数学は一つの言語だという考えをこの間のM大学の基礎物理学の授業で話した。
そういう考え方で数学に対して一般学生のもつアレルギーを少しでも減らしてもらいたいと思ったからだ。だって、数式が一つ出てくると思考停止におちいるのは困る。
数式だってなんらかの意味を持っているのだし、それを一つ一つ調べていけば普通の人にも分かるはずだから。
それで有名な例はランスロット・ホグベンの「百万人の数学」の冒頭に出てくる。
フランス百科全書派のディドローが数式がわからないために神の存在を証明したというオイラーの提出した数式に眼がくらんで当時滞在していたロシアの宮廷から逃げ出してフランスに帰ったという話である。
とてもありそうな話で身につまされるが、遠山啓によれば、これはホグベンのフィクションだろうという。というのはディドローは数学の論文も書いているという。
ホグベンはもちろんこのオイラーが神の存在を示したという式を言葉で解説して、それがもちろん神の存在とは関係のないことを示している。
しかし、世の中には数学は一つの言語だという考え方に同意しない人もいるに違いない。では数学は何だといわれると困るが、数学は一つの思想だというのがそれであろうか。