それぞれの神社仏閣には、それぞれの参拝作法がある。
私は、神道、仏道に身を置いたことがあるため、作法等は習知しているが、他人の目に対する体裁としてあるものだ、としか思えない光景をたくさん見てきた。
各宗職者は、見た目だけにこだわる習慣だけを身に付け、真気を込める習慣が少ない。
よって私は、形にこだわらない参拝をしている。
立ち止まり一礼、感謝を伝えた後、パワーをもらっているのである。
ただそれだけなのである。
(愛知県南設楽郡鳳来町)
という地名にある、開湯千三百年という湯谷温泉を訪れた。
豊川水系宇連川沿いに点在する旅館。比較的近く、何度か訪れている地でありながら、この温泉に入ったことがない。
今回は、辺りの色づきよりも、身を浸すことを主体としてみた。平地より早く日の暮れるこの地で、山に日が落ちて行くのを見ながら長く浸かっていた。
心にゆとりは持てたが、湯疲れしてしまい、いつもより早く就寝する体力低下気味の私であった…。
(二俣街道 秋葉街道 浜松市天竜区)
今夏、浜松市となった旧天竜市。その中心地二俣を訪ねた。遠鉄線西鹿島の駅を降り、国道を北上、天竜川を越える。更に鹿島と二俣を区切る鳥羽山トンネルを越え、二俣本町へと入る。市とはいえ、末期は人口二万四千人となり、“山間のまち”の状況を呈していた。北遠各地への交通要衝であるためか車の往来は激しい。急ぎ、高台にある女性画家の美術館を訪れ、このまちによって育まれた感性を感じ取った。先日テレビ放送された影響もあって、大勢の観覧者が訪れていた。帰路、その高台と二俣川の間にある栄林寺に参り、そこにある岩窟地蔵を見て、地区の信仰に対する捉え方が分かったような気がした。
帰りの道も、行きと同様敢えて徒歩で西鹿島の駅まで戻り、二俣の風を体で感じ取りながら漫ろ歩いた。
(関連記事:西鹿島駅 北遠春野)
北緯34度37分21秒,東経137度6分21秒、渥美福江の高台、標高約25mに位置し、南西4kmに位置する小中山観測所(いわゆる六階建て)と同様な役割を担っていたようである。
1901年着工された陸軍技術本部伊良湖試験場に付帯した施設として、1919年に開設され、ここでは試験場で発射された試作兵器や、鹵獲(ろかく)兵器の砲弾弾着観測を、俯角式測遠機を用いて行い、天候、風速の気象も観測していた。
構造は、内部幅2.8m、奥行き4.3m、高さ2.7mの小規模な建物である。
観測窓は南東を向いており、射程10キロ弾が飛んでいった方を向いている。
また、屋上は展望台となっていて、北西方向の試験場を望んでいたようだ。
戦後60年を迎えたが、現在でも防衛施設庁の所有となっている。
観測所入口 内部 観測窓
HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/fukue-observation-point.htm
(名古屋市東区白壁)
大正11年(1922)名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設された、煉瓦及び鉄筋コンクリート造三階建て、建物面積は2342㎡(延床面積約7000㎡)で、ネオ・バロック様式を基調としたデザインである。
戦後は、名古屋高等裁判所及び地方裁判所として使用され、昭和54年(1979)に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸一丁目に完成するまで、この地で司法業務が行われた。移転後、国の重要文化財に指定され、復原修理を行い、平成元年(1989)には名古屋市市政資料館(公文書館))として開館、公開され現在に至っている。
(地域関連記事:Nagoya Court 2009 橦木町 主税町 富士浅間神社 徳川園の牡丹 東区の寺院 旧名古屋陶磁器貿易商工同業組合事務所 カトリック主税町教会聖堂)
(関連記事:三輪吉沢)
(滋賀県甲賀市信楽町)
日本六古窯の一つ、信楽へと向かった。列車で名古屋迄はよいが、以降はスローモードとなる。約50分の待ち時間のあとワンマン普通列車で亀山まで70分。更に待ってローカル関西線ワンマンディーゼルカーで柘植へ。そして草津線に乗り換えての滋賀県入りとなった。先月、近隣五町が合併し甲賀市となり、今月誕生した伊賀市と共に忍の時代からの好敵手心が伺える。草津線貴生川での下車となったが、そこまでの4両編成の車内はガラガラ。然し草津・京都方面に向かうにつれ乗客も増えつつあった。
貴生川から信楽高原線に乗る。2両のディーゼルカーは約10粁の間、次第に標高を上げ、紅葉のトンネルを次の紫香楽宮跡駅迄続ける。美しい区間であるが13年前の列車衝突区間でもある…。華やかな自然の中に突然の巨大な構築物。第二名神の橋脚である。何故、自動車道建設はこんなにも活気があるのだろう。最もそんな情勢も、永永無窮ではないだろうが…。車内の気温は明らかに下がってきているのが分かった。
そして標高285mの終点信楽に到着。 ホームに降り立つと、沢山の狸が出迎えてくれ、駅舎を出るとまた巨大な狸がこちらを向いていた。駅前は、陶器販売業が多く、狸が大量に並べられ、人口を超えているのでは?と思う程であった。町の南方、土と炎の神を祠る愛宕山に登り、秋の色を感じとりながら生い茂る木々見て、新羅から伝わったシダラという言葉が「生い茂る」意を持ち、後にシゲルキがシガラキに転訛したという伝説に思い出した。そして未来へ大いなる夢を抱く“紫香楽”の郷を眺めながら、私自身の進路も重ね合わせていたのであった。