物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

シャレード

2009-12-05 12:24:08 | 映画

「シャレード」はオードリ・ヘップバーン主演の映画である。これを昨日マネキネマが上映した。それを妻と見にいった。私はマネキネマの会員ではないが、妻が会員なのでその同伴者ということで一緒に行った。

入場料を払うつもりだったが、実は新しい会員を募集しているとのことで、入場料を払うことはなかった。その代わりにマネキネマに入ったらと妻に言われた。

実は田中絹代の映画の上映会があったときに、アンケートに答えて「シャレード」の上映を希望すると答えていたら、15票を得票して上映となったのであった。

次点の映画の得票が13票だったから、私の一票も映画「シャレード」の上映にとっては貴重な一票だったわけである。コミニティセンターのプラネタリウムで上映がされたのだが、その前に15分ほど星座が映し出されて、星の説明があった。

シャレードはもちろん何度かテレビで見たことがあるし、学生の頃に映画館で見たことがあったはずだが、よくは覚えていない。

今回は英語を楽しむという気持ちで見た。いくらかは英語を聞き取れたと思うが、十分によくわかったというほどにはなかなかいかない。

今日は午後にE大学で「会議は踊る」(Der Kongress tanzt)の上映があり、夜は一年ぶりのいとこ会がI市である。


沈まぬ太陽

2009-11-02 11:39:28 | 映画

「沈まぬ太陽」というのは現在映画館で上映されている渡辺謙主演の映画である。それを昨日雨の中を見に行った。郊外の複合コンプレックスの中にある映画館である。日曜日だということもあったのだろうが、久しぶりにかなり大勢の観客が来ていた。

映画はかなり面白く日航の会社としての腐敗ぶりを鋭く描いていた。もちろん映画では日航という会社名は出てこない。だが、日航がモデルであることは誰の眼にも明らかだろう。昨今日航の経営が左前で倒産寸前であることは新聞やテレビで報じられている。

その経営がうまく行かないことの一部には退職者の年金が高額であることとか地方空港への航行のために多額の分担金を支払っていることとか、どうも会社の経営の仕方ではどうもできないと思われる事情もあるらしい。これもまた自民党政府が何十年も続いたことにもよっているらしいとのことがもれ聞こえてくる。

アメリカの巨大企業のGMにも匹敵するいろいろな事情があると聞けば、さもありなんと思ってしまう。映画ではフィクションであると断られていたが、ここで取り上げられたことは誇張とかなんかはあっても基本的な事情ではあまり違いがないのではなかろうか。

そういうことに鑑みると日航の再建はなかなか難しそうである。


Tkko 特攻

2009-04-18 16:42:54 | 映画

森本リサ監督の「Tokko 特攻」というドキュメンタリー映画をいま見てきたところだ。元特攻隊員の生き残りの人からその思いを聞いてそのストリーをつくったドキュメンタリー映画であって、アメリカでもある程度受け入れられているという。

森本監督の話を映画の後に聞いたのだが、この映画は始まりにしかすぎない。その映画で語られた思いとそれから派生してくるはずのいまの戦争やこれからの戦争をどう未然に防ぐかというところのギャップは大きいものがある。

始まりは小さいものにしろどこかで誰かが始めなければならない。しかし、問題はそのギャップをどう埋めるすべをもつか、持たせるかではないのだろうか。

森本さんは50年後にイラクの自爆テロにもこのようなストーリー映画ができるかもしれないとの希望を述べられた。森本さんは日系二世の映画プロデューサーであり、監督であるらしい。

原爆の被爆者の聞き取り映画をつくる日系のアメリカ人が出てきたり、特攻の生き残りの人から話を聞くというこういう映画ができたりすると世の中まだまんざら捨てたものではないという気がする。


青い鳥

2009-02-04 14:11:43 | 映画

「青い鳥」は有名なメーテルリンクの小説のことではなく、最近上演されている映画のことである。

阿部寛主演の映画であるが、ある中学でいじめにあって自殺した中学生の机を元の教室に戻していつも朝の挨拶をするという変わった臨時教師とそのクラスの生徒との交流を描いたものである。

昨日、妻の友人から電話があって、その友人が映画を見に行ったら、いい映画だのに自分たち3人しか見に来ていなかったという。

それで妻が一緒に見に行くかというから久しぶりに雨の中を二人で見に行った。残念ながら私たち二人だけで他には誰も来ていなかった。もちろん昨日は火曜日でウイークディだから仕方がないのかもしれないが、それにしても残念なことである。

