イタリアはシチリア島に何代にもわたって統治してきた貴族が新しい時代の流れに抗しきれず没落していく主人公と、新しい時代に向かって逞しく生きていこうとする若者を描いた一大叙事詩である。
この映画は11月4日(木)にBSプレミアムで放送されたものだが、長尺物(3時間7分)であったためになかなか見る機会がなく、先日ようやく観終えることができた。
映画は1963(昭和38)年に制作された仏・伊合作映画ということだが、舞台はイタリア・シチリア島、言語はイタリア語、監督もイタリア人のルキーノ・ヴィスコンティということだから実質イタリア映画と言って良いのかもしれない。もっとも助演としてフランス人であるアラン・ドロンが重要な役を担ってはいるのだが…。
映画はいきなりイタリア貴族の館で執り行われている礼拝のシーンであるが、キリスト教徒ではない私たちが欧米映画を観るとき理解できない部分がある。それは彼らの精神的支柱となっているキリスト教がどれだけ彼らの言動に影響を与えているのかを計り知れないからである。この映画の場合は特に伝統的価値観を重んずる貴族の物語だからなおのことである。
映画は前述したようにイタリアはシチリア島においを数十代にわたって統治してきた当主サリーナ公爵のファブリッツオ(バート・ランカスター)はイタリア統一を目ざす軍隊の前に為すすべなくその座を明け渡さねばならなくなった。一方、ファブリッツオが目をかけていた甥のタンクレディ(アラン・ドロン)はいち早く時代の趨勢を見極め、統一軍に合流するという変わり身の早さを見せていた。
没落すると言っても、財産等が全て没収されるということではないようだ。ファブリッツオはシチリアを代表する国会議員に推薦されるがそれを断るのである。その時彼が発した独白が印象的だった。(その部分をストップモーションを使って書き留めた。この辺りはビデオ録画の優位点である)
かつて我々は山猫やライオンだった
次はジャッカルやハイエナが来る
そして我々は皆
山猫もライオンもジャッカルも羊も
自分は “地の塩” だと信じ続ける
と独白しながら表舞台から去っていくのである。
一方、タンクレディは統一軍がシチリア島を制覇すると、いちはやく統一軍を抜けて国軍に合流するという抜け目のなさを見せていた。さらにはシチリアにおいてファブリッツオとは正反対の生き方をしていた市長の娘(クラウディア・カルディナーレ)の美貌に惹かれて求婚するという若者らしいあっけらかんとした生き方を貫いていた。
時代の中で変わりゆく世相と、世代間の価値観の相違などを映しながらの3時間強の長い長い物語だった。
なお、監督のルキーノ・ヴィスコンティはイタリアの巨匠として有名だそうである。特にその映像が美しいことで知られている。本作も深みのある美しい色調の画面は一見に値する画面だと思えた映画だった。