「炭鉄港を巡る旅」…、それは一見、兵どもの夢の跡とも映ったが、しかしそこには北海道の一大産業であった炭鉱の栄華の跡でもあった。主催者はそれを“すでに起きた未来”と言う。炭鉱の栄枯盛衰の跡から私たちは何を学ぶべきなのか、考え続けた旅でもあった…。
※ 赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設の売店で購入した「“炭鉄港”日本記念遺産認定記念まんじゅう」
と「石炭かりんとう」です。最初の写真としては不似合いかも???
5月23日(木)の講義に続いて、25日(土)は空知の炭鉱跡の施設を訪ね歩く旅だった。訪ねた施設は、
①旧住友赤平炭鉱立坑櫓(赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設)
※ 立坑櫓の内部です。この立坑から鉱員は現場に出向き、石炭が地下から運ばれてきたそうです。
②空知川河畔「石炭露頭」
※ 露頭はちょうど木の影になった黒いところなのが残念です。
③旧上歌鉱会館(現・悲別ロマン座)
④旧上砂川駅(悲別駅)
⑤三井砂川炭鉱中央立坑櫓
※ ここの立坑は廃止後に一時「地下無重力実験センター」として活用されていたそうです。
⑥かみすながわ炭鉱館
※ 炭鉱から排出された石炭以外の砂礫が積みあがったズリ山です。
⑦三菱美唄鉱竪坑
※ 地下から排出された選炭前の原炭が一時ストックされるヤード跡だそうです。
⑧アルテピアッツァ美唄・旧栄小学校
※ 木の陰になってしまいましたが旧栄小学校です。
※ その校内に展示された安田侃氏の作品です。
というように盛りだくさんの内容だったが、さらに車窓から何件かの施設も説明していただいた。
私はこの中の⑦の三菱美唄鉱竪坑以外は、以前に空知管内市町村のフットパスコースを踏破した際に全て経験済みだった。しかし、今回は講師の札幌国際大学の吉岡宏高教授による詳しい説明付きだったこともあり、有意義な見学となった。
特に①の旧住友赤平炭鉱立坑櫓は元炭鉱員のガイド付きで櫓内を見学することができ、規模の壮大さを実感することができた。
意外に思ったのが世界的な彫刻家として名高い安田侃氏の作品が展示されている野外展示施設として有名な「アルテピアッツア美唄」が炭鉱遺産の一つとされていたことだ。ところが説明を聞くと、アルテピアッツア美唄のあるところは旧三菱炭鉱の炭住街だったところだという。その炭住街に最後まで残った旧栄小学校の木造校舎が保存され、やはり安田侃氏の作品の展示施設となっているということで納得することができた。
こうした一つ一つの炭鉱跡の施設を見て歩くとどうしても寂しさは隠しようもない。しかし、日本遺産の認定を目ざした(すでに認定されたが)「炭鉄港推進協議会」はいう。
「明治の初めに命名された広大無辺の大地「北海道」。その美しくも厳しい自然の中で、「石炭」・「鉄鋼」・「港湾」とそれらを繫ぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた北の産業革命「炭鉄港」は、北海道の発展に大きく貢献してきました。当時の繁栄の足跡は、空知の炭鉱遺産、室蘭の工場景観、小樽の港湾そして各地の鉄道施設など、見る者を圧倒する本物の産業 景観として今でも数多く残っています。100 ㎞圏内に位置するこの3地域を原動力として、北海道の人口は約 100 年で100 倍になりました。その急成長と衰退、そして 新たなチャレンジを描くダイナミックな物語は、これまでにない 北海道の新しい魅力として、訪れる人に深い感慨と新たな価値観をもたらします。」と…。
つまりただ衰退を嘆くだけではなく、栄華の足跡を辿ることによって、日本が近代国家として自立・発展する過程において北海道が果たした役割について再認識することの重要性を指摘している。協議会としては「日本遺産」に認定されたことを一つの起爆剤として国内外にアピールし、観光産業の発展に繋げたいと考えているようである。
※ 私たちに快適な旅を提供してくれた岩見沢観光バスです。
今回、私たちが訪れることができたのは炭鉄港を語る上においてはほんの一部でしかない。もっと多くの施設を見て、体験し、理解し、それを伝えていくことが必要と思われる。しかし、そのようにして地域の活性化に繋げたとしても、日本の人口減少の勢いはとどまることを知らず、こうした地域もいずれは埋没してしまうことは避けられそうもない事実である。「すでに起きた未来」その現実を直視しながら、この先の日本の進路を考えるうえでも“炭鉄港”が教えてくれることは多いように思えた今回の「炭鉄港を巡る旅」だった。
※ 真ん中の体格の良い先生が吉岡宏高教授です。
それにしても吉岡宏高教授のエネルギッシュな案内・指導には感謝したい。バスで移動中はずーっと炭鉄港に関わる説明が続けられた。そして吉岡氏の博識にも驚かされた。次から次へと淀みなく続く説明にまったく退屈することなく、たくさんの新しい知見を得ることができた旅だった。