プロデュサーの一人が松山の出身とのことだった。新聞にもいつか紹介が出ていたが、まさか自分でその映画を見に来るとは思わなかった。でも営業的には業績をあげるのは難しいことだろう。


ジョニー・デップ

2008-12-20 11:35:34 | 映画

このごろはジョニー・デップの主演映画が話題になることが多い。

ところがこの人の顔をなんだか覚えられないのだ。別に覚えなくともいいのだが、しかし、妙にジョニ・ーデップという名は忘れられないのだ。そこが不思議である。

実はジョニー・デップという名を聞いたのはかなり以前のラジオのNHKドイツ語講座かフランス語講座だった。

詳しいことは覚えていないが、若い女性と男性の会話かなにかで女性がジョニー・デップとならデイトするけれどとか何とかいうほんの短い会話である。

そういう俳優がいることも知らなかったころのことで、それでジョニ・ーデップという名がなぜか頭に残った。

このごろはジョニー・デップの主演の映画がときどきテレビで見ることができるが、映画館での映画で彼を見たことはない。

昨日、テレビでまた上映されるとPRされていたのは前に見たことがある首なし人間が殺人を犯すというテーマの映画である。題名はまったく覚えていない。

その映画ではジョニ・ーデップは事件解決のためにニューヨークから来た刑事を主演している。もちろん現代の話ではなく少し古い話であった。この話は神秘的なところのある、胆の冷える話であったと思う。

そこがSeven years in Tibetの主演の俳優の顔を忘れないのに、名前を思い出せない(これはBrad Pittでした)というのとまったく違っている。


「意味はない」という演技

2008-10-04 12:27:03 | 映画

先日、朝日新聞で俳優の香川照之さんのエッセイを読んだ。それは黒沢清監督の映画に出演して演技指導を受けたときの話である。ある演技をするように黒沢監督は言った直後に「この行為は特に意味はありません」とつけ加えたという。香川さんにはこれがある意味でショックというか新鮮に思えたという。

俳優さんはどこかの劇団に所属してその役割の心境なり、歴史なり、背景なりを自分で考えて役を演ずるようになるのが、普通だと思う。どなたかの回想にもそういうことをしなくてはいけないということを知ってはじめて役者というものがわかってきたというようなのがあった。

ところが、黒沢監督の指示は一見すれば、これに反するように思える。だからこそ、香川さんは新鮮に感じたのだろう。だが、それだけのはずはない。だとすれば、黒沢監督の「特に意味はありません」というコメントは何を指すのだろうか。その辺はエッセイには書かれていないのでこちらの想像に任されている。

あまり深刻に考えるなということで「自然体で演技せよ」ということなのか。はたまた、そう突き放すことでかえって自分で考えることを促しているのかよくわからない。確かにそれによってある種の新感覚を呼び覚まそうとしているのかもしれない。しかし、真意は私にはわからない。


靖国神社

2008-08-04 11:23:35 | 映画

政治に関係したことはこのブログではできるだけ触れないことにしている。それで今回の靖国神社も映画「Yasukuni」の感想である。

昨日市内の某映画館で映画「Yasukuni」を見た。前評判として右翼が東京で上映反対運動をしたとかであったが、見ての感想は特に国辱ものだとの感じは持たなかった。むしろありのままの靖国を報じていて、その判断は見る人に委ねられていると思う。右翼がむしろこの映画の宣伝を喜んでしてもいいくらいではないかとまで思った。半分以上は8月15日に自分たちの行っている行事をそのまま映してもらっているのだから。

中国人の監督が作った映画だが、日本人のスタッフが多くかかわっており、中国サイドの観点からつくった映画だとは思わない。もしそういう人がいれば、その人の公正さが疑われるであろう。後半で昔の記録映画の部分の引用が多かったが、それをもし否定するとすれば、すなわち歴史の事実を否定することになろうし、それについての意見は映画では直には出ていない。

私はむしろ8月15日の靖国神社で起こっていることのルポのような感じをもった。それは日本の全体ではないにしても、確かに現実の日本で起こっていることであることは間違いがない。ひとこと個人的な感想をつけ加えれば、時代が60年以上さかのぼったような感じがした。


炭鉱(やま)は終わらない

2008-02-09 12:24:50 | 映画

昨夜、標題の映画の試写会に行った。これは本来なら妻が出かけるところだが、他に用があったので私が代わりに行ったのだ。

三池炭鉱の歴史というかそういうものだが、1959年に三池闘争があり、労働側の敗北に終わった。また、その4年後の1963年には三池の炭鉱大事故が起こった。そして1997年に炭鉱は閉鎖されて炭鉱の歴史は閉じられた。

