物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

情報とその悪用

2013-10-17 12:02:58 | デジタル・インターネット

googleで検索するといろいろな情報が出てくる。それを悪用しようとするといろいろ悪用することもできるだろう。

それは私のように単純な頭の持ち主には想像がつかないようなことである。だから悪用ができるだろうということしかわからない。

一方、このインターネットの情報はもう少し精度のいい情報を得たい場合には役に立たないことが多い。もちろん手がかりを与えはするが、それくらいにしか役立たない。

私は武谷三男の著作目録をつくったが、国会図書館の書誌情報でも十分でないことが多くて、結局自分で彼の著作を購入したり、大学の図書館で実際に本を手にとって見たり、そのコピーを図書館の遠隔サービスで取り寄せたり、場合によっては国会図書館に出かけたりした。

私はそれほど頻繁に国会図書館に出かけたりすることはないのだが、それでも数回そこへ出かけたことはある。そしてそこでコピーを依頼したときに著作権の保護のために本の武谷が書いた部分のページの半分しかコピーが提供されなかったことがある。

法律的にはそれが正しいのだろうが、なんだか私には意地悪をされたように感じた。もちろんこれは私の主観的な思いであって、法律的には図書館の方が正しいに違いがない。


google

2013-10-15 12:31:02 | デジタル・インターネット

日曜日に新聞の読書欄で香辛料のクローブclove(英)というのが出てきたので妻に聞いたら、すぐにスマートフォンでgoogle検索をしてくれた。

釘のような形をした植物の花か実だかとであるという。そしてフランス語でclouというと教えてくれた。それでフランス語の辞書を引いてみたら、確かにclouで釘という意味である。

un clou de girofleで「クローブ、丁字(香辛料)」と仏和辞典にあった。この釘clouの発音はフランス語ではクルゥと発音する。

というように妻がおもしろがって、最近はgoogleづいている。子どもの嫁がやはり子どもが「直ぐに何でも検索をするのですよ」と言っていたが、親子はこんなところにも似るのだなと思っている。

そういえば、まだ大学に勤務していたころ、付属図書館の職員が「図書館のライバルはいまではgoogleですよ」と言っていた。これはもう10年以上前のことであるから、この図書館職員さんはなかなか卓見の持ち主であったと思う。

一時、検索サイトとしては日本ではyahooが勢力を張っていたが、いまでは私などもyahooで検索をすることもたまにはあるが、ほとんどgoogleで検索をする。

たぶん、googleには中国政府のような都合の悪いニュースを排除するということはないのであろうが、もしgoogleがそのような悪い意図をもったら、ちょっとgoogleの一極支配は怖いことになる。

世界中で情報検索はgoogleで行われているのだから。


クラウド・ファンディング

2013-07-29 13:39:47 | デジタル・インターネット

クラウド・ファンディング(crowd funding)という語を知ったのはNHKのTEDカンファランスで、あるアメリカの歌手の方がCDやDVDを出さないで、生の演奏会で聴衆から少しだけ資金を出してもらうというか謝礼をもらうという経験からはじめたと話をしていた。

7月27日の朝日新聞にそのクラウド・ファンディングの種類とか説明が出ていた。

それによると

1) 寄付型

2) 購入型

3) 投資型

の3つに分けられるという。

私もこれとは違うのかもしれいないが、一つ経験したことがある。それはWiki-Pediaをあるときに検索したら、数千円の献金を要請されていた。それを無視してもよかったのかもしれないが、そのときはなるほどと思ったので、額は忘れたが数千円の献金をした。

これはクラウド・ファンディングではなくて、ネット献金であるかもしれないが、こういうことを経験をした。

私はe-Learningのコンテンツをつくっているが、まだこれをインターネットに展開できるようにはなっていない。こういうネット献金とかクラウド・ファンディングとかで資金が得られたら、それが可能になるかもしれないなどと考えている。

もっとも献金を強制するのは嫌だし、あくまで自発的にお願いするのが筋であろう。

もし100万円(のオーダー)であれば、一人1、000円の献金としても1,000人の人が献金がなくては達成ができない。

1、000人の広がりはどうも達成できそうにないから、ネット献金によってもクラウド・ファンディングによっても、私のe-Learningのインターネット展開は難しそうである。自分の資金をもってそれくらいの額ならなんとかなればいいのだが、それもままならない。


惑星整列と?

