田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

中田選手の天井直撃弾を目撃!?

2011-05-24 17:54:30 | スポーツ & スポーツ観戦
 日本ハムファイターズの中田選手のバットから放たれたボールが札幌ドームの天井を直撃した!桁外れのパワーである。年に1~2度しかプロ野球を観戦しない私がたまたまその場に居合わせる幸運に巡り合った。 

 友人が「某新聞社から招待券をいただいたので一緒に観戦しませんか?」とお誘いをいただいたので喜んで同行することにした。
 少し時間は経ってしまったが、5月20日(金)に行われたセパ交流線の対巨人戦をレポートする。

 試合開始1時間半まえにドームに着いたのだが、入場するのに長蛇の列である。これが私には堪らない。このことを思うだけで観戦意欲が失せてしまうのだが、毎試合のように観戦するファンの方の辛抱強さには頭が下がる思いである。
 そうした私たちに与えられた席は、一塁側内野席C指定席というグランドレベルからははるかに高い位置である。フィールドを見降ろす位置からは、目を凝らしていないとボールの行方を見失ってしまうくらいである。

        
        ※ 私の席からフィールド全体を見渡した図です。

 事件(?)が起こったのは日ハム2点リードの4回裏の攻撃のときだった。
 今年ブレーク中の6番中田翔選手が強振すると私はボールを見失った。ドーム内がざわめいている。その何秒か後、巨人の坂本遊撃手の傍らにボールが落ちた。そのとき、中田選手は2塁に滑り込んでいた。
 巨人の選手たちが天井を眺めている。それで「あゝ、ボールが天井を直撃したのだ」と私は悟ったのだ。だから正確には私はボールが天井に当たった瞬間を目撃していないのだ。
 正確にはその場に居合わせた、ということになってしまった。(情けない トホホッ…)
 
        
        ※ ご存知札幌ドームの応援風景です。金子誠選手が
         登場すると応援席は写真のように青い色に染まります。 
         田中賢介選手はピンクという具合に。中田選手はまだ 
         色は決まっていないようですが、はたして何色になる
         のだろうか?     

 後から報道で知ることになるのだが、地上68mのドーム天井直撃弾を放ったことがあるのは、カブレラ、セギノールといった外国勢で、日本人としては初めてのケースとか。中田の怪物伝説がまた一つ加わったという感じである。

 試合は不振だった小谷野選手がこの日の全得点3点を叩き出し、ケッペル投手の好投もあって、3対1で見事勝利した。

        
        ※ この日好投し4勝目をあげたケッペル投手です。

 試合を見届け、帰るときがまた憂鬱だった。
 当日の観衆3万人余のほとんどが地下鉄に詰めかけると思うと、席を立つ腰が重かった。
 ところが、ところがである。
 サッカー観戦の帰りなど何度も規制がかけられ、足止めされるのに一度もそういうことがないのだ。(サッカーはせいぜい観客が1万人程度なのにである)
 あれ?あれ?と思う間もなく、私たちは地下鉄に乗車していた。
 地下鉄はさすがに混雑していたが、私にとっては意外な展開だった。

 このことにはさまざまな要因があるのだろうが、その一つとして観戦を重ねるうちに観客たちの中に時差的に帰路に就こうとする智恵が生まれてきているのだろう、と私は考えたのだが…。

超ボランティア 中村哲医師

2011-05-23 22:36:45 | 講演・講義・フォーラム等
 タイトル名をどうしようかとしばらく迷った。結果、「超ボランティア」というなんとも不可解なものにしてしまった。アフガニスタン人民のために全身全霊で医療活動や土木事業に邁進する中村哲氏の話を聞いた。

         

 5月21日(土)、エルプラザで「命の水を求めて」と題してアフガニスタンで住民の支援活動に没頭する医師・中村哲氏の講演会があった。
 28年間に及ぶアフガニスタンでの活動をわずか2時間程度では語りきれなかったことだろう。28年間のほとんどは苦難・苦闘の連続だったと想像されるのだが、中村氏はむしろ飄々とそれを語った。時にはユーモアを交えて…。

 中村氏は当初、アフガニスタンに近いパキスタンの北西辺境州の州都ペシャワールでハンセン病を中心とした医療活動を行っていた。(だから彼の活動を支える日本の組織を今でも「ペシャワール会」と称している)しかし現在はパキスタンでの活動が困難となり、アフガニスタンに拠点を移して活動しているという。
 医療活動を続けるうちに、中村氏は人々の命を支える「水」の重要性に着目した。
 そこから彼の活動は医療活動とともにアフガニスタンの砂漠に水を引くという土木事業に向けられることになった。
 話はその土木事業のことが中心だったように思う。

 アフガニスタンには「金がなくても食っていけるが、雪がないと食っていけない」という諺があるそうだ。このことはアフガニスタンにおいては雪融け水がないと農業をしていくことが困難だということを表している。
 その雪融け水を砂漠の中に引き込むために25kmもの用水路を彼は民間人の立場でやり遂げてしまったのだ。
 その工事を進めるにあたり、彼の哲学があった。それは、「自然を征服し、コントロールする」という西洋的な考え方ではなく、「自然はコントロールできない。自然に逆らわない」という日本古来の考え方を工事に生かしてきたということだ。
 だから彼は江戸時代以前から伝わる日本の土木技術を活用した。(ex.斜め堰、蛇籠etc)

