(普通・砂防河川 豊川支流宝川 宝飯郡一宮町)
この川も、とよがわ同様、ほの川が訛って転化した呼び名という説がある。
しかし、一般的な説としてよくいわれているのが、「宝物」からきているという説。
ほの山(本宮山)の中腹で、荒沢川と呼ばれる急な沢のほとりに、中世の頃まで正眼院(後の松源院)という寺院があった。
当時の住職が、お寺をもっと里に近い所に移そうと考え、その移転先を寺の宝物と衣を荒沢に流して流れ着いた所に決めようということになり、衣が流れ着いた所が川の中流、現在の松源院だといわれている。
また宝物は、そのまま豊川まで流れて行ってしまったので、現在の松源院より上流を「衣川」下流を「宝川」と呼ぶようになったということだ。
(関連記事:一宮の大堀)
この川も、とよがわ同様、ほの川が訛って転化した呼び名という説がある。
しかし、一般的な説としてよくいわれているのが、「宝物」からきているという説。
ほの山(本宮山)の中腹で、荒沢川と呼ばれる急な沢のほとりに、中世の頃まで正眼院(後の松源院)という寺院があった。
当時の住職が、お寺をもっと里に近い所に移そうと考え、その移転先を寺の宝物と衣を荒沢に流して流れ着いた所に決めようということになり、衣が流れ着いた所が川の中流、現在の松源院だといわれている。
また宝物は、そのまま豊川まで流れて行ってしまったので、現在の松源院より上流を「衣川」下流を「宝川」と呼ぶようになったということだ。
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