flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

芥見

2005-11-22 22:25:16 | 街道・宿場町
(東山道 飛騨越中街道 郡上街道 岐阜市芥見 2005年3月27日の日記から)
この日は午前中に「セントレア」へ行き、最新の構築物を目にして、今月限りで過去の物となる軌道電車の走る地へと向かってみた。
無くなることが無ければ、有り得ない程の乗客。老若男女、大勢の人でごった返していた。
沿線路傍では各所で何百人ものカメラマンで、こちらが恥ずかしくなる程の光景であった。

 古来東山道が通り、後に飛騨、郡上街道が通った芥見の地で、津保川を渡る電車の姿、古代から名の見えるこの地の景色も、また変わろうとしていた。


(関連記事:小屋名道標 美濃町線
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太郎丸

2005-11-22 00:49:47 | 漂い紀行

 私がこの地名を知ったのは、1982年頃。太郎丸古墳が存在することを知ったときである。それから20年以上の年月が流れ、ようやく訪れることができた。
 岐北のこの地域は山県市や関市にほど近く、早くから住宅団地として開かれたようである。
点在する民家、地区を見守る鎮守、年季を感じるあらゆるもの…昭和時代そのものの面持ちがある。先に行われた万博時代頃の構築物が今となっては時の流れのメモリとして感じられた。

 太郎丸から山県岩という所へ抜ける「峠」には小丘上に太郎丸古墳がある。円墳であるが埴輪を有し、地域有力者の墓であったであろうと想像する。今は雑木に埋もれ、静かに眠っている。この辺りの時代の速度に伴うが如く…。

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向山トーチカ

2005-11-21 22:35:22 | STRUCTURE-構造物残影-
(愛知県豊橋市向山町)
 鉄筋コンクリート製の簡易陣地のことを、軍事用語でトーチカという。
ロシア語で「点」という意味を表している。四角形や半円状の構造を成しており、中から攻撃できるよう小さい窓を設けている。

 「向山トーチカ」は、明治42年(1909)陸軍第十五師団工兵第十五大隊が豊橋向山に創設され、その後このトーチカも構築された。終戦と共に、戦いの痕跡となったが、昭和42年(1967)「豊橋工兵隊の跡」の碑としてトーチカ跡の上に建てられ、戦時中を振り返る碑文と共に、高台の向山緑地内で過去の痕跡を今に伝えている。


 HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/mukaiyama-tortica.htm
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おーいナカムラ君

2005-11-20 21:39:19 | まちの違和感
 今日、バスに乗っていると、運転手から「旧姓ナカムラ君ではないですか?」
と言われた。
当然違うので「違いますよ」と言った。
「あまりに似ていたので…」
然し、実は以前、全く違う場所で、見ず知らずの人に「旧姓ナカムラさんですよねぇ」と言われたことを思い出した。
「旧姓」というのも印象的だが、ナカムラという名前には何があるのだろう。
母の旧姓は確かにナカムラだが…。

何処かの世界で、私に瓜二つの「ナカムラ君」が生きているのは、間違いないようである。
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中川区玉船町界隈

2005-11-20 11:37:29 | 漂い紀行
 中川運河と国道1号線が交差する町。
昭和橋という橋が架かる。
実は、同姓親戚が会社をしている所でもある。
何やら、不景気そうな雰囲気が漂っていたが、それなりに営んでいるのだろう。
この辺りは、運河沿いの小工業、海運業地帯。
よって商店も少ない。
親戚も居宅は山の手に建てたようだった。
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滑られない滑り台

2005-11-19 23:56:52 | まちの違和感

(長野県大町市大町)
 北アルプスの麓、
豊川稲荷神社境内の小さな公園に、この滑り台は存在する。コンクリート剥き出しの、手触りザラザラ滑り台は、まるでサンドペーパーのようである。新しかった頃は滑れたのか?と思ったりする。または、何か表面にコーティングしてあったのだろうか。もっとも、雪が積もると必然的に滑るが…。

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儲けの極み

2005-11-18 21:31:43 | kourei-ki-日記-
 構造計算書の偽造が明らかになった。
それにより、耐震強度の基準値より低いビルが建てられたことになる。
要するに、偽装して得られる儲けのために行われた事件である。
 先日の電気メーカーの談合、橋梁発注の談合。
今でも密やかに、且つ、確実に行われているこれらの事柄。
今この時間も苦笑いする関係者が何人もいることであろう。

写真の建物には、これらのことはないと思うが。

続編:http://blog.goo.ne.jp/kourei-flow/e/920b1ade7fc8905368197c280bf8f996
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伊良湖フラワーパーク

2005-11-18 15:44:13 | STRUCTURE-構造物残影-

(2005年10月3日)
 昭和36年(1961)2月3日、豊橋鉄道が渥美フラワーセンターとして開設した、敷地60,000㎡の植物園である。
園内には、3棟のパビリオンと芝生広場、西洋風花壇、花の散策道等があり、一年を通じて花を観ることができた。また、太平洋を望むことのできる、レストラン等も存在した。
然しながら、場所が他の観光地より離れており、手軽さがなく、来園者が最盛期の三分の一以下にまで減少、平成17年(2005)3月31日をもって閉園となった。
同年10月から同グループ会社による解体作業が始まり、咲く花と同じく、ひとときの思い出のように過去のものとなった。
  
