京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

粗食に味覚を

2008年10月11日 | 日々の暮らしの中で
「なんか油っこいものが食いてえな」
そんな欲求には、量が多い京都の洋食屋さんが結構合致するのだそうな。
肉汁ジュワーッのハンバーグが脳裏に浮かぶ。知り合いを誘い向かい合う。
ご飯物はオムライスかエビライスを一つで、シェアする。
相手がコロッケ、その半分をもらい自分は初志貫徹のハンバーグを切り分け相手の皿にのせてやる。
こんな愉しい食事はなかなかない。小説家・花村萬月氏のお話ですが。

視覚で「腹一杯」の思いも満たされそうです。
料理は見ておいしくと視覚を頼りにすることは多く、その陰で普段は眠りがちな味覚や嗅覚。
食べにくい、そこに何をどれほど食べたかわからないために満腹感がわいてこない。
味覚・嗅覚には経験の積み重ねがいりそうだとは、ブラインドレストランでの体験者のお話。
(視覚障害者に理解を深めようと、体験できるレストランがあります。)

好きな物を自由に食べることに、周囲が口を挟むことではなさそうです。
が、足るを知って…と言っていますし、はらはちぶんめ。
過剰な豊かさを求めすぎて、「人間」生活すべてにかかわる問題になっても、もったいない。
リセットしかねる機能の破壊には要注意です。

一万歩歩こう、ダイエットしよう、カロリーの概算をしよう、ライフスタイルを変えよう…
目標を掲げることで問題が解決してしまう錯覚を持ちやすいことってあるかもしれません。

食欲の秋、一方で健康増進にまい進する者たちはいるんです。

雨の日も台風が来ていても雪が降ろうと…「ぴったり1時間で帰宅!」のジョギングを欠かすことないひと。
大きな声を出すことで健康道一直線のひと。
ここに、私はと言えば、好きな物を食べ、のどもとを熱いものがしみわたる感触に酔い、粗食に味覚を鍛えつつ、
暇さえあれば気候のよさに負けついついウトウト、日々英気を養おうとはかない努力を…。



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人肌よりは熱燗で

2008年10月10日 | 日々の暮らしの中で
   人肌というはむつかし温め酒   瀧春一

旧暦九月九日は、寒暖の境目とされ、酒を温めて飲むと病にかかることがないとの言い伝えがあり、この日から酒は温めて飲むものとされていた―と記されてもいます。

肌寒さが感じられる夕べが多くなれば、いよいよ、です。

“人肌”よりは熱燗で。

やかんに湯を沸かし、徳利を入れて…、底に指先を当て…、熱さをさぐります。
レンジでチン、は風情がありません。そして小さなお猪口で!
プンと鼻を突くあの香気とともに、さかずきを重ねるのです。至福の時!?です。

浮世絵みたいで一緒に飲むのが好きだといわしめ、よくお声がかかりました昔昔。
若干意味不明でもあるのですが、飲んでいる姿が気に入られていたようです。
決して淫らなんてことはありません。飲めども飲めども顔に出ませんし、“酔っぱらう”ということはありませんでしたから。ちょっと足元が…おかしい?そして匂いプンプンどまりでした。
(「酔っぱらって帰ってくるな」、この父の言いつけに従おうとした結果でもなく。)

法事後。
コップ1杯のビールでひっくり返っている家人に代わり、若く美しい(確かにそんな時期はあったと思うのですが)私がお相手を。皆さんどれほど喜んでくださいましたことか。仏罰が下ることもありませんでしたから、これまたお喜びかと。
飲めない体質は娘に継がれ、幸い私と息子のつながりは濃いものとなりました。

種々のお祝い事も多い季節、秋。
好きな音楽とおしゃべりに添えられるお酒も。
親しい人と語らいながら、時に大勢で賑やかなお酒もいいものです。
独りもいいし。

お酒の好みはそれぞれですが、手を高くかかげて喜びを交わし合う瞬間に立ち会えるのも良いものでしょう。
あれから何年…、10月10日は夫婦の盃を交わした日。自由の境地は、そんな日さえ忘れてしまいそう。

「オクトーバー・サプライズ」
予期せぬ驚きが、ぜひ喜びの形でやって来てほしいものです。

秋の夜長、お酒の香りに包まれて…。




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「福」をお届けできたら

2008年10月07日 | 日々の暮らしの中で
「(叡山電鉄)修学院駅に11時ね。」
どんより暗い空の下、友人を呼び出してしまいました。
曼珠院から赤山禅院へと、田園風景に出会いながらのぶらぶら歩きです。
何度となく来ている曼珠院への道。
ゆるやかなアカシヤ並木からカエデの並木に変わって、広くて長い、急な坂道が続くのです。
紅葉の時期、それはそれは見事なトンネルとなります。

“赤山さん”、比叡山延暦寺の別院です。
数珠供養があるようで、この大きな数珠が目に飛び込んできました。願い事をこめ、一つ一つに名が刻まれています。「踏まないで」と。
秋の草花に彩られ、静かな空間です。

