マカロニウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネが「荒野の用心棒」に続いて放った俗にいう「ドル箱三部作」の二作目、三作目である。この三作によってセルジオ・レオーネ監督は巨匠の階段を登り始め、三部作の主演を務めたクリント・イーストウッドは大俳優への手がかりを掴んだのだった。
映画は「夕陽のガンマン」が1965(昭和40)年、「続・夕陽のガンマン」が翌年1966(昭和41)年にイタリアで制作されたものである。(イタリアで制作された西部劇だったことから、俗に「マカロニウェスタン」と称されるようになった)
私は両作をBSプレミアムで9月3日、9月10日にそれぞれ放送されたものを録画しておいたものを先日二夜にわたって連続視聴した。
「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」が制作・公開されたころは、私の大学時代である。どの作品だったか正確な記憶はないのだが、深夜映画であの乾いた大地を馬に乗って去っていく主人公の姿が印象的なマカロニウェスタンの映画を観たことを懐かしく思い出している。
さて今回は映画のストーリーを追うのではなく、この二つの映画のエトセトラについて記してみたい。
まず私が気になったのは「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」という邦題についてである。「夕陽のガンマン」のほうの英語題は「For a Few Dallars More」(もう数ドルのために)である。それが何故「夕陽のガンマン」などという邦題が付けられたのか調べてみたが分からなかった。おそらくは映画評論家(淀川長治さん?)とか、映画輸入会社の宣伝部員あたりが名付けたのかな?と思われるが、いかにも日本人好み(日本人が興味を抱きそうな)のネーミングである。
「続・夕陽のガンマン」も前作「夕陽のガンマン」の続編では決してない。英語題も「The Good, the Bad, the Ugly」(善玉、悪玉、卑劣漢)である。設定も、ストーリーもまったく前作とは関係がないのに「続」とネーミングされた。共通項は監督のセルジオ・レオーネ、主人公のクリント・イーストウッド、音楽のエンニオ・モリコーネなどが前作と同じということから、前作が大ヒットしたことで敢えて「続」とすることで二匹目のドジョウを狙ったように思える。
続いて「マカロニウェスタン」についてである。それまでアメリカで制作されていた西部劇は、アメリカの西部開拓を肯定し、開拓に抵抗するインディアンを悪に仕立て上げた勧善懲悪ものが主流でどこかに飽き足らなさを感じていた層が、ニヒルで暴力的な主人公が登場し、周りの人物もアウトローという、アメリカの西部劇とは一線も、二線も画した映画であったことが世の映画ファン(特にイタリアやヨーロッパにおいて)に受け入れられたのである。
その中心人物が「荒野の用心棒」を含めた三部作を制作したセルジオ・レオーネ監督である。彼はこの後、ハリウッドに進出しさらなる話題作「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」でさらなる名声を博するが、惜しいかな短命に終わっている。
そして三部作に主演したクリント・イーストウッドである。今や押しも押されぬ大俳優であり、名監督の名もほしいままにしているアメリカ映画界の大立者である。彼は当時34~36歳くらいで、まだそれほど名の知られた存在ではなかった。レオーネ監督に見いだされ、独特の風貌とニヒルな表情が “賞金稼ぎ” というイメージとも合い映画ヒットの要因となった。しかし、このマカロニウェスタンはアメリカではなかなか上映されなかったことから、アメリカにおける名声を得ることはまだ出来なかったようだ。しかし、これを足掛かりにハリウッドに進出し、「ダーティーハリー」というはまり役を得て、一大スターにのし上がったのだった。
さらにこの三部作で欠かせないのはエンニオ・モリコーネの音楽である。あの効果的な口笛に乗せたメロディーがいつまでも耳に残った。特に第二作の「夕陽のガンマン」の音楽は最高である!
ストーリーについては触れなかったが、二作ともいわゆるエンターテイメントとしての映画の出来は素晴らしい!の一語で、最後まで飽きることなく見入ることができた映画だった。
※ 掲載した写真はもちろんウェブ上から拝借した写真である。