(関連記事:片浜十三里

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佐奈川

2005-11-17 00:45:47 | 水のほとり
 ほの山連峰から流れ出し、三河湾に注ぐ全長約15kmの川。
途中、全く水の流れていない区間がある。
川床に砂礫部分が多く、粘土層が深いところにあるため、増水時以外は水が浸透してしまう。
竃や七輪の木炭の受け皿として、空気道を確保する穴のあいた皿を「さな」(ロストル)という。
その原理に似ていることから、さな川と呼ぶようになったといわれている。

写真は水流が浸透し、伏流水化する境目。
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旧丸三麦酒工場

2005-11-16 00:00:02 | STRUCTURE-構造物残影-

(加富登麦酒 愛知県半田市榎下町 国登録有形文化財)
 明治31年(1898)丸三麦酒(加富登麦酒)工場として築造された、鉄骨併用煉瓦造(一部木造)5階建、延床面積6,983m2(残存5,456m2)の建物であり、設計は横浜正金銀行本店横浜税関倉庫等を手掛けた建築家、妻木頼黄(つまきよりなか)である。ビール醸造工場としての機能特性や湿度を調整する中空複壁や断熱耐火床(多重アーチ方式)が採用されている。 加富登麦酒は大正11年(1922)三ツ矢サイダーと合併し、日本麦酒鉱泉となり、昭和8年(1933)には大日本麦酒に吸収され、昭和16年(1941)にこの工場は閉鎖された。 昭和19年(1944)からは、中島飛行機製作所倉庫として使用されている。そして昭和20年7月15日の空襲によって機銃掃射を受け、北側には大量の弾痕がみられる。 昭和23年(1948)から食品会社の工場となったが、工場移転により平成6年半田市が取得した。
   
 HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/marusan-beer-plant.htm

(関連記事:中部旭紡績半田工場

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江島

2005-11-15 19:11:12 | 水のほとり
(愛知県宝飯郡一宮町江島)
 古来、ほの川の氾濫によって中洲のようになっていたこの辺り。
川沿いの湿地を意味する“江”が地名となってできた江村の名が起こった。
もう一つ、農作物の被害を埋めるべく、鵜を飼い生計を立てていた中洲の村、鵜飼島村ができた。
この二つの村が合併され、その双方一字ずつを取って名づけられたのが江島なのである。

 今もその中洲の村にあった鎮守が、安らかに辺りを見守っている。
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垂井宿

2005-11-15 12:52:07 | 街道・宿場町

(岐阜県不破郡垂井町 2005年1月1日)
 久しく元日に初詣はしていなかったように思う。
伊吹山の麓、中山道五十七番目の宿場町でもある垂井という町を訪れた。当時の町並みは七町(約770m)で、27軒の旅籠があったという。
 山は昨日の積雪が頂に残り、この地方の真冬の近さを予感させていた。
南宮大社は美濃国一宮であり、仲山金山彦神社が正式名称。金物の神様である。境内は然程広くはないものの、重要文化財に指定されている社殿が残されている。
 町は静かな佇まいをみせているが、宿場町であったため本陣跡や当時の活気の名残が僅かに残されていた。また伊吹山系からの伏流水による、地名の由来ともなった「垂井泉」がこの辺りの清浄感を高め、私自身の今年の新たな心持ちを創りだしたようであった。
  

(関連記事:垂井追分 赤坂宿 美濃国府跡

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Marubutsu Toyohashi

2005-11-15 00:48:58 | STRUCTURE-構造物残影-
(愛知県豊橋市)
 1950年、戦痕間もない頃に開店した百貨店である。
1971年、西武百貨店が丸物百貨店に対し資本参加、業務提携等が行われた際に増床を行い、地上9階の新館が建造され、21280㎡の店舗面積となった。その後、市街地空洞化により客足が減少、不採算店となり、旧館(本館)の耐震工事が予算的に施工不能となった。更には母体グループの合理化と相俟って2003年8月をもって閉店となった。そして翌年全て解体されたのである。

立地条件からすれば、この地域に欠けている同グループ系列の若者向け商業店舗や雑貨店舗等及び、アミューズメント施設との複合再生を実施する価値もあったのではないかと思われたが…。
 現在も跡地の有効的な再利用は不透明なままである。

(関連記事:新豊橋 豊橋2008年2月
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養老

2005-11-14 22:02:23 | 漂い紀行
(岐阜県養老郡養老町 2004年11月19日)
 この日は、時間の関係でほんの通りすがり、この地の代表名所である「養老の滝」にも立ち寄れなかった。
 養老山脈を背にする風光明媚なこの町には、昭和時代のファミリーを思い出させるディープな遊園地と、一時話題になった迷路が静かに存在する。
 辺りには山脈が作用すると思われる清々しい風が流れ、一時の滞在でもそれを十分感じ取ることができた。

(関連記事:菊水泉 たき道 養老高田
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五色園

2005-11-13 23:29:25 | まちの違和感
 1927年、愛知郡日進村の山林、660,000㎡に造られた宗教公園。
境内には仏教に関わる歴史を再現したコンクリート朔像群が点在する。
これらの像は、開園当時からのものである。
1934年、開園者が園内に寺院を創立し、単立の五色山大安寺とした。
以前は訪れる者も多かったのであろう、茶店等の名残や、朽ちた建物等があり、ある意味バブル的な要素を見せる。
今は全てが閑散とし、境内に広がる墓群の魂たちが、静かに眠っているようであった。

  
  

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