その昔、札幌市街地の西部山麓地帯にはたくさんの温泉施設があって市民の憩いの場になっていたという興味ある史実を伺うことができた。札幌の街にあった温泉盛衰物語である。
5月14日(土)北大総合博物館で「土曜市民セミナー」があり参加した。
今回のセミナーは「札幌の市街地西部山麓にあった温泉」と題して北海道立総合研究機構の地質研究所長の藤本和徳氏が講師を務められた。
地質に関係する固い話と思いきや、昔の絵図などを用いた地域史のような話で興味深く伺った。

※ 講義をする地質研究所長の藤本氏です。
時代は明治から大正・昭和の初めにかけてである。
札幌の市街地西部に連なる山々の麓に八つもの温泉施設があったということだ。
まず、手稲山の北東山麓に「瀧の沢温泉」(手稲金山)、「藤の湯」(手稲本町)、「軽川温泉」 (手稲富丘)と三つの温泉があった。
時代はそれぞれ多少違えども、明治末から大正にかけて開業するもどの温泉も湯量や温度ともかんばしくなく、昭和の初期に廃業を余儀なくされたようである。
そして荒井山の南麓には「円山温泉」、円山と藻岩山のあいだには「札幌温泉」、「界川温泉」、「藻岩温泉」、「不老閣」と五つの温泉が並んでいたということである。
この中で最も特徴的なのが「札幌温泉」である。「札幌温泉」はその場で掘削して温泉を湧出させたのではなく、なんと定山渓温泉からパイプラインを使って引湯していたというのである。定山渓から札幌まで約25kmの距離に土管を敷設したというのである。
そしてさらに、市街地から温泉客を運ぶために市内電車を運行させたという。
相当の資金を注ぎ込んで大正15年(昭和元年)に開業した温泉営業だったが、経営不振に陥り昭和7年には閉鎖に追い込まれたということである。
その他の温泉もそれぞれに物語りはあるのだが、それぞれ個人の事業主が夢を抱いて開業したものの長くは続かず閉鎖してしまったということだ。
なぜ長く続かなかったかというと、先にも記したように温泉自体の湯量や温度の問題とともに、大正7年に定山渓鉄道が開通し、大型の温泉施設が建てられたこと。さらには昭和4年に定山渓鉄道が電化され定山渓-札幌間に一日16往復の電車が通じたことで札幌市民が定山渓を身近に感じられるようになり、湯量豊かな定山渓温泉には太刀打ちできなくなったことが原因だったということだ。

※ 図では見づらいが、赤丸が現在利用されている温泉です。
講師の藤本氏によると、現在札幌の市街地では43の温泉井が利用されているということである。これは現在市内各所で温泉を謳って営業している施設を指すのだろう。
ということは、明治から昭和の初めにかけて札幌市街に起こった温泉ブームが形を変えて再び静かなブームを呼んでいるということなのかもしれない。
いや~。日本人は昔から今にいたるまで温泉が好きなんですね~。
5月14日(土)北大総合博物館で「土曜市民セミナー」があり参加した。
今回のセミナーは「札幌の市街地西部山麓にあった温泉」と題して北海道立総合研究機構の地質研究所長の藤本和徳氏が講師を務められた。
地質に関係する固い話と思いきや、昔の絵図などを用いた地域史のような話で興味深く伺った。

※ 講義をする地質研究所長の藤本氏です。
時代は明治から大正・昭和の初めにかけてである。
札幌の市街地西部に連なる山々の麓に八つもの温泉施設があったということだ。
まず、手稲山の北東山麓に「瀧の沢温泉」(手稲金山)、「藤の湯」(手稲本町)、「軽川温泉」 (手稲富丘)と三つの温泉があった。
時代はそれぞれ多少違えども、明治末から大正にかけて開業するもどの温泉も湯量や温度ともかんばしくなく、昭和の初期に廃業を余儀なくされたようである。
そして荒井山の南麓には「円山温泉」、円山と藻岩山のあいだには「札幌温泉」、「界川温泉」、「藻岩温泉」、「不老閣」と五つの温泉が並んでいたということである。
この中で最も特徴的なのが「札幌温泉」である。「札幌温泉」はその場で掘削して温泉を湧出させたのではなく、なんと定山渓温泉からパイプラインを使って引湯していたというのである。定山渓から札幌まで約25kmの距離に土管を敷設したというのである。
そしてさらに、市街地から温泉客を運ぶために市内電車を運行させたという。
相当の資金を注ぎ込んで大正15年(昭和元年)に開業した温泉営業だったが、経営不振に陥り昭和7年には閉鎖に追い込まれたということである。
その他の温泉もそれぞれに物語りはあるのだが、それぞれ個人の事業主が夢を抱いて開業したものの長くは続かず閉鎖してしまったということだ。
なぜ長く続かなかったかというと、先にも記したように温泉自体の湯量や温度の問題とともに、大正7年に定山渓鉄道が開通し、大型の温泉施設が建てられたこと。さらには昭和4年に定山渓鉄道が電化され定山渓-札幌間に一日16往復の電車が通じたことで札幌市民が定山渓を身近に感じられるようになり、湯量豊かな定山渓温泉には太刀打ちできなくなったことが原因だったということだ。

※ 図では見づらいが、赤丸が現在利用されている温泉です。
講師の藤本氏によると、現在札幌の市街地では43の温泉井が利用されているということである。これは現在市内各所で温泉を謳って営業している施設を指すのだろう。
ということは、明治から昭和の初めにかけて札幌市街に起こった温泉ブームが形を変えて再び静かなブームを呼んでいるということなのかもしれない。
いや~。日本人は昔から今にいたるまで温泉が好きなんですね~。