2013-07-19 13:14:56 | デジタル・インターネット

先日テレビで映画を見ていたら、これが惑星整列という現象と絡ませた事件が起こるという映画であった。

それとは直接関係がないのだが、ブログの回数が2222という数字がならぶときに近づいてきた。まだ5~7回くらい書かないと惑星整列ならぬ、2222という数字整列にはならないが、こういうときは珍しいのでちょっと心待ちにしている。

そういう趣向を好む人は世間にいると見えて、たとえば1999年9月9日9時9分とかそういう数字が並ぶときを記念したものを手に入れようとするとかいうことがあるようだ。

なんでもないことだが、人間にはそういうことを好む性質があるらしい。

ちなみに今回は2217回である。


年を入れるには

2013-06-24 12:03:08 | デジタル・インターネット

「年を入れるには」とブログのタイトルをしたが、これはかなり説明を要する。

武谷三男の著作目録をつくって、「素粒子論研究」に発表したのは2004年のことである。

その何版かのときの感想を寄せられた西條先生によれば、著作の番号の他に西暦で年を入れて、どれだけの著作が何年にでたかわかりやすくした方がよいとのアドバイスを頂いた。

その方がよいことはすぐにわかったが、そのときにlatexでどうしたらよいかわからなかった。それでそのままになっていた。

最近になって私の先生の、小川修三さんの量子力学の講義ノートを小川夫人がコピーして送ってくださったが、その内容目次をlatex入力しようとしたら、節の番号が講義ノート全体で通し番号がついていた。

すなわち、節の番号は、章の番号とは無関係な講義ノート全体を通しての通し番号であった。それでどうしたものかとlatexの本をよく読んだら、ようやくそのやり方がわかった。

それで、その方式を現在作成中の遠山啓著作目録にも適用できるようになった。元の武谷著作目録をその方式で修正するのはもう少し先になるが、ようやく西條先生のアドバイスを生かす可能性ができた。

ちなみに、武谷著作目録の一番新しい版は第4版であり、素粒子論研究電子版で見ることができる。だから、修正版はこれの第5版となるはずである。もっともこれはまだ全く準備もしていない。

もっともこのことは私に心理的な後遺症を残している。

というのは遠山博士の著作目録に年を入れられるようになって、自分のことを顧みてちょっと寂しくなってきた。いままで70数年を生きてはきたが、ほとんどそれらの間に大したことができなかったと気がつく、きっかけになったからである。


パスワード

2013-03-13 12:00:41 | デジタル・インターネット

最近ではパスワードなしではすまない世界となっている。ところがどうもパスワードがとても大きな問題となっている。

というのはパスワードを間違えてなんでもうまくいかなかったり、時間をロスすることが起こっているからである。

私も昨日と一昨日にetaxで確定申告をしようとしてパスワードが最後に間違っているということで書類が提出できないということが起こった。

だから時間にしていうと5.6時間をロスしているわけである。これはパスワードがどこかに記録をしているのだが、それの前のパスワードを使ったために起きた時間のロスである。

はじめにパスワードが違っているよと教えてくれればいいのだが、そうではなくて最後に書類を提出しようとしてパスワードが違っていますよといわれてもロスした時間は戻ってこない。

まちがって5回か6回打ち込むとロックされるということはひょっとすれば、改善をされているかもしれないが、どうも気の重いことである。

先日、フランス語のラジオ講座で3回間違えてパスワードを入れたら、カードがATMの機械に飲み込まれたという状況をやっていた。もちろんそのカードは後で銀行の支店に行けば返してくれると話されていたが、どこも面倒なことには変わりがない。

もっともクレディットカードとかキャッシュカードは他人が簡単にお金を引き出せないようにしてあることが重要ではあるが、なんとかならないものか。

それとは違うが、仕事場の宅急便を受け取るボックスのパスワードを忘れてしまって困ったことが最近あった。管理人さんに自分のパスワードを聞くという羽目になってしまった。


latexの再開

2013-03-04 13:39:21 | デジタル・インターネット

昨日、長男夫婦が帰郷してくれて、私のパソコンのlatex環境を整えてくれた。おかげでまたlatexが使えることになり、「数学・物理通信」の3巻1号を編集する環境がようやく整った。

編集作業はまだ数日はかかり、その後に投稿者に原稿の検討を再度行ってもらうので、発行はかなり遅れるが、いくらおそくても3月中には発行のつもりである。

原稿はすべて整っており、編集後記も共同編集者の N さんからすでにもらっている。後は私の作業だけとなっている。しかし、長男夫婦がこの仕事場を宿泊所にしているので、ここ数日は作業が私の思うようにはできない。そういう特別な事情がある。

