。


最後のミーティングを終えた頃には陽も西へ傾き冷たい風が吹き始めた。
ここに古から置かれている双代道祖心は北風に打たれるまま斜めになったようだ。
このコースの中だけでも双代道祖心は5カ所にある。
それほどに安定した集落だったのだろう。


悠久の大地 若者が往く
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季節を愛でる 世捨て人

2008年11月06日 | 日記
11月6日(木) 晴 快晴 午後には薄い雲が広がる

昨夜は早く寝たためか早朝から目が覚めて寝付けない。
だんだんと明るくなってきて6時前に床を離れた。

いつもの窓からの眺めは冬の空気の冷たさを感じさせる。
外に出てみると霜が降りている。
シモバシラまではないが蕗の葉やチンゲンサイの葉は白く表面に氷の粒が付き陽の光に溶け出しているのもある。


浅間山は噴煙が見えないと平凡な温和しい山だ。
南に寄った朝陽に薄く照らされていたが上空には飛行機雲がぐんぐん伸びている。
成田から飛び立った飛行機?どこへ向かうのだろう。


午前中はストーブの掃除をする予定にしてある。
Mは朝から出かけているのでこの手の掃除は留守の方がしやすいこともある。
前面のガラス付きの扉の掃除に手間が掛かる。
扉を着けたまま掃除をしたが煤が採れないのと、煤を溶かしたマジックリン(洗剤)が下に垂れるのがよろしくない。
扉を外し平にして徹底的に汚れを落とした。
薪を炊けば直ぐに汚れるのは判っているが、この冬はじめて火を入れるときくらいは綺麗にしてやりたい。


午後は薪作りをする予定だったが取りやめた。
理由は少しのんびりしたいということだ。
3時過ぎにはMが戻り支那ダイコンを採ってきてくれと云う。
畑に出て浮き上がっているダイコンから採ることにした。
少々細いが充分用を足すと思う。
このダイコンは信州へ移り住んでから知った種類で中が緑色なのがよい。


裏の山へ登ってみると集落の東端の落葉松が植林されたところはみごとな秋色になっていた。
絵筆に黄色緑色を付けてちょうんチョウンと置いていくと描けるような気がする。
のんびりして過ごすには似合う山の色だ。


一回りして4時過ぎに戻ると南の空には薄いベールを透して白い月が見えた。
日の沈む時刻には西に傾く月、日没のときには太陽と月が一緒に視野にはいるだろうか?
落葉松の梢が何故かクリスマスを思わせるのは季節ならではのことだろう。


季節を愛でる世捨て人
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熱い心意気 いつまでも持っていたい

2008年11月05日 | 日記
11月5日(水) 晴 霜が降りた? 陽射しは暖かい 夜には冷たい風

昨夜は遅くまで資料作りをして・・・宛名までは手が回らずに床に入った。
早朝から起き出して宛名シールを32枚作った。
午前中にクロネコに持ち込み午後には配達というのは甘かった。
11時には家に戻りホットして辺りを散歩した。

玄関から一段下がった処に置いてある鉢にはブルーの花が咲いている。
花の名は知らないが久し振りにタテハチョウを見た。


近づいて見るとイチモンジセセリも来ていました。
タテハチョウに近づいては飛び上がることを繰り返していました。


この時期にはモンキチョウは沢山見ますが・・・
タテハチョウは日だまりの中で盛んに蜜を吸っています。
彼は冬眠するのでしょうか?今朝も零度近くまで下がったはずですが身のこなしから見ては元気です。


イチモンジセセリは動作が機敏で翅を広げてる処は写せません。
今までも何回も試みましたが・・・・・花の蜜を求めてホバリング状態の処をパチリです。


玄関の反対側の鉢植えが置いてあるところですごいモノを見つけました。
『タコの木』です・・・・そ~見えませんか?
タコの足の吸盤のような新芽が葉の淵に沢山着いています。
この小さな吸盤が大きく育ったら大変なことになりますネ
“蛸の木”ならぬ本名は何というのでしょうか?


