(掬水泉 岐阜県養老郡養老町 名水百選47番)
養老の滝近くには、菊理媛神(ククリヒメノカミ:白山比神)を祀る養老神社が鎮座する。その社殿の下からは、泉が湧き出ている。
奈良時代、水がお酒になったという「養老孝子」によってこの地を行幸した、第四十四代元正天皇(日本根子高瑞浄足姫天皇・ヤマトネコタマミズキヨタラシヒメノスメラミコト・第四十五代聖武天皇の伯母)は、「醴泉(れいせん:酒)は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」という詔(みことのり)を出し、「養老」に改元したとされるのは、養老の滝ではなく、この菊水泉だという言い伝えもある。元正天皇は、滞在中この泉の水で沐浴し、この地に住む孝子、順孫、義父、節婦に褒美を授け、税を免除したのだという。
この後は、元正天皇行幸遺跡(行宮神社)を通り、北へ向かった。
養老の滝近くには、菊理媛神(ククリヒメノカミ:白山比神)を祀る養老神社が鎮座する。その社殿の下からは、泉が湧き出ている。
奈良時代、水がお酒になったという「養老孝子」によってこの地を行幸した、第四十四代元正天皇(日本根子高瑞浄足姫天皇・ヤマトネコタマミズキヨタラシヒメノスメラミコト・第四十五代聖武天皇の伯母)は、「醴泉(れいせん:酒)は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」という詔(みことのり)を出し、「養老」に改元したとされるのは、養老の滝ではなく、この菊水泉だという言い伝えもある。元正天皇は、滞在中この泉の水で沐浴し、この地に住む孝子、順孫、義父、節婦に褒美を授け、税を免除したのだという。
この後は、元正天皇行幸遺跡(行宮神社)を通り、北へ向かった。