田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」 ~ 札幌農学校第二農場

2019-05-14 18:41:31 | 「めだかの学校」関連

 「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」の第2回目は北大(札幌農学校)の第二農場が対象だった。第二農場はお雇い外国人の代表格でもあるW.S.クラーク博士の「大農経営構想」に基づき、ホイラーやブルックスらが様々な建築物を建設したお雇い外国人の精華が集積しているところである。

      

     ※ 札幌農学校第二農場に入ったところから第二農場全体を撮った一枚です。

 私たち「めだかの学校」が企画運営する講座「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」の今年のテーマが「お雇い外国人の事績を辿る」であることについては既に述べている。

 その第2回目の講座を昨日13日(月)午後に実施した。

 直接の担当になっている私は、同じ担当のS氏と協力して札幌農学校第二農場、ホイラー、ブルックスに関する資料を、A4版9枚を用意し講座に臨んだ。

 昨日は天候も良く、爽やかな空気の中での野外講座となった。「札幌農学校第二農場」は、1870~1880年代のアメリカの最先端の農業施設群を建てたもので、現在は国の重要文化財に指定されている建築群である。また、建物施設だけではなく、同時に当時の最先端の農機具もたくさん導入され、それらが建築群の内部に展示されていた。

 この日、第二農場(管轄は北大総合博物館)側は、名誉教授の近藤誠司氏をはじめてとして、7名ものボランティアスタッフが私たちへの説明のために待っていてくださった。

          

          ※ 第二農場の施設群をバックに説明されている近藤名誉教授です。

 近藤氏をはじめ、みなさん大変丁寧な説明をしていただき、受講生も大感激だったようだ。

          

          ※ ホイラーが基本設計をした模範家畜工房(モデルバーン)の3階建ての建物です。

 近藤氏のお話の中で興味深いお話を聴くことができた。それは、昭和初期のころ農業をされていたお年寄りが施設を見学した時に「なぜ、こうした素晴らしい農業機械が我々には伝わらなかったのだろうか?」と残念そうに語ったという。その理由について、近藤氏は「残念ながら開拓使の事業が途中で廃止になってしまったことが影響している」と語った。実際にはエドウィン・ダンなどがその後も米国式農業を北海道に根付かせる働きをしていたのだが、それが広く一般にまでは伝わらなかったようだ。

          

          ※ モデルバーンの壁面にはこうした意匠も施されていました。

 その後、ボラティアスタッフの方の案内で、施設の内部を見せていただいた。私は以前に個人的に第二農場を訪れた記憶はあったが、その際には説明などを聞くことができなかったこともあり、ほとんど忘れかけていた。今回、スタッフの方の説明を伺いながら見学させていただいたことで今から150年も前に北海道に近代的な農業を根付かせようとしたクラーク博士をはじめとしてホイラー、ブルックスらの奮闘ぶりが少しは理解できたような気がした。

          

          ※ モデルバーンの横に建つ「牝牛舎」と「緑飼貯蔵室(サイロ)」と「根菜貯蔵庫}です。

 「さっぽろの古を訪ねて」の旅はまだまだ続く。次回は小樽市に飛んで幌内鉄道を開設したクロフォードの事績を学ぶ予定にしている。