読者や投稿者にはしばらくお待ちいただきたい。私自身の投稿についていえば、この3巻1号に「四元数と空間回転3」を載せる予定であり、つづきの「空間回転4」を現在書いている。そのあとで「空間回転5」で「四元数と空間回転」は打ち止めの予定である。

四元数そのものに関しては球面補間とかの話題があるので、それを書くのか書かないのかそれが問題である。気持ちとしては書きたいのだが、どうもシリーズが長くなりすぎるかもしれない。

la tex環境に話を戻すと、winshellからエディターの秀丸へと変更がなされたので、また慣れるのにちょっと時間がかかると思うが、以前にla texで秀丸を使っていたように思うので、何年かの空白を経て、もとの秀丸に戻ったということになるのだろうか。

(2018.4.16 付記) 「四元数と空間回転」は 5 では終わらず、6 まで書いたと思う。『四元数の発見』(海鳴社)としてまとめたときには「四元数と空間の回転」というタイトルの章は「四元数と空間の回転3」までにして、後の4-6は四元数とは関係なかったので、独立のタイトルをつけた。ここで、ちょっとPRしておくと2014年10月1日に上記の書を発行した。

 


パワーポイントも必要だ

2013-02-14 16:46:36 | デジタル・インターネット

2005年にパソコンを購入した時には、エクセルももちろんパワーポイントも標準装備でマイクロソフトオフィスの中には入っていなかったが、今年買ったパソコンの中にはこれらが標準装備されている。

8年の年月の中で当然とされることがそれだけ広がってきたということであろう。当然といえば、当然だが、世の中の進歩とはそういうものであろう。

昔、技術者をしている義弟がワードの使い方を学んでその当時は一太郎が全盛時代であったと思うが、なんでもアメリカが全力を出してくるとなかなかつらいねと言っていたことがある。

私なども一太郎の愛好者であったが、いまではlatexとワードで間に合っている。latexは数式を入力したい者にとって必須のアイテムになっているだろう。

図の入力がlatexの難点だという話は聞いたし、それには違いないが、それでもlatexに代わるものが今後出てくるのかどうか。

latexははじめ使い方に慣れるのが難しいとは言われたし、まことにそうではあったが、いまではlatexが使えないと手足がもがれたような感じである。

いまはまだ前のパソコンが動いているので、なんとかlatexを使えているが、それでもインターネットとそちらはつながっていないので、pdfにして送ることができない。


当惑中

2013-01-28 12:50:31 | デジタル・インターネット

昨日、新しいパソコンが入ったが、機器が新しくなったので今までできたことができなくなっている。対応した機能はあるはずだが、どうやったらいいのかが明らかではない。

このブログでも前にはなんてなかったことが、いまこの新規作成の画面に到達するのに大分時間がかかった。今回はなんとか到達したが、時間にうまく到達できるかもわからないような状態である。

まさに当惑中という表題が誇張ではない。ブログ2000回をクリアしておいてよかった。一応今回入力できるようだが、続けてルーチンワークにできるかどうかはわからない。

latexの方もいつになったら、使えるようになるか見当がつかない。だから、仕事にはならないのだが、どうもパソコンを持ってきて設置をしてくれた業者は私の今までのファイルの移植には全く関わわってくれないし、私はまったく途方にくれている。


パソコンの寿命

2013-01-24 12:57:41 | デジタル・インターネット

人間に寿命があるように、パソコンにも寿命がある。年末から新年に帰って来た子どもから、8年目のパソコンがいつ壊れても不思議ではないと言われたので、明日は新しいパソコンを買いに行くことに決めた。

まだ、動かなくなってはいないが、寿命が来るのもそんなに先のことではないだろう。それで明日にでもedionに出かけて新しいパソコンの購入をしたい。

昨夜は12時を過ぎて1時間ほどコタツの中で寝た後で、布団に入って眠ろうとしたが、眠れない。それでまた階下のコタツで本を読んだ。夜が明けてきたのでまた2階に上がって眠ろうとしたが、寝たという感覚がない。それでも10時半過ぎまで寝床にいて、休んだが、起きて遅い朝食を取った。

そのときに妻に明日はパソコンを買いに行こうと言っておいた。というのはカードをもっているのは彼女で私ではないからである。

それでもまだこのパソコンの寿命がいくらか続くようなら、これを妻に譲ってしばらく使ってもらうつもりである。というのは彼女の使っていた、アップルコンピュータは半年ほど前に壊れてしまった。それぞれが自分のコンピュータを購入できるほど収入があればいいのだが、どうも年金生活ではそれもままならない。