午後は少しだけ休憩して夜の町づくり研究会の資料を読み直しました。
自分でキーボードを打って作った物なのに読み直すと段落が違っていたり・・・
2~3の訂正箇所があります。
議論が盛り上がるために突拍子もないことを書き込んで置くと其れなりに話題になります。
窓からは夕方気配がしてきましたが時計を見るとまだ4時半です。
東の迄からはいつもの浅間山が見えますが、雲一つない空では殺風景ですね。
噴煙は僅かに盛り上がり西風にあおられて東に流れているのでこちらからは見えません。


夜は町づくり研究会の最終回第17回の会議で良くもここまで続いたと思うと感謝です。
はじめはだんだんと人が来なくなり途中で消えてしまうのかとヒヤヒヤしていました。
今日は『図書館の充実』の提言と『環境フェアー』を立ち上げようという提言の最終確認です。
二つの班に分かれてそうとも時間前にまとめることができました。
提出して採択されてからはまた率先して加わって行かなければなりません。
町民と役場職員が同じレベルで話をして作り上げることが大切なことだと実感しました。


熱い心意気 いつまでも持っていたい
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秋の夜長 名簿に取り組む

2008年11月04日 | 日記
11月4日(火) 曇り 午後には晴れる 風が冷たい一日 

快晴の予想が覆され重い雲が広がっている・・・
いつもの東の窓からは太陽の光はなく暗く寒そうな景色が目に入る。
少しだけ時間が経つと浅間山の麓に陽が当たり出すと景色が一変した。
手前の集落は影になっているがスポットライトを浴びたように何カ所かが秋の色を眩しく見せている。


今日のスケジュールは追われていることばかりが重なり動きがとれない。
昼過ぎからある打合せは今月16日行われる「第32回北佐久郡公民館研究集会」の活動発表に使う写真を持って行かなくてはならない。
朝飯を終えてから直ぐに写真の取り込み作業をしなければいけないが・・・・
東の空はだいぶ雲の切れて明るくなってきた。
浅間山の裾野にある嘗ての噴火口は一面に黄葉に染まっていて、更に遠くの山は榛名山だろうか?
雲が多い割には空気が澄んでいて遠くの景色が間近に見える。


直ぐ裏の山越に見える山湯ノ丸?だろうか??
ヤケに近くに見えるのが不思議だ。
ここでも秋の色濃く染まっている斜面が幾つかに切れているのが獣道のようだ。
実際には車が走れる林道にでもなっているのだろう。


午前中に写真の整理をして発表する「たてしなエコ・クラブ」の活動記録に合わせてみるがこれは俺だけでは巧く行かない。
公民館であうベテラン環境活動家YTさんにお任せすることにしよう。
昼飯を簡単に済ませて家を出たが・・・・
東裏の山にある小さな寺の境内に紅く燃える樹が見えた。
今まではこのように紅葉する景色は見たことがないが、今年は格別なような気がする。


公民館では予定どおりYTさんと主事のYCさんと具体的な打合せを済ませる。
写真はプロジェクターで映し出すことにして11日最終的にテストをすることにした。
3時には打合せを終えて、役場に向かい「秋の中山道ウォーキングinたてしな」の資料を受け取る。
行程の解説パンフはまだ出来ていないと云うことで当日に配布することにした。
「たてしな歴史研究会」がボランティアでお持てなし役を担うことは良いことだと思うが、
は高齢者が多いの歩き通せるか心配になる・・・・
家に戻ってから、第4回定例学習会の代わりにウォーキング参加の通知をつくる。
役場からの資料も多いためA4サイズの封筒で出すことにするが郵便局(局?)では270円、クロネコのメール便だと80円
費用が安いに越したことはない・・・・クロネコで聞くと厚さ2cm迄はOKだと言う。

名簿の確認ではこの秋に3名が新たに会員になってくれたのが嬉しい。
明朝クロネコに持ち込めば午後には配達可能だろう。

事務局 庶務係 代表 肩書きこそ違ってもやることは同じなようだ。
A4サイズ角形2号で郵送すると宛名書きにプリンターが使えない!!
手書きになるか!!
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玉葱180本 多いか少ないか?

2008年11月03日 | 日記
11月3日(月) 曇り やや晴れ ボンヤリとした小春日和?

