(三重県桑名市)
招待をいただき、一年半振り五度目の桑名へと向かった。
過去四回、雨天か曇天の空模様で、日本晴れの日は初めてであった。
駅を降り、未だ行ったことのない七里の渡し場跡の方へ先ず向かってみると、歩行者天国となっていて「桑名の御台所まつり」なる市の催しが開かれていた。その影響もあってか、桑名城三の丸広場は弁当を広げる家族連れで賑わっている。
伊勢神宮遥拝一の鳥居が有名な七里の渡し場跡に到着。
辺りの護岸は整備中であり、揖斐川を通しての対岸の眺めが見え難かった。
東海道四十二番目の桑名は、七里先の宮宿まで海上の経路となり、伊勢の玄関口であった。また、脇往還として佐屋までの海上経路も存在した。

旧東海道を逸れ、六華苑という地元豪商諸戸家の邸宅跡へ向かった。
長屋門をくぐり入苑すると、正面に洋館が目に入る。鹿鳴館と同じ設計者が携わったということである。
建物の中に入り、今尚古さを感じさせない調度、造りを見て、往時の屋主の先見さを感じた。洋館の窓から見える日本庭園。その洋館に接合する日本家屋に入る。広間が連続する縁側から庭を眺めると、以前暫く住んでいた寺を思い出す。
(六華苑記事へ)
六華苑に隣接する同家の煉瓦造三連蔵、現諸戸邸宅を通り、運河沿いを歩いて桑名のまちを後にした。
(関連記事:四日市 四日市宿平成二十年 諸戸水道水源地遺構)
招待をいただき、一年半振り五度目の桑名へと向かった。
過去四回、雨天か曇天の空模様で、日本晴れの日は初めてであった。
駅を降り、未だ行ったことのない七里の渡し場跡の方へ先ず向かってみると、歩行者天国となっていて「桑名の御台所まつり」なる市の催しが開かれていた。その影響もあってか、桑名城三の丸広場は弁当を広げる家族連れで賑わっている。
伊勢神宮遥拝一の鳥居が有名な七里の渡し場跡に到着。
辺りの護岸は整備中であり、揖斐川を通しての対岸の眺めが見え難かった。
東海道四十二番目の桑名は、七里先の宮宿まで海上の経路となり、伊勢の玄関口であった。また、脇往還として佐屋までの海上経路も存在した。




旧東海道を逸れ、六華苑という地元豪商諸戸家の邸宅跡へ向かった。
長屋門をくぐり入苑すると、正面に洋館が目に入る。鹿鳴館と同じ設計者が携わったということである。
建物の中に入り、今尚古さを感じさせない調度、造りを見て、往時の屋主の先見さを感じた。洋館の窓から見える日本庭園。その洋館に接合する日本家屋に入る。広間が連続する縁側から庭を眺めると、以前暫く住んでいた寺を思い出す。
(六華苑記事へ)
六華苑に隣接する同家の煉瓦造三連蔵、現諸戸邸宅を通り、運河沿いを歩いて桑名のまちを後にした。
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