七福神の福禄寿をイメージしたという、かわいい「お姿みくじ」が。
おみやげに求め帰られる人が多いとのことで、私も。

手描きです。微妙な違いがあるようです。
おみくじが体内に収められています。
プレゼントいたします。
いずれかのメッセージに、あなたの思いを預けてみるのはいかがでしょう。
福が舞い込んでくるやもしれません……。

さすがに4時をまわると、ひんやりとした肌寒さが感じられるようになりました。
Iさん、一日お付き合いいただいてありがとう。

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13時、「いっしょに」

2008年10月06日 | 日々の暮らしの中で
人間の耳は必要と感じるものだけを選別して聴いてしまう器官なのだろうか。それも都合のよいように。

娘の初舞台の公演日程が決まったという連絡をもらったのでした。東京公演もあるのだという、はずんだ声を耳に、時間をメモして…。大阪京橋の○○ホール。
「17時では帰りが遅くなりますよねえ」
「じゃあ、13時に取りましょうか」
日曜13時、OKです。

娘の姿を見てほしくて都合を打診されたのであろう。
〈一緒に・同行で〉と当然のことながら理解しました。
少しおしゃべりを、月末の嵐山散策の希望コースを聞いたりして切ったのでした。

「13時に取りましょうか」が気になりだしました。
〈日曜13時一緒に〉、この条件が私の常識としての先入観であり、それを前提にして「じゃあ13時に」を選別しているわけです。

一人で行けと?!
「不慣れなところ心細いよ~」と理由をつけて丁重に見合わせる旨を送信した。
私の関心もその程度だったのかということになりそうですが。、

どうしてずれてしまったのだろう。怒っても無駄ですが…。
彼女の頭のなかの関心事が、観客動員数なんてことでは決してない…はず。



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ぐうたらな一日

2008年10月05日 | 日々の暮らしの中で
朝からぽつぽつ降り出した雨。何の予定もない一日。
ゆっくり寝ていようと思っていても、こういう日に限ってパッと目覚めるのです。
そうなると…、いつまでも寝ているのは時間がもったいなくて…、心のゆとりのなさだろうか。
快眠ライフ、美しく目覚めたとまではいきませんが、今日は一日何をしようか。

2時間の予定枠、睡眠薬が効いてきていつも正味一時間しか進まず、相当な遅れをとっている宿題があります。
ここ一週間内にそれを入力することは…、あらあ~、不可能に近…そう。
今日、午前中の枠を使い、はかない努力が続きました。が、遅れを取り戻したとしても、進みません。
仕方ない、それでも打ち切りです。
潔いのか、あきらめが早いというのか、どこかでカバー…できるかなと安易な考えに走ります。

最近ミュージカルが見たくて仕方ありません。見たい映画もないし、レンタル店に走るのも面倒。
宝塚歌劇団の「エリザベート 愛と死の輪舞」のDVDを取り出しました。
しかもPCで見ることにして。なんか動きたくない、じっとしていたい。
ストーリーではなく、華麗な舞台とオーケストラの演奏にのせての歌唱に浸る、ボリュームを上げて。
ただそれだけを単純に楽しんで、しばし現実を忘れる?違う空間に心を遊ばせたいだけかもしれません。

周囲の目から自分を隔絶させて、おこもりしてしまいたい、そんな気分です。
誰も来ない、なんの予定もないこの静けさは、正直なところ貴重です。
外は雨だし言うことありません。
どらえもんのポッケを借りることができたら、東京まで運んでくれないかしら。
息子の顔でも見て、名残りもとどめぬ昔馴染んだ街でも歩き…。
さすがに、東京まで飛んだら、それこそ「行くえ不明の時間」は長すぎてしまいます。

気ままにのんびり過ごせるはずの一日も、なんか疲れた感じです。
やたら考えを巡らす時間があるのも疲れるものです。
みんな中途半端だった。

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飛び交う賞讃のことば

2008年10月04日 | 日々の暮らしの中で
おくどさんで薪を使い、大きな鉄鍋に大量に作る具だくさんの味噌汁。
これが“絶品”です。
大根・人参・冬がん・かぼちゃにおあげさん。作り手は70・80・90歳代の女性ばかり。前日午後から野菜を切っての準備です。

朝、この当番さん達がやってきました。月一回の“お講さん”、尼講です。
「Keiさん、おたまさんないかー」
「ありますよー。出しておきましたよー」
「小皿ないかい?」「keiさん、砂糖を少しくれへん?」
「ありますよー」「いいですよー」
私の務めはこんなもの。

腰が曲がっていてもファイトがあります。身を粉にして十二分に働いてきた方々。
どこからこの力が湧いてくるのかと思うのです。

「車で送ってもろた」「大事にしてもろて。幸せやなあ」
「嫁さんが漬け物用意してくれた」「よい嫁さんやなあ」
「豆を炊いてきた」「ちょうど良い加減やー、甘すぎへんしー」
「あんたさん、上手やなあ」

