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flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

信楽

2005-11-05 02:14:05 | 街道・宿場町

(滋賀県甲賀市信楽町)
 日本六古窯の一つ、信楽へと向かった。列車で名古屋迄はよいが、以降はスローモードとなる。約50分の待ち時間のあとワンマン普通列車で亀山まで70分。更に待ってローカル関西線ワンマンディーゼルカーで柘植へ。そして草津線に乗り換えての滋賀県入りとなった。先月、近隣五町が合併し甲賀市となり、今月誕生した伊賀市と共に忍の時代からの好敵手心が伺える。草津線貴生川での下車となったが、そこまでの4両編成の車内はガラガラ。然し草津・京都方面に向かうにつれ乗客も増えつつあった。  
 貴生川から信楽高原線に乗る。2両のディーゼルカーは約10粁の間、次第に標高を上げ、紅葉のトンネルを次の紫香楽宮跡駅迄続ける。美しい区間であるが13年前の列車衝突区間でもある…。華やかな自然の中に突然の巨大な構築物。第二名神の橋脚である。何故、自動車道建設はこんなにも活気があるのだろう。最もそんな情勢も、永永無窮ではないだろうが…。車内の気温は明らかに下がってきているのが分かった。
 そして標高285mの終点信楽に到着。 ホームに降り立つと、沢山の狸が出迎えてくれ、駅舎を出るとまた巨大な狸がこちらを向いていた。駅前は、陶器販売業が多く、狸が大量に並べられ、人口を超えているのでは?と思う程であった。町の南方、土と炎の神を祠る愛宕山に登り、秋の色を感じとりながら生い茂る木々見て、新羅から伝わったシダラという言葉が「生い茂る」意を持ち、後にシゲルキがシガラキに転訛したという伝説に思い出した。そして未来へ大いなる夢を抱く“紫香楽”の郷を眺めながら、私自身の進路も重ね合わせていたのであった。
       

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鉄筋コンクリート

2005-11-05 00:19:32 | 天祐語録
 大阪で、団地の壁にエアコンの穴を開け、実は鉄筋を切断してしまい建物強度を低下させてしまったという事態が起きた。
私は建築の専門家ではないが、ここが柱なのか壁なのか…という見極めはくらいは誰でもできると思う。

耐火構造物は、年代によって建物スタイルの流行がある。
1960年代前半は、柱を外側に出した外壁装飾を施さない言わば殺風景な造り。
後半になると、外壁タイルを使うようになり、アルミサッシも普及してくる。
1970年代に入ると、柱を内側にする構造が出てくる。
60~70年代の建物は、大量生産的な時代であったため、質より量のウエイトが高く、またこの時期のコンクリートの材質も脆弱であった。
80年代前後からは、耐震構造を備えた鉄骨外壁ユニット式が見え始める。
然し建築、取り壊しが容易な構造。
これ以降、スクラップ&ビルドを前提とした構造物が目立つようになる。
バブルの時代、デザインに拘る時代が来る。
そして崩壊、機能性はあるが極度にシンプルで単一なデザインとなる…。

私の知る、或る建物の責任者が、邪魔だから、この柱を取っ払ってしまおう…という人がいた。
地上4階地下1階の1階片側部分の柱を、室内側に出ている分全部を削るというのである。
そんなことしてしまえば、一溜りも無い。
周辺の人たちは、そうだねぇと、納得の様子。
建物への過信がこれだけあるのかと、ある種幻滅した。

今回の事例、時代によって、建物構造の分別が難しい時期もあるが、どこに力がかかっているだろうかは専門家ならば見極めなければならないだろう。
コメント (4)
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