近代中国に興味を抱き次々と作品を発表する浅田次郎氏は、近代中国と近代日本を対比し、日本の国の在り方や価値観について「1945年8月15日で線引きすべきではない」と主張した。
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北海道行政書士会の創立60周年を記念した市民講演会が5月26日(木)札幌市民ホールで開催され、受講することができた。
講演は「近代日本と中国~歴史を旅する作家のまなざし~」と題して、直木賞作家として著名な浅田次郎氏が講師を務めた。
浅田氏は特に中国に清王朝時代に興味を持ち、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアン・リポート」などを著している。
それらの著書を著すために調べたり、見聞したりした清王朝についてさまざまなエピソードを紹介してくれた。
清王朝は1636年に満州で建国され、その後現在の中国に進出し、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝ということだ。
清王朝が始まった頃、日本では江戸幕府の三代将軍の徳川家光の時代であった。
また清王朝が消滅した時、日本はちょうど明治時代から大正時代に移る時であった。
(つまり清王朝とは日本の江戸・明治時代にあたることになる)
清王朝の時代、前半は栄華を誇っていたのだが、後半は欧州列強の植民地支配のもくろみの中で国が混乱し、アヘン戦争などを仕掛けられるなどして崩壊の道を辿ったとのことである。
一方、日本も江戸末期は欧州列強のもくろみの中で国内が混乱したが、植民地支配にさらされることなく明治維新を達成することができた。
日本が明治維新を達成できたのは、欧州列強からの脅しに屈することなく、気概をもったリーダーたちの大変な努力とリーダーシップがあったからだと浅田氏はいう。
清国も日本の明治維新に倣おうとしたことがあったのだが、そうはいかなかった。
こうした文脈の中で、現代の日本が世界的に見ても豊かな暮らしを謳歌できるのは、植民地になることなく近代化に成功したためだと説く。
日本人は、明治維新、あるいはそれ以前からのDNAを引き継いでいるはずだと言う。だから、1945年8月15日で線引きをすることなく、明治からの歴史を整理し、検証して評価すべきは評価すべきであると浅田氏は主張した。
こうした類の説や主張には、いろいろと異論を挟む向きもあるかもしれない。
しかし、外国の歴史と対比して我が国の歴史を評価するという視点は、多くの人が試みているのかもしれないが、私には新鮮に映った…。
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北海道行政書士会の創立60周年を記念した市民講演会が5月26日(木)札幌市民ホールで開催され、受講することができた。
講演は「近代日本と中国~歴史を旅する作家のまなざし~」と題して、直木賞作家として著名な浅田次郎氏が講師を務めた。
浅田氏は特に中国に清王朝時代に興味を持ち、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアン・リポート」などを著している。
それらの著書を著すために調べたり、見聞したりした清王朝についてさまざまなエピソードを紹介してくれた。
清王朝は1636年に満州で建国され、その後現在の中国に進出し、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝ということだ。
清王朝が始まった頃、日本では江戸幕府の三代将軍の徳川家光の時代であった。
また清王朝が消滅した時、日本はちょうど明治時代から大正時代に移る時であった。
(つまり清王朝とは日本の江戸・明治時代にあたることになる)
清王朝の時代、前半は栄華を誇っていたのだが、後半は欧州列強の植民地支配のもくろみの中で国が混乱し、アヘン戦争などを仕掛けられるなどして崩壊の道を辿ったとのことである。
一方、日本も江戸末期は欧州列強のもくろみの中で国内が混乱したが、植民地支配にさらされることなく明治維新を達成することができた。
日本が明治維新を達成できたのは、欧州列強からの脅しに屈することなく、気概をもったリーダーたちの大変な努力とリーダーシップがあったからだと浅田氏はいう。
清国も日本の明治維新に倣おうとしたことがあったのだが、そうはいかなかった。
こうした文脈の中で、現代の日本が世界的に見ても豊かな暮らしを謳歌できるのは、植民地になることなく近代化に成功したためだと説く。
日本人は、明治維新、あるいはそれ以前からのDNAを引き継いでいるはずだと言う。だから、1945年8月15日で線引きをすることなく、明治からの歴史を整理し、検証して評価すべきは評価すべきであると浅田氏は主張した。
こうした類の説や主張には、いろいろと異論を挟む向きもあるかもしれない。
しかし、外国の歴史と対比して我が国の歴史を評価するという視点は、多くの人が試みているのかもしれないが、私には新鮮に映った…。