(愛知県豊橋市大岩町火打坂 1990年12月15日)
この日は、豊橋市地下資源館見学の後、背後にある火打坂古墳群を踏査した。22基からなる後期古墳であるが、滅失したものや規模が小さいため不明確になっているものが多い。付近は地名の由来でもある火打石(チャート:江戸時代以前の発火材料)が散見しており、墳丘にもそれら石が含まれている。また、一部の古墳には、埴輪を有しているものもある。
この日は、豊橋市地下資源館見学の後、背後にある火打坂古墳群を踏査した。22基からなる後期古墳であるが、滅失したものや規模が小さいため不明確になっているものが多い。付近は地名の由来でもある火打石(チャート:江戸時代以前の発火材料)が散見しており、墳丘にもそれら石が含まれている。また、一部の古墳には、埴輪を有しているものもある。