この映画で主に取り上げられた1950年代の終わりから1960年代の初めの時期は私の青春時代と重なっている。

私の関心事で言えば、武谷三男が三池炭鉱の事故調査団の団長になって大牟田市に行ったということもある。武谷三男は彼の父が炭鉱の技術者であったことから、1911年にこの大牟田で生まれた。もっともその後の彼と大牟田の縁はそれほど深くはないが、それでも一つの縁があったわけだ。

それでこの映画にも関心があったのだが、見てみるまではどんな映画かは知らなかった。三池炭鉱の組合側の立場から描いた映画ではないかと思っていた。もちろん炭鉱労働者の証言は欠かせないが、それだけではなく会社側の人や三池炭鉱の第二組合に入った労働者にも取材をしていてその点が興味深かった。

会社の方針をはっきりとは描いていないが、労働者1400人の一斉解雇とは過酷な方針だった。しかし、それだけではなく組合側というか総評側の団結の指令もかなりきついものがあった。会社側は220億円の金を使い、組合側も22億円を費やしたという。「総資本対総労働」という懐かしい言葉も出てきた。

闘争の経過で第二組合がつくられた。私などの当時の印象では第二組合を組織するなど会社の回し者というか労働運動に対する裏切りという印象が強かったが、それにしてもそういう第二組合へと走った個々の労働者にはそれぞれやはり事情があった。

もっともこの闘争を指導した向坂逸郎氏が間違っていたのではないかとの関係者の証言もあった。墓の下で向坂さんくしゃみをしているかもしれない。

映画監督の熊谷博子によれば、三池炭鉱の歴史を映像としてとして残すことを言い出したのは大牟田の炭鉱の記念博物館(正式名称は失念)に勤める職員だったという。

市の予算を獲得するのに3年かかったという。映画では批判的または批評的な視点はあまり感じなかったが、歴史として残しておきたいという気持ちは伝わった。

三池炭鉱の歴史を大牟田の人たちは誇りに思ってこれからも生きていく。それにしても三池炭鉱は大牟田に何を残したのだろうか。松山でのこの映画の上映は約1ヵ月後である。


風とともにさりぬ

2006-07-13 14:21:38 | 映画

マネキネマが「風と共に去りぬ」を上映している。見に行きたいのだが、少なくとも明日ぐらいしか時間が取れそうにない。上映時間が長いので有名である。女房はすでに友人と見ている。

はじめの1週間は昼の上映で、あとの1週間は夜の上映である。4時間近くの上映時間である。6時すぎにはじまって10時30分頃の終了である。長い。でも出来たら明日は見に行こうかな。


愛大名画座

2006-06-18 09:59:19 | 映画

昨日「舞踏会の手帳」という白黒のフランス映画を見た。久しぶりにフランス語の美しい響きに触れた。これでもテレビとかラジオで数十年フランス語の入門コースを聞いているので、かなりの部分が明瞭に聞き取れたが、それでも1/3くらいだろうか。

話はクリスチーヌという女性が夫が亡くなったあとで、自分が社交界にデビューしたはじめての舞踏会のときの手帳を見つけて、そのときに「一生愛する」と囁いた男たちを訪ねてみるという話で、20年後の男達の実情にクリスチーヌは幻滅を味わう。

16歳のときに舞踏会で社交界にデビューして20年後のということだから、クリスチーヌはまだ36歳だが、湖に面したお城のような自宅に住んでいる。お話がどこかのものかはわからないが、どうもスイスかイタリアのコモ湖あたりの雰囲気である。

この映画は上映は愛媛大学の数名の教員の尽力で「愛大名画座」と称して、一月に一回ぐらい上映しているものの13回目だった。新聞にその内の旧知の一人古川先生の紹介が前にあったが、忘れてしまっていた。

ところが宇和川先生を訪ねたときに偶然古川先生に会って昨日の映画会の宣伝ビラをもらった。私のように言葉の勉強のために映画を見に行くというようなのは論外だが、映画はやはり一つの文化であろう。

いま大学は各教員に渡される研究費や旅費は数年前の1/3くらいになっている。それでもやりくりをして研究者は生き残りをかけているのだが、それも難しくなってくる。文化活動を支援するというだけではなくて学問の財政的な支援をどうやってするのか。一番の問題であろう。