昨日の夕方にMの友達からタマネギの苗があるから要らない?って電話があった。
葉物野菜を片付けて石灰を蒔いたまましてあったので・・・・
今日の予定は明日の公民館での打合せに必要な資料を作ることになっている・・・
急遽タマネギの苗を植える作業を割り込ませた。


苗の数も見ないで適当に畝を立て基肥として生ごみ堆肥に油かすとストーブから出る灰を混ぜて畑に入れた。
薄く土を被せてから苗を植えつけたが180本のあった。
初めは余った苗だからと言うことで60本くらいだと思っていたが・・・・
我が家の年間消費数はどの位なのだろうか?
多すぎるとは思うが・・・・苗を放置するのは可哀想なので全て植えてしまった・・・
大きく育ったときには毎日オニオンスープで過ごすことになるだろう。


この地方ではタマネギを植えるときには“マルチ”と云うビニールを敷いて苗を植えるところに穴を開けるものを使う。
其れを使うと後の処理が大変ななので、俺は藁を使った。
下の写真の右側の畝は藁を長いまま苗の間に置くというやり方だ。
左側は去年の12月に風知草を刈り取ったあと細かく切って置いたものを撒いた。
どちらも効果は同じだと思うが・・・・・


タマネギを植えた向こう側では白花ヤマブキが葉を黄葉させ対照的に黒く光沢のある実を目立たせている。
下には実生が出ているが、周りの黒い皮にキズを着けて土に撒けば発芽すると聞いている。
鳥が食べることで周りの皮にキズが付くのか皮が消化されて撒かれるから発芽するのだろうか?


午前中で仕上げる予定だったがだいぶ時間が掛かってしまった。
マルチの替わりに藁を使うときは苗を植ながら藁を置いていく方が楽な事が判った。
来年もタマネギを植えて藁を思い通りに使ってみよう。
道具を片付けて終えたときは2時近くになっていた。
白樺もすっかり葉を落とし向こう側の景色が見えるようになっている。


家に入り昼飯を終えたのは3時近かった。
今日の予定は大きく狂ったが挽回するのは夜中の仕事になるだろう。
北側の土手から見る山はすっかり日陰となり寒さを感じるほどの深い秋色を示していた。


自分の仕事のやりくりはどうにか付くが、今日はKKさんのコンサートが信濃町のい道の駅で行われた。
日々・“予定が未定の生活”なかなか合わせることができずに申し訳ない。
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焚き火と芋 秋の味覚

2008年11月02日 | 日記
11月2日(日) 晴 午後は雲が張り出す なんとなく暖かな一日

今日のノルマは南側のコンクリートに春から置いてある林檎の薪材を片付ける。
先週の火曜日に薪作りをして残したままになっていた。
この間には町づくりの諸々に関わっていたので“マキ”と“マチ”の違い、本人としては同じことをしているようなものだ。
こんな事を云うとキとチの違い“キチガイ”沙汰だと云われそうだ。

いつものように朝飯の片付けをして直ぐに外に出た。
作業はチェンソーで長い林檎の樹の薪材を45cmに切り分ける。
太い物は切るのは楽だが運ぶのが腰しに来る。


虫が入っている樹があり薪にならないものを焚き火をして処分した。
午前中一杯掛かって薪の長さに切り分けを終えたが・・・腰が痛い。
タイミング良く疲れたところで昼飯だと声が掛かった。
いつもの海苔巻き俵おにぎりに畑の煮物!!
我が家の畑から採れた人参、大根、ジャガイモが入っている。
ほうれん草のオシタシもホンノ少しだけ味が付いているのがよい。
ダインコンの漬け物も俺が種を蒔いたものだ。
林檎と巨峰のデザートは五輪窪のYHさんと柳澤のOKさんが作ったもの。
何がどこでどのようにして食物を作っているかが判るのは素晴らしい。


昼飯を終えてからは午後のおやつを焚き火に仕込んだ。
新聞紙2枚でサツマイモを包み水でシッカリと濡らした。更にそれをアルミホイルで包む。
そして焚き火のオキになった処を掘り返して下に埋めた。
焚き火は続けて燃やしたが焼き芋を取り出したのは薪材を全て割った後4時過ぎていた。
さてはて焼け具合は後のお楽しみ・・・


薪を割るために運んでるときに何かが動くものがいたように感じた・・・・
なかなか見つけることができなかったがなんと“ルリタテハ蝶”・・・
冬眠していたのだろうか?
樹の色と同じで保護色のようで見にくかった。


目の前に手を翳しても動かない・・・暖かい場所に移動してやっても直ぐに這いだしてくる。
最後は樹の洞になっているところに枯葉と一緒に入れてやったが・・これで良かったのだろうか?


