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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

超ボランティア 中村哲医師

2011-05-23 22:36:45 | 講演・講義・フォーラム等
 タイトル名をどうしようかとしばらく迷った。結果、「超ボランティア」というなんとも不可解なものにしてしまった。アフガニスタン人民のために全身全霊で医療活動や土木事業に邁進する中村哲氏の話を聞いた。

         

 5月21日(土)、エルプラザで「命の水を求めて」と題してアフガニスタンで住民の支援活動に没頭する医師・中村哲氏の講演会があった。
 28年間に及ぶアフガニスタンでの活動をわずか2時間程度では語りきれなかったことだろう。28年間のほとんどは苦難・苦闘の連続だったと想像されるのだが、中村氏はむしろ飄々とそれを語った。時にはユーモアを交えて…。

 中村氏は当初、アフガニスタンに近いパキスタンの北西辺境州の州都ペシャワールでハンセン病を中心とした医療活動を行っていた。(だから彼の活動を支える日本の組織を今でも「ペシャワール会」と称している)しかし現在はパキスタンでの活動が困難となり、アフガニスタンに拠点を移して活動しているという。
 医療活動を続けるうちに、中村氏は人々の命を支える「水」の重要性に着目した。
 そこから彼の活動は医療活動とともにアフガニスタンの砂漠に水を引くという土木事業に向けられることになった。
 話はその土木事業のことが中心だったように思う。

 アフガニスタンには「金がなくても食っていけるが、雪がないと食っていけない」という諺があるそうだ。このことはアフガニスタンにおいては雪融け水がないと農業をしていくことが困難だということを表している。
 その雪融け水を砂漠の中に引き込むために25kmもの用水路を彼は民間人の立場でやり遂げてしまったのだ。
 その工事を進めるにあたり、彼の哲学があった。それは、「自然を征服し、コントロールする」という西洋的な考え方ではなく、「自然はコントロールできない。自然に逆らわない」という日本古来の考え方を工事に生かしてきたということだ。
 だから彼は江戸時代以前から伝わる日本の土木技術を活用した。(ex.斜め堰、蛇籠etc)

        

 まだまだ中村氏はたくさんのことを語った。
 彼は飄々と語ったが、その一言、一言はとても重いものだった。
 彼をここまで突き動かすものは何なのだろう、と考えたが凡人の私にその答えを出せるわけがない。ただ、私には用水路が完成したときの写真の中で見せる住民たちの笑顔が彼の最高のモチベーションになっているような気がした。
 お話の最後に彼は、いつも講演会の最後に提示するという一枚の写真をスライドに映し出した。そこには屈託のないアフガニスタンの子どもたちの笑顔が映っていた。
 彼はそれを指しながら「何もない者の楽天性だ」と語った。

        
        ※ 中村氏が最後に提示した写真です。

 実は私は今から遡ること42年前(1969年)アフガニスタンを旅した経験がある。(ヨーロッパを旅した後、陸伝いに中近東からインドまで旅したのです)
 その時のアフガニスタンには何もなかった。しかし、そこにはのどかな風景が広がり、そこでのんびりと暮らすアフガニスタン人がいたことを記憶している。
 そのアフガニスタンが大国の思惑の中で翻弄され、人々は大変な困難を強いられている。そのような中で中村哲氏は人々のために全てをかけている。

 彼の言葉を紹介し、この項を閉じたいと思う。
 「私たちに確乎とした援助哲学があるわけではないが、唯一譲れぬ一線は、『現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のためにはたらく』ことである」と…。
 彼の思い、彼の行動は「超ボランティア」である。