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(関連記事:浦上天主堂)
(カトリック浦上教会 長崎市本尾町)
西九州長崎に到着した。先ず、路面電車に乗り、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、長崎原爆資料館、長崎市歴史民俗資料館を訪れ、続いて浦上天主堂、平和公園(平和祈念像)、原爆落下中心地を訪れた。
(爆心地方面を望む破壊遺構)
浦上天主堂は、明治12年(1879)聖堂を建立したのが始まりである。明治28年(1895)天主堂の建設が始まり、大正時代に入ってようやく完成した。然し、昭和20年(1945)8月9日、原爆投下によって爆心地に近かったこの教会は壊滅し、秘跡儀式の最中であったために、神父信者も命を落とした。
戦後、破壊された天主堂の遺構を保存する運動が起こったが、教会側の意向で処分され、平和公園敷地内及び教会敷地内に一部の遺構と、教会内原爆資料室に被爆した建物の一部及び聖母像片、石像片があり、そして、被爆時の状態を再現した造型が原爆資料館に展示されている。
(関連記事:被爆地長崎 サント・ドミンゴ教会跡)
雨上がりの濃い霧の中を西に向かった。
新幹線での岡山以西は初めてである。広島を過ぎると、閑散とした車内になる。そして、すれ違う新幹線も4両、6両といった単編成が多くなる。新下関を過ぎると、間もなくして海底トンネルをくぐり、陸上からは初の九州入りとなった。
「はよ乗らんといかんですよ」 「…したとですか~」…西国に入ったのだ。
小倉を過ぎ、暫し田園を走ると、西国最大都市福岡博多に到着した。思いのほか狭い構内の博多駅は、九州新幹線開通準備のためか、駅ビル工事がされていた。その下を、かもめ号が入線してきた。各地の濃霧のため、やや遅れているようだった。白いかもめ号(885系電車)の車内は、板貼りの床、革張りの座席で重厚感がある筈なのだが、新幹線の後に乗ると、いささかオモチャのように感じてしまうのであった。
更に西に向かい、佐賀平野を走る車窓からは、静かそうな集落が見える。海抜が低いのか、時折灰色の水たまりのようなものが見えた。そして、霧に覆われた有明海が現れ始めた。辺りは河川が運んだ堆積土砂であるため、何か大きい構造物を築く際には、しっかり潮抜きをして、深い地層からの基礎工事が必要であろうと感じた。更にトンネルを抜けると、辺りが暗くなった。空は曇天、霧が深く、干潟も灰色…その霧の流れ具合が、大河ドラマの一シーンように不自然に見えた…。
午後一時過ぎに遅れての長崎到着。市電に乗り、まず平和会館、歴史民俗資料館、原爆資料館、原爆死没者追悼平和祈念館、浦上天主堂、平和公園、原爆落下中心地などに足を運んだ。
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