中でも若いAちゃんは、口ばかりの指示役。が、足元ふらふらのSさんに、
「よう出て来てくれたなあ」と。
口も手もよく動く、“おととのおばちゃん”は90歳。
漬け物盛りつけ係のM子さん、味見しながら「上手に漬けてあるなあ」。
いっぷく時の菓子袋を開けるTさんに、「うまいこと分けてくれてー」。

一見、たわいもない、賞讃の言葉が飛び交っています。
不思議と上手に、互いを褒め合うのです。それも頻繁に。
言葉の向かう先には各人がいて、みんなちゃんと自分の居場所が確保できています。

他者から与えられる「ほめ言葉」は、素敵な贈り物です。
ほめられたと感じたら?
認められたと感じたら?
大切に思われていると感じたら?
それこそ、熱いまなざしで見つめられたら?
きっと、自分の存在を大切なものとして自らが感じていけるでしょう。
それは、生きる喜びとなり、エネルギーにもなるというものです。

老若問わず、倒れないように最後に自分を支え続けているのは、こうした他者との関係の中から芽生えた、内なる誇りかもしれないなあ……と思うのですが。

本堂では今日の参加者が待っています。持ち寄りの白飯に、今日は豆と漬け物を添える程度です。
再びここで、
「ご苦労さんやったなあ」「上手に炊いてある」「おいしかった」
多くのねぎらいの言葉を受けるのでした。
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Happy birthday to Jessie!

2008年10月02日 | HALL家の話
Dear Jessica,
Happy birthday to a sweet three-years-old!!
May all your dreams come true.
We love you so much forever!

昨年は帰国中の誕生日でした。離れて暮らすため、なかなか“おじいちゃん・おばあちゃん”の本領発揮の場もなく、その楽しみの真髄を味わうこともかないません。健在の“おおばあちゃん”など、名を口にすることさえ舌がもつれます、「ややこしい名やな~」と。今日は3歳の誕生日。愛くるしい笑顔で、身ぶり手ぶりを交え一生懸命の様子で“おしゃべり”をしていた、あの明るく華やいでいたシーンがまぶしくさえ感じられます。

多くの愛情を一身に集め、お世話好きな女の子に育っています。
幼少時代は特に両親、その周囲の大人からの影響が大です。
折々に触れて「案内人」の務めが果たせるよう、自らの成長に心してほしいと娘には願うところです。

長い年月をかけながら育まれていく、子どもの「心」。
彼らの心に何かを届け、「心を耕す」ことに関われる人間の存在は不可欠でしょう。
豊富な知識や体験を持つ人、酸いも甘いも知っている、人間味あふれる人…に出会ってこそ、子供は柔らかな心で、深く感じ取っていくのではないでしょうか。
そうした方々のあとを追いかけながら、いつか役立つ日もあろうことを念頭に、齢を重ねていけたらと感じたりしています。

今日は昨日以上の好天気。祇園方面へ。
花見小路通りを抜けて八坂神社へ。
息子のために、彼の希望がかないますようにと、狭き門にお力添えのお願いです。
     (ムズカシイ…かなあ…)

 
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青い秋の空の下で

2008年10月01日 | 日々の暮らしの中で
朝夕の涼しさにも冷気がましてきています。

いよいよ十月。
二日間降り続いた雨があがり、風が雲を吹きはらう。
秋の空が明るく青く美しいという、ただもうそれだけで、気持ちが高揚してきます。
いいことがありそうです。

北の地域では、季節の訪れが一歩も二歩も進んでいるようです。
しばしご家族をおいて健康の回復に努めていらっしゃる方も…。
早い時期のお戻りを心待ちにされていらっしゃるでしょうことに、思いを馳せてみたりしています。


       『白い自由画』   丸山 薫
    「春」という題で
    私は子供たちに自由画を描かせる
    子供達はてんでに絵の具を溶くが
    塗る色がなくて 途方に暮れる

    ただ まっ白な山の幾重なり(いくかさなり)と
    ただ まっ白な野の起伏と
    うっすらした墨色の陰翳(かげ)の所々に
    突刺したような
    疎林の枝先だけだ

    私はその一枚の空を
    淡いコバルト色に彩ってやる
    そして 誤って
    まだ濡れている枝間に
    ぽとり! と黄色を滲ませる

    私はすぐに後悔するが
    子どもたちは却ってよろこぶのだ
    「ああ まんさくの花が咲いた」と
    子供達はよろこぶのだ


春を予感するような子供の喜びが感じられる、季節は少しずれるのですが…。
想定外の子供の感性が感じられて好きな詩です。

大きく奔放に翔るはずんだ心を大切に伸びて欲しいと願って、 
ある二人の少年たちを頭の片隅に置き、今日はこの詩を……。

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