蝉は地上に出てから七日間しか生きられないという。それがもし八日間生きたとしたら…。それは幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか…。原作の力と、キャスト、スタッフの力が相まって極上の作品に仕上がった。
私は基本的にはフィクションの映画作品は避けるようにしてきた。それはありえないようなストーリーに感情移入できないことが多かったからだ。
しかし、この「八日目の蝉」は評判が高かったことや、友人からの強い勧めがあり観てみることにした。(5月10日 シネマフロンティア)
映画はヒューマン・サスペンスと名乗っていたが、複雑化した現代社会においては「ありえるかもしれない」ストーリーに仕上げた原作の力と、巧みな構成、キャストの力のある演技によってぐいぐいと画面に引き寄せられた。
複雑すぎるストーリーはとてもとても一口では説明できないが、ごく単純化していうと、父親が不倫をした相手の女希和子(永作博美)に誘拐された主人公恵理菜(井上真央)は4歳まで希和子に育てられるが、希和子の逮捕によって実母のところに戻ってくる。しかし、人とは違った生育過程を経て育った恵理菜と実母との間にはもう普通の母娘関係が築けなくなっていた…。
ストーリーはさらに続くのだが、映画のストーリーを紹介するのが趣意ではない。
人とは違えられてしまった恵理菜の人生…、それはまるで八日目を生きる蝉のようなものだ。そうさせられた希和子を恨みながらも、心のどこかで希和子を慕っている恵理菜…。
そんな複雑な感情の機微を若いながらも女優として評価が高まりつつある井上真央が見事に演じていた。
それは永作博美についても言えた。誘拐犯という絶えず追手に怯えながらの逃避行の心情をオーバーな演技ではなく、しっかりと演じきっていたと私の眼には映った。
監督・成島出のストーリー展開も見事である。
過去と現在、あるいは回想シーンが激しく交錯するのだが、それがいっこうにうるさく感じられないのだ。そのことがストーリーを理解させ、人物の心情を理解するうえで重要な役割を果たしているのだ。
普通の子とは違った生育過程(八日目の蝉)を経て育った恵理菜は一見不幸な存在に映る。そんな環境に陥れた誘拐犯希和子を恨みながらも、希和子と過ごした島を訪れ、幸せを感じていた頃を思い出した恵理菜はある決意をするのだった…。
八日目の蝉…。
私は複雑化した現代社会においては「ありえるかもしれない」と記した。
自分がもし、八日目の蝉になったとしたら、どう考え、どう生きるだろうか。
そんなことも考えさせられた映画だった…。