1カ月ほど前に少しだが、以前に翻訳した本の印税が入ったので、それを原資にしてそれに自分の家計から、補足してパソコンを購入するつもりである。

印税などというものの音沙汰なしなので、もう払ってくれないのかと思っていたら、はからずも少々払ってくれた。定評のある、名著の翻訳なのだが、まだ1、400部くらいしか売れていないという。

定価が4,500円位するからあまり売れないのだろう。それも上、下巻では1万円近くもする。程度が高い本なので、大学で教科書として使ってくれている大学は1大学だけだという。


ブログの管理

2012-12-17 10:55:43 | デジタル・インターネット

ブログにはもちろん私が書く記事があるが、それだけではなく読者の人のコメント欄がある。

このコメント欄は大抵の場合は問題がないが、それでもあまり私から見て望ましくない、まったくブログとは関係のないコメントがある種の広告として入ることがある。

そのときにはそれがあまり悪質なものでなければ、削除の措置をするが、いわゆる良序公俗に反すると思われるようなものの恐れがあれば、指定をしてアクセスというか投稿禁止の措置をとっている。

それ以外にこれはいわゆる良序公俗に反するわけではないが、ある種の言いがかりをつけられることも私は好まない。その種類のことは一番頭が痛いが、本人は言いがかりだとは思われてない場合もある。

それで多くのコメントを削除するということも起こりうる。いまのところはそういう措置を取らざるを得なくなった例は1件だけであり、それほど困った事態が起きたことはない。

昨年だったか1週間か10日ほどブログを自主的に停止するという事態があったが、その後は都合が悪いコメントは強制的に削除をする方針である。

もちろんブログへの批判をまったくさせないという意味ではないが、その批判があったとしても理性的 (vernunftig: 実は理性的という語よりもvernunftigの方が先に頭に浮かんだ) なものであることをお願いしたい。

それからトラックバックという欄もあるが、これもときどきCMの類や公序良俗に反するものがトラックバックされる。これもコメント欄と同じ措置をさせて頂いている。もっともある時期にこういう措置を頻繁にとるとその後はそういう類のものが一時的に少なくなるから不思議である。


クラウドは権力の集中化を招かないか

2012-12-08 15:06:42 | デジタル・インターネット

「クラウドは権力の集中化を招かないか」というのが、私の昨夜のNHKのBizプラスを見ての不安であった。

確かに自分たちの会社がなんでも所有するというとその費用が大きくなって、利益が上がらないからクラウドコンピューティングが省エネになったり、施設への投資とか人員への資本投下をしないので、会社が利益を上げやすくなるという。

だが、「クラウドは権力の集中化を招くかもしれない」という恐れがあるような気がする。その辺は実際はどうなのだろうか。現に車のメーカーのトヨタはクラウドを導入しているそうである。しかし、この恐れはまったくないのか。

それと私の子どもなども IT 関連企業の一つに勤めていたりするが、彼が仕事がなくなったりはしないのだろうかという恐れも持った。これは本人に電話をかけて聞いてみようと思った。クラウドなどと技術概念を認めないというのではないが、その対策を早くしておかないと多くの人が仕事を失うということではまったく浮かばれない。

だから、もちろんクラウドとかいうアディアが浮かぶことは大いに結構だが、それに対する利害得失を考えて前もってその害の方には対策を立てておく必要があると思われる。

それとどこかに集中してしまうと大災害のときに損害をそこが受けてしまうと機能が麻痺してしまうという恐れもある。それは多分かなり遠くはなれたところにバックアップセンターをつくるとかしているかで問題をクリアしようとするのであろうか。

集中と分散というのは昔から大いに問題であって、パソコンが出回る前はコンピュータは集中方式であった。それがパソコンの普及である程度分散システムが普遍となった。もちろん、銀行のATMシステムなどは集中方式であろうが、それだけで十分なのだろうか。

国家の安全の問題もあるし、資本の独裁という恐れもある。よくSF映画である権力的な人がすべてを握った会社をつくり、それに対抗する人たちがその強大な権力とか機関に抵抗するという映画だったりする。そんな心配は皆無だろうか。

