(静岡市葵区馬場町)
山田長政の出生に関しては諸説あるが、駿府説としては、天正十九年(1591)浅間神社参道馬場町にあった、紺屋(染物商)津ノ国屋山田友山と安倍郡藁科村寺尾惣大夫の娘の間に生まれたとされている。その後、沼津藩主大久保忠佐の駕籠かきとなり、慶長十七年(1612)朱印船(海外交易に使用する船)に便乗しシャム(タイ王国)に向かった。そして、日本人傭兵隊に加わり、後にアユタヤ日本人町の頭領となったといわれている。
山田長政の出生に関しては諸説あるが、駿府説としては、天正十九年(1591)浅間神社参道馬場町にあった、紺屋(染物商)津ノ国屋山田友山と安倍郡藁科村寺尾惣大夫の娘の間に生まれたとされている。その後、沼津藩主大久保忠佐の駕籠かきとなり、慶長十七年(1612)朱印船(海外交易に使用する船)に便乗しシャム(タイ王国)に向かった。そして、日本人傭兵隊に加わり、後にアユタヤ日本人町の頭領となったといわれている。