田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

白石歴(れき)しるべウォーキング №1

2023-04-13 18:31:10 | 札幌ウォーク & Other Walk

 札幌市の白石地区は、札幌市の中では早くから開墾が進められ、歴史的な史跡や建物が多いのでは?と思っていたのだが、本日巡ったかぎりでは(Aコース)意外とそうしたものが遺されていなかったことが残念だった…。

         

 札幌市内を巡るために(知るために)さまざまな方法を見出し、それらを頼りに札幌市内のあちこちを巡ってきた私だが、他に何か方法はないだろうか?とあれこれと探っていたところ、「白石歴しるべウォーキングマップ」なるものを見つけ出した。「白石歴しるべ」とは、白石のまちの発展に大きな影響を与えたところに案内板を設置したという。その案内板が白石区内には35ヵ所あるという。その中から27ヵ所をチェックポイント代わりにして4つのコースを設定したという。

 その4つのコースのうち、本日はJR白石駅をスタート&ゴールとするAコース(平和通・本通・本郷通巡り)をウォーキングしたのだが…。

    

 Aコースのチェックポイントは計10ヵ所あった。その10ヵ所とは…、

 ①JR白石駅 ②札幌石炭坑爆発予防試験所跡地 ③連隊通 ④陸軍官舎 ⑤白石中央墓地跡 ⑥白石村役場跡 ⑦白石村医療発祥の地 ⑧善俗堂(ぜんぞくどう)跡地 ⑨陸軍平気補給廠跡 ⑩鈴木レンガ工場跡の10ヵ所であった。

 ところが先述したようにそれら歴史的に貴重なものが案内板という簡素なもので示されてはいるが、石碑などで後世に伝えようとしていたところは、わずかに「白石中央墓地跡」という小さな石碑だけだったことがやや残念に思えた。いろいろと事情はあるのだと思われるが、このような歴史的史跡を後世に伝えるべく手立てはないものなのだろうか?もっとも私は4つあるコースのうちわずか一つのコースを巡っただけであるから、残り3つのコースを巡ることによってその印象が変わってくれればいいのだが…。

 それでは巡った10ヵ所のチェックポイントを順次レポしてみたい。

①JR白石駅      

  白石駅の始まりは、明治15(1882)年に小樽から白石・江別経由で幌内まで開通した幌内鉄道の一つの駅となったのが始まりである。とはいっても当初はフラグステーションという仮乗降場だったという。駅舎ができたのは明治36(1903)年のことだという。一方で白石駅は大正7(1918)年、定山渓鉄道が開通した際には札幌側の始発駅だったそうだ。

   

   ※ 案内板は白石区の花であるバラが添えられ、歴史的意味についての説明書きがありました。   

 そうした歴史のある白石駅も現在では近代的な駅舎に様変わりしていた。

   

   ※ 近代的な建物になっていたJR白石駅の駅舎です。

②札幌石炭坑爆発予防試験所跡地   

 道内の炭坑でガス・炭じん爆発が多発したことで、昭和13(1038)年に国の予防研究機関として設立された。その後、燃料の主役が石炭から石油へ転換したのに伴い、北海道石炭鉱山技術センターとして平成14年まで鉱山保安のための研究に取り組んだという。設立当時は山林や畑に囲まれていて、爆発試験の影響が他に及ばないように設立されたというが、現在では街中となっていて、跡地はショッピングセンターとなっていた。

   

   ※ この看板を見つけるのに相当苦労しました。跡地はショッピングセンターになっていました。

③連隊通   

 明治38(1905)年、白石駅から月寒の独立歩兵大隊(後の歩兵第25連隊)への道として造られた道だという。兵隊たちが人力で造ったことから「連隊通」と呼ばれたそうだ。

   

   ※ 看板を写すと通りを撮ることができませんでした。

④陸軍官舎   

 昭和19(1944)年、陸軍兵器補給廠に務める将兵の住宅として45戸建てられたそうだ。当時としては珍しい コンクリート基礎などを取り入れた近代的な建物だったそうだ。現在は小さな公園となっていた。

   

   ※ 跡地は公園になっていました。

⑤白石中央墓地跡   

 先祖を大切にしていた村民が入植直後の明治5(1872)年に造成した墓地だそうだが、其の後都市化とともに、昭和47(1972)年までにほとんどの墓碑が平岸や里塚に移転改葬されたそうだ。跡地を示す石碑が残っていた。現在とは「白石温水プール」に変身していた。

   

   ※ 説明板の傍には石碑が置かれていました。後ろの建物は白石温水プールです。

⑥白石村役場跡   

 明治35(1902)年に白石村と上白石村が合併した際に、白石村役場が開設されたのが現在の跡地だそうだ。その時建てた役場の建物は札幌市と合併してからも白石支所、白石出張所として使用されていたそうだ。現在、跡地には白石まちづくりセンターが建っていた。

   

   ※ 説明板の後は、白石まちづくりセンターの建物です。

⑦白石村医療発祥の地   

 昭和20(1945)年、札幌で開業していた吉田廣医師は無医村だった白石村の要請に応えてこの地に移り住み、村医となった。吉田医師は昭和26(1951)年に亡くなるまで、村民のために尽力し、白石の医療の基礎を築いたそうだ。現在地には「吉田記念病院」が建っていた。

   

   ※ 跡地が「吉田記念病院」となっているのは吉田廣氏の子孫が受け継いでいるのでしょうか?

⑧善俗堂(ぜんぞくどう)跡地   

 白石の入植者たちは、入植の翌年(明治5年・1872年)に学問所「善俗堂」を設立。 先人たちの教育への並々ならぬ熱意は、全ての児童が学べるように文具を貸与し、村民の寄付金を運用して基金を創設していたそうだ。跡地には有名予備校の校舎が建っていた。

   

   ※ 跡地は奇しくも教育施設の予備校でした。

⑨陸軍兵器補給廠跡

 第2次世界大戦が激しくなってきた昭和19(1944)年、千島・アリューシャン列島など北方戦線に兵器や物資を補給するための補給廠が造られたが、その跡地である。その後跡地が何に利用されていたのか不明であるが、現在同所は広大な更地となっていた。掲示された看板には近い将来病院を中核とした街が誕生するようである。なお、ここだけは周辺が工事中のために「白石歴しるべ」の看板が取り外されていた。

   

   ※ 唯一説明板が撤去されていたところですが、広大な跡地は医療法人「北楡会」と「アインホールディングス」が共同で開発するようです。

⑩鈴木レンガ工場跡

 良質な粘土が産出された白石村はレンガ製造が盛んだった。その中でも鈴木佐兵衛が明治17(1942)年に始めた「鈴木レンガ工場」は、北海道での本格的なレンガ製造業の先駆けだったという。その後も月寒村などに分工場を建てたりしたが、大正11(1922)年に野幌に大煉瓦場が建設されたり、セメントの出現により工場を閉鎖したという。現在地には建設会社の社屋が建っていたが、道路向かいに大きな敷地を持つ製粉工場が建っていたが、あるいはそこも敷地の一部だったのではないかと思わされた。

   

  ※ ここの説明板も見つけるのに苦労し、行ったり来たりを繰り返した末に発見しました。   

 以上、コースそのものは約4.5キロということだが、マップの入手のために白石区総合庁舎に出向き、そこからAコースのスタート&ゴール地点のJR白石駅まで移動したり、ポイントが見つからずに行ったり来たりを繰り返したこともあり、本日の総歩数は17,000歩余りとなり、距離も12キロ近くとなった。けっこう疲れましたが、残りのコースも時間をおかずに完成させたいと思っている。