「足るを知る」…、関係者のどなたかが話された言葉だったが、とても心に残った言葉でした。それはまさにアイヌ文化を象徴する言葉のように私には聞こえてきたのでした…。
フェスティバル続きの拙ブログですが、時系列的にはこちらの「アイヌ文化フェスティバル」の方が昨日投稿した「北海道吹奏楽フェスティバル」より一日早く体験したフェスティバルだったのですが、こちらの方は私の中で少し熟成したい思いがあり、レポする日が逆転してしまいました。
一昨日(1月18日)午後、札幌市教育文化会館において「アイヌ文化フェスティバル」が開催され、参加しました。私がこの種のフェスティバルに参加するのは確か3回目だったと思います。
フェスティバルは、次のような構成となっていました。
◇アイヌ文化賞・文化奨励賞贈呈式
◇基調講演「アイヌ、100人のいま」 写真家:宇井眞紀子氏
◇古式舞踊 札幌ウポポ保存会
◇口承文芸 豊川容子氏
その他に、ロビーにて◇木彫実演 平村太幹さん、◇刺繍実演 阿部弘美さんの実演が行われていました。
※ 札幌ウポポ保存会の皆さんです。お年寄りから子供まで幅広い層の方が参加しています。
さて本レポは、アイヌ文化フェスティバルの様子をレポするのではなく、フェスティバルの中でどなたかが発言された「足るを知る」にこだわって少し考えてみたいと思います。
私は北海道に生まれ、以来ずーっと北海道で生活してきましたが、アイヌのことを良く知らないまま、あるいは関心を持たないままで生活してきました。
退職後、札幌に居を移しアイヌ民族に関する講座など参加することにより徐々に関心を持ち始めました。そうした一環としてのフェスティバル参加だったのですが、今回「足るを知る」という言葉を聞いてアイヌ文化の深奥にふれた思いがしたのです。
「足るを知る」という意味についてちょっと調べたところ次のように記述されていました。「物質的な満足感だけを指すものではなく、実際に物品や財産を持っていなかったとしても、自分が置かれている現状に満足し、周りへの感謝を忘れないという心の豊かさを表す言葉」と出ていました。
アイヌのことを講座などで学ぶ中で、アイヌ民族は自然界のすべての物に神が宿るとされる「精神文化」を大切にする民族だと学びました。だから、例えば彼らにとって貴重な食物であったサケなども自分たちが生きる上で食さねばならないものに対しても敬い、サケを単なる食料とするだけではなく、サケの皮も、骨も残さず活用する術を獲得していきました。と同様に彼らにとっては自然界のモノをいただくときには祈りをささげたうえで生きとし生けるものをいただいていたのです。
この精神こそが「足るを知る」精神なのではないかと私は思うのです。
科学技術の進歩によって、私たちは豊かな生活を獲得することができました。しかし、その背景で私たちは異常な勢いで自然を破壊してはいないでしょうか?
難しいことを私は云うつもりはありません。ただ、あまりにも無反省で豊かな生活だけを追い求め続けて良いのだろうか?という反省も時にはすべきではないか、と思うのです。私たちの無反省の代表的例が地球温暖化ということではないのかと思うのです。
「足るを知る」という言葉から、飛躍してそんなことを考えさせられた一言でした
さて本レポは、アイヌ文化フェスティバルの様子をレポするのではなく、フェスティバルの中でどなたかが発言された「足るを知る」にこだわって少し考えてみたいと思います。
私は北海道に生まれ、以来ずーっと北海道で生活してきましたが、アイヌのことを良く知らないまま、あるいは関心を持たないままで生活してきました。
退職後、札幌に居を移しアイヌ民族に関する講座など参加することにより徐々に関心を持ち始めました。そうした一環としてのフェスティバル参加だったのですが、今回「足るを知る」という言葉を聞いてアイヌ文化の深奥にふれた思いがしたのです。
「足るを知る」という意味についてちょっと調べたところ次のように記述されていました。「物質的な満足感だけを指すものではなく、実際に物品や財産を持っていなかったとしても、自分が置かれている現状に満足し、周りへの感謝を忘れないという心の豊かさを表す言葉」と出ていました。
アイヌのことを講座などで学ぶ中で、アイヌ民族は自然界のすべての物に神が宿るとされる「精神文化」を大切にする民族だと学びました。だから、例えば彼らにとって貴重な食物であったサケなども自分たちが生きる上で食さねばならないものに対しても敬い、サケを単なる食料とするだけではなく、サケの皮も、骨も残さず活用する術を獲得していきました。と同様に彼らにとっては自然界のモノをいただくときには祈りをささげたうえで生きとし生けるものをいただいていたのです。
この精神こそが「足るを知る」精神なのではないかと私は思うのです。
科学技術の進歩によって、私たちは豊かな生活を獲得することができました。しかし、その背景で私たちは異常な勢いで自然を破壊してはいないでしょうか?
難しいことを私は云うつもりはありません。ただ、あまりにも無反省で豊かな生活だけを追い求め続けて良いのだろうか?という反省も時にはすべきではないか、と思うのです。私たちの無反省の代表的例が地球温暖化ということではないのかと思うのです。
「足るを知る」という言葉から、飛躍してそんなことを考えさせられた一言でした