クラウドと聞いて過剰反応だろうが、そんなことを考えた次第であった。

(2012.12.11付記) このブログを書いた後で、クラウドをwikipediaで検索をしてみたら、ここで書いたような欠点というか恐れとかはすべて書いてあった。もっと徹底的に問題点を指摘してある。私がそんなことを知らなかっただけであった。でも自分でそういうことを考えついたからこそ、問題点の指摘にうなずくことができた。


入力の変換ができない

2012-12-01 11:54:01 | デジタル・インターネット

いまさっきこのブログの入力をしようとしたら、英字しか入力できなくなっていた。あわててどこが悪いのか探したのだが、わからない。そのうちにキーボードの変換のところを押したら、元のローマ字変換にもどった。

学生のころに英文タイプライターの打てる練習をしたことがあって、それでローマ字変換のほうが便利である。もっともブラインド・メソッドは身につかなかったので、いつもキーを見て打っている。

英文タイプライターを学んだ人はワープロにもパソコンにも取り付き方が速かったと聞いている。妻が昔アルバイトで勤めていた新聞社の事業部長さんは英文科の出身だったとかで、ワープロがまだ珍しかったときだが、ワープロを使っていたと聞いた。

それはまだ、いまのようなインターネットもパソコンも普及していないころのことであるが、ワープロ専用機で文書をつくっていたらしい。もっとも勤めが新聞社とあっては文章を書くことは、事業部に配置されていても、お得意のものではあったろう。

パソコンの設定を変化させたつもりはないのに作業をしているうちに、どこかのキーボードを押すことなど日常茶飯事であろう。よくそのサインが点灯するのはニューメリックのところである。これはもう慣れたから、もう一度ニューメリックを押して解除できるようになった。

もう一つよくやるのは大文字のロックキーを押すことである。これははじめはわからなかったが、そのうちに大文字のロックがかかっていることがわかるようになった。

だが、ときどきまったくわからなくなることがあって単なるパソコンのユーザーである私は困ってしまうこともある。ただ、それでもパソコンが壊れることはないので、大抵は困るくらいが関の山である。これは車が乗っていて滅多に壊れることがないのと同様である。

私の先生のMさんがオーストラリアのキャンベラに研究留学していた1960年代のはじめは車は毎朝検査をしなければならなかったと聞いた。彼は毎朝自分の車を点検するだけではなく、隣のアパートの住んでいた、大阪大学の川口正昭さんの車まで点検をされるので、川口さんからいつも感謝されていたという。


Twitter 依存症

2012-10-25 11:31:51 | デジタル・インターネット

先日のNHKの7時のニュースの直後のクローズアップ現代でTwitter 依存症を取り上げていた。

こういう病気にかかる人が結構多いということらしい。私はTwitterもfacebookもやらない。SNSで仕事も転職もうまく言ったなどという話もないわけではないが、そういううまく行く話ばかりではないらしい。

ブログも中毒になる可能性がないわけではないが、幸いなことにコメントがあまりないので、そのコメントに応えて頑張るということはあまりないので、中毒まではいっていない。

もっともTwitter 依存症の警告では一日のTwitter に使う時間を20分以内に限るという厳しいこととを言われていたので、それ以上の時間を使っている私は立派な中毒かもしれない。自分で注意が肝要であろう。


インターネット故障

2012-09-19 11:34:10 | デジタル・インターネット

一昨日の午後からインターネットが接続できなくなった。

自分のホームページの「電気電子工学科ミニマム」という数学のまとめを久しぶりに開いてながめているうちに、そのページを閉じずに他の作業を始めてしまったことがトラブルの原因だったらしい。

NTTの回路事故係に電話したところ調べてくれて回線の故障ではないことがわかり、それでオフラインからオンラインに戻す方法を逐一親切に教えてくれたので、復旧できた。やれやれ。

ドイツ語ならGott sei Dankというところだ。ゴット ザイ ダンクは直訳すれば、「神に感謝あれ」とでもいうことだろうか。

この言葉は私が存じ上げていた、ある医学者がよく使っていた言葉であった。彼は私が知っている頃はW”urzburg大学で研究をする解剖学者であった。

なかなか朗らか方であった。秋田大学に勤めておられたが、その後琉球大学の解剖学の教授になられたと思う。その後、金沢大学に勤められたと思うが、どうもそこらへんから記憶と情報が定かではない。

ドイツ語やフランス語にも堪能な方であった。あるとき、家族でW”urzburgを訪ねたときに丘の上の教会でたまたま、出会ったがそれ以来もう何十年も会っていない。

実はお名前も田中さんだったかなと記憶は怪しげになってしまった。確か東北大学のご出身だったと思う。