薪材を割っていくと相変わらずカミキリムシの幼虫が出てくる。
並べておいておけばモズが食べにくるだろ?
あと一息の処で小休止太陽は既に西の山に隠れて空気が冷たくなってきた。
焚き火の中から焼き芋を取りだし薬缶の白湯と共に腹に入れる。
Mと半分筒分けたが彼女の乾燥如何だったのだろう?


全ての薪を割って運び込んだときには5時を過ぎて辺りは暗くなっている。
まだ畑の方には長いままの林檎の樹が沢山ある。
あと二日はかかるだろう。
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小字名は土地の屋号だ

2008年11月01日 | 日記
11月1日(土) 早朝 小雨 後 快晴 風は冷たいが 陽射しは暖かい

8時50分公民館集合、立科町公民館 生涯学習講座 が開かれた。
『すずらん学級』と「町の花」を冠に着けた学習会、『歴史の道ふるさと再発見』を課題にしている。
今日のテーマは《地名を訪ねて》として、町内の小字名が今では使われなくなったものを再確認しようということだ。


開講の挨拶もそこそこに町のバスに乗り込むが補助席も全て使った満席の状況だった。
申込者が多くお断りをしたと云うほどの盛況ぶりは、町内の多くの人が昔の地名を知りたがっている所以だろう。
はじめに向かったのは津金寺界隈の山部地区、古には広い境内が設けられ、本堂を遙か遠くに眺める処に仁王門が逢ったという。


現在の地名は権現運動公園となっているが小字名では柳大門だいという。
ここらはバスを降りて参道を歩き番屋川を渡って津金寺に付く。
津金寺HPhttp://www.janis.or.jp/users/tuganeji/index.html
ここで再びバスに乗り込み、北に向かい町の北部「牛鹿(うしろく)地区」へ向かう。
明治以前には牛六と書き表した文書があるが、後の「鹿鳴館」の呼び方にハイカラ感をもったのか変わっていったいう。
この牛鹿には柳澤(やなぎさわ)外倉(とくら)五輪窪(ごりんくぼ)虎御前(とらごぜん)と云う集落がある。
また、地形によっては「腰巻」「垣下」など多くの小字が残されている。


町の東部地区に移りここではバスを降りて集落内の路地を散策した。
たわわに実る柿の木も誰のものでもないと云うことでモギリその場でかじっていた。
浅間連山の見える田は集落の南にあるので「前田」と言う。


南側は「前」北側を「後ろとか裏」と呼ばれたそうだ。
これも全て田や畑の作物を中心にした考えから発しているという。
小字で「金堀」とあるが「金」は強度の粘土質で乾燥すると堅くなり「金=鉄」と表したと云われている。
また、水がないところは「無窪(なしくぼ)→梨窪」と云い「窪」は窪地で出水(涌水)のあるところを指すという。

昼には公民館に戻りそれぞれが持ってきた弁当を広げた。
午後には茂田井(もたい)地区を周った。
ここは中山道茂田井間の宿(あいのしゅく)と云い、芦田宿と望月宿の間だにある宿なので呼ばれたという。
また、間の宿というのは公の呼び方ではなく茂田井の大沢酒造故大沢洋三氏が命名したと云われている。
ここは今でも昔ながらの家並みが揃う貴重な雰囲気を醸し出している。
しかし、電線だけが景観を邪魔にしているのが惜しい。
中部電力が公共の用に為すためと云いながら利益を求める会社として景観を壊しているのには多いに反省をしてもらいたい。
茂田井中央にある馬頭観音は明治の頃には傾いていて未だに倒れることなく威厳を誇っているという。


茂田井には作り酒屋が二軒あり前出の大沢酒造と武重酒造がある。
それとこの宿場の東部では立科地籍と望月地籍が分かれている。
平成の大合併で望月・立科の両町が合併すればこのようなことは解消されたことと思うが・・・
武重酒造には深緑の杉球が吊されて新酒の仕上がりを知らせているようだ。


茂田井から古町地域を周り公民館に戻ったのは三時に近かった。
バスを降りると風の冷たさで改めて霜月を感じだ。
閉会式では今日一日の解説を担った文化財保護委員の方々に謝辞が送られ全員の拍手で感謝を表した。


三時からは『たてしな歴史研究会』の役員会を開き11月15日の“秋の中山道ウォーキング in たてしな”の参加要領を確認した。
家に戻ると西に傾いた太陽の光で浅間山の噴煙が長く南にたなびくのが見えた。

小字名は地形を表した屋号のようだ
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