田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響の第九 VⅢ

2021-12-12 19:52:19 | ステージ & エンターテイメント

 今年も「第九」の季節がやってきた。今回で連続13回目の鑑賞である。今年もまたいつものメンバーで「札響の第九」を楽しみ、そしてその後に静かに細やかに4人での忘年会を楽しんだのだった…。

        

 今年の「札響の第九」は昨日(12/11)と今日(12/12)の2日日程であったが、私たちは昨夕17時からの部を選んだ。陽が落ちるのがすっかり早くなった。私が会場のKitaraに着いたのは16時半前だったのだが、辺りはすっかり黄昏れてKitaraの前のイルミネーションやKitaraの屋内の照明が鮮やかだった。

 今年もまた札響会員のN氏の手を煩わせて最安値(3,000円)のチケットを手配していただいた。このところ2年続けて都合で来られなかったH氏も復帰して、久しぶりに4人揃っての鑑賞となった。座席は ちょうどステージを横から眺めるRA席だったが、これが思わぬ幸運(?)をもたらしてくれた。

 コンサートはまず第九の前にJ.C.バッハ作曲の「シンフォニア 二長調」という約12分の小曲が披露された。私にとってこの曲は聞き慣れない曲であったが、全体に優しく穏やかな感じの曲だった。この曲はおそらくこの日の指揮者の広上淳一氏が選定されたと思われるのだが、広上氏にとてもマッチした曲のように思えた。というのも、広上氏の指揮ぶりはたいへん特長があり、非常に軽やかであり表情も豊かなのが特長である。その広上氏がビオラやコントラバスの音が気になるのか、絶えず私たちの席の方に顔を向けて指揮をされるのだ。だから私たちは広上氏の指揮ぶりだけでなく、顔の表情までも絶えず視野に入れながら聴くことができた。広上氏は親指を立ててgoodサインを送ったり、満足そうに頷いたり、本当に広上氏の表情を見ているだけでも楽しかった。

 さて、本番のベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』」である。こちらは約65分の長丁場で4楽章に分かれている。私は13回目にして今さらながらだが、各楽章ごとの特徴を聴き分けてみようと思った。あるいは私の聴き方が間違っているかもしれないが、私は次のように聴いた。

 第1楽章~起伏はあるものの打楽器が多用され、力強い印象が残った楽章だった。

 第2楽章~全体に静かな印象に終始した楽章だった。

 第3楽章~この楽章も終始穏やかな感じで、爆発するのをぐっと抑えている感じだった。

 第4楽章~いきなり打楽器を中心とした重厚な出だしで、そこから徐々に徐々に盛り上がっていき、最後に抑えていたものを爆発させるようなエネルギーに満ちた大合唱が繰り広げられてフィナーレを迎える。

 そんな感じに私は聴いたが、はたしてどうなのだろうか?いずれにしても、最後の大合唱が会場に満ち溢れてフィナーレを迎え、会場内が大拍手に包まれると、演奏者たちも観客も一年のフィナーレを迎えたという気分に満ちているようだった。もちろん私も。

 高揚した気分でKitaraを後にした私たちは、Kitaraからほど近いホテルのレストランで忘年会と名の付くほどでもない忘年の宴を持った。ところがレストランがコロナ感染対策のために一人一人をアクリル板で囲むようにテーブルをセットしているためになかなか話が弾まないのだ。その上、私たちも加齢とともにアルコールを遠ざけるようになったために冷静さを失わないこともあって今一つ盛り上がらなかった。こんなところが我々世代の 宴会なのかもしれない。ちょっと複雑な思いを抱きながら家路に就いた私たちだった…。 



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