(岐阜県可児郡御嵩町)
可児川を渡ると、中山道五十番目の伏見宿に差し掛かる。この地は可児市に両側を挟まれた御嵩町。産廃場問題や、古くからの宿場を要する伝統あるまちでもあるため、平成の大合併の際ご和讃となったところである。古い町屋もみられるが、早くから街道が幹線道路となったため、往時の面影は少ない。また、町も隣宿御嶽に主体を置いているようだった。ただ、兼山道との角に、宿場モニュメント的な場所を設けている。
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伏見宿は、元禄七年(1694)にそれまでの太田宿対岸の土田(どだ)宿(可児市土田)を、木曽川の渡し場変更に伴い移転した宿場であり、往時は本陣、脇本陣各一軒、旅籠は二十九軒存在した。
この後は、飛地可児市となった、旧兼山町へ向かった。
可児川を渡ると、中山道五十番目の伏見宿に差し掛かる。この地は可児市に両側を挟まれた御嵩町。産廃場問題や、古くからの宿場を要する伝統あるまちでもあるため、平成の大合併の際ご和讃となったところである。古い町屋もみられるが、早くから街道が幹線道路となったため、往時の面影は少ない。また、町も隣宿御嶽に主体を置いているようだった。ただ、兼山道との角に、宿場モニュメント的な場所を設けている。
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伏見宿は、元禄七年(1694)にそれまでの太田宿対岸の土田(どだ)宿(可児市土田)を、木曽川の渡し場変更に伴い移転した宿場であり、往時は本陣、脇本陣各一軒、旅籠は二十九軒存在した。
この後は、飛地可児市となった、旧兼山町へ向かった。