わずか4日間の旅ではあったが、各市町村の観光スポットを巡りながらいろいろなことを考えさせられた4日間でもあった。そうしたことを振り返りながら旅を締めくくることにしたい。
※ 森地熱発電所を麓の集落から撮ったものです。排気塔から白い蒸気が上がっています。
◆歴史を感じた道南地方
今回の旅で感じさせられた最も大きなことは、私が生まれ育った道東地方とは違い、道南地方は歴史を感じさせられた地域であったということだ。今回特に訪れることはなかったが、今年世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の遺跡が道南地方の各地に点在していることもその一つである。それほど昔ではなくとも、江戸時代に唯一幕府より藩として認められていた「松前藩」の遺構が数多く残っていたり、箱舘戦争にまつわる史跡に各地でお目にかかれたりと、そうした意味で私にとっては有意義な旅だった。
※ 福島町が生んだ二人の横綱の土俵入り像が記念館の前に展示されていました。右~千代の山。左~千代の富士。
◆進む過疎化の現実
青函海峡沿岸、そして日本海沿岸の町村を走っていて、いやでも感じざるを得なかったことは過疎化が確実に進行しているという事実だった。どの町村を訪れても人影は薄く、沿道に建つ家々はどこかくたびれているように見えた。
試みに各町村の人口の最盛期と現在を比べてみた。
◇木古内町 1960(昭和35)年 13,484人 2021(令和3)年 3,888人
◇知内町 1960(昭和35)年 10,148人 2021(令和3)年 4,101人
◇福島町 1955(昭和30)年 13,428人 2021(令和3)年 3,755人
◇松前町 1955(昭和30)年 20,072人 2021(令和3)年 6,526人
◇上ノ国町 1960(昭和35)年 14,674人 2021(令和3)年 4,537人
◇江差町 1965(昭和40)年 15,380人 2021(令和3)年 7,190人
いや、もうこれ以上調べることはよそう。江差町の約5割減を除いて、他は軒並み最盛期の3割程度に減少している。わずか5~60年でこの現実である。これは何もこの地方の町村だけではなく、北海道全体でも同様の傾向である。
ただ、道南の沿岸を走っていて、海岸の背後には山が迫っていて、各集落は海岸と背後の山々との僅かな隙間に集落が点在しているように映った。そのことが一層過疎化の現実を見せつけられているように思えたのだ。
上記の統計を調べた時に、各町村が人口減に対して強い危機感を持ち、その対策を講じようとしているようだった。しかし、現実の少子高齢化は止めようがなく、それに伴う過疎化も進行の度合いを早めていると言われている。
誰もが有効な対策を打ち出せないまま、少子高齢化、人口減少傾向の世界の最先端を行っているといわれる日本である。もはや昔日の夢を追うのではなく、現実を見据えた日本の未来図を描き、そこへ向けて一人一人が幸せに思える国を目ざす国であってほしいなぁ、と考えながらドライブした4日間だった。
※ 掘割から見た松前城の天守閣です。
◆風車が描く海岸風景
町村によって違いはあったが、ともかく海岸線に風力発電の風車が目立った青函海峡、日本海沿岸だった。ということは、私が旅した4日間は幸い天候に恵まれたが、この地方は風力発電に適した強風が吹く割合が多い地方なのではないだろうか。
おそらくそれら風車が設置されたのはここ10数年のことではと思われる。つまり青函海峡、日本海沿岸の風景はここ10数年で大きく変わってしまったのではないだろうか?
風力発電は自然エネルギー利用による発電の代表の一つである。カーボンニュートラルが叫ばれる今日、風車が増加することはあれ、減少することはないだろう。さまざまな弊害も指摘されているが、そうした問題を解決しながら開発を進めてほしいものである。
ただ、運転をしていて風車が目の前に現れたところがあった。そんな時私は風車が回る羽根に目を奪われてしまうときがあった。他のドライバーは気にならないのだろうか?私はちょっと気になった。
※ 開陽丸の甲板に上がった図です。
と、とりとめのないことを綴ってきたが、結論として「旅はやっぱりいいなぁ」ということだ。今はコロナ禍とあって不要不急の外出の自粛が求められている。今回私は積年(というとかなりオーバーか?)の願いであった故坂口一弘氏の仏前にお参りせねばという 思いに、奥さまが快諾していただいたことで人との出会いを避けながらの旅をすることにして出発した。したがって、十分に下準備をしないままの出発となってしまった。その点はもう少し下調べ、準備に時間をかけたかったな、という思いはあるものの、それなりに意義深い旅ができたとこの4日間を振り返った私だった…。
※ 使用した写真は本文と直接関係はない。これまでのレポートで未掲載だった写真を掲載したものである。