        

 まだまだ中村氏はたくさんのことを語った。
 彼は飄々と語ったが、その一言、一言はとても重いものだった。
 彼をここまで突き動かすものは何なのだろう、と考えたが凡人の私にその答えを出せるわけがない。ただ、私には用水路が完成したときの写真の中で見せる住民たちの笑顔が彼の最高のモチベーションになっているような気がした。
 お話の最後に彼は、いつも講演会の最後に提示するという一枚の写真をスライドに映し出した。そこには屈託のないアフガニスタンの子どもたちの笑顔が映っていた。
 彼はそれを指しながら「何もない者の楽天性だ」と語った。

        
        ※ 中村氏が最後に提示した写真です。

 実は私は今から遡ること42年前(1969年)アフガニスタンを旅した経験がある。(ヨーロッパを旅した後、陸伝いに中近東からインドまで旅したのです)
 その時のアフガニスタンには何もなかった。しかし、そこにはのどかな風景が広がり、そこでのんびりと暮らすアフガニスタン人がいたことを記憶している。
 そのアフガニスタンが大国の思惑の中で翻弄され、人々は大変な困難を強いられている。そのような中で中村哲氏は人々のために全てをかけている。

 彼の言葉を紹介し、この項を閉じたいと思う。
 「私たちに確乎とした援助哲学があるわけではないが、唯一譲れぬ一線は、『現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のためにはたらく』ことである」と…。
 彼の思い、彼の行動は「超ボランティア」である。

メタボ予備軍? いや正規軍か?

2011-05-22 22:31:33 | 講演・講義・フォーラム等
 長い間自分を「メタボ予備軍」などと称してきたが、あるいはもう立派に「正規軍」入りしているのかもしれない…。札幌医科大学の講演会でメタボリック症候群についてのお話を伺った。

          
          ※ 講演会の入場券です。 

 5月20日(金)、札幌医科大学の講堂で道新ぶんぶんクラブと札幌医科大学の共催で「すこやかライフ講座」が開催され受講した。
 この講座は年間数回開催されるようで第1回目の今回は「メタボから身を守ろう~肥満はどうして怖いのか」と題して札幌医科大学々長の島本和明氏が講演された。

        
        ※ 講演会が行われた札幌医科大学の講堂です。

 島本氏はメタボリック症候群を、腹部肥満を基礎に高血圧、糖尿病、脂質異状症などが合併した状態であると定義した。
 そのような状態は心血管病(動脈硬化症)の原因として非常に注目されているという。
 そしてそれらの一つ一つの症状についてその状態や数字を示してくれたのだか、ヤバイ!!
 私はそれらについてかなり近い状態、あるいは数字なのだ。

 島本氏は「沖縄クライシス」という言葉を紹介した。
 このことは、長い間沖縄県は長寿国(県)と呼ばれてきたが、近年はその状況が著しく変わってきていて、男性にいたっては平均寿命率が全国の中位くらいまで低下しているという。
 その原因は沖縄県民の食生活の欧米化だという。米軍が駐留することによってカロリーの高い食生活が沖縄県民にも取り入られるようになって沖縄県民の平均寿命は著しく低下したという。
 このことは、私たちの食生活がいかに大切かということを端的に物語っているという。

        
      ※ 講演をする島本学長です。遠くからのショットでぼやけています。

 そして島本氏は現代人の生活習慣からくる動脈硬化症の危険因子を排除するためには次の点が重要であると指摘した。
 ◇高血圧 ~ 食塩制限、肥満改善、運動
 ◇糖尿病 ~ 肥満改善、運動
 ◇高脂血症~ 脂肪制限、肥満改善、運動
 ◇肥 満 ~ カロリー制限、運動
 このことから、生活習慣病から自分を守るには、「一に運動、二に食事」ということが分かる。

 私自身の生活を振り返っても、この二つのことをいかにおろそかにしていたかを痛感させられる。
 「メタボ予備軍」どころか、「メタボ正規軍」に近い状態の私にとって、今回の講演会は深く自分自身の生活を反省する機会となった。

近美の前に花を!

2011-05-21 15:03:31 | ボランティア
 「近美を愛するブリリアの会」の仲間と語らって、昨年まで雑草が生い茂っていた空き地に花を植えることにした。札幌市から花の苗を提供していただき昨日(20日)164株の白いベゴニアの苗を定植した。  

 過日、「近美を愛するブリリアの会」のことをレポートしたが(そのレポートはこちら  )、今年はただ近美前の歩道を清掃するだけでなく、雑草が生い茂っている空き地を花壇化しようと話し合っていた。
 札幌市が花の苗を提供してくれると聞いて申請したところ、その苗が昨日届いたのだ。

 事前に会の仲間と空き地のタンポポなどの雑草の根を抜き、そこに札幌市が花壇用の培土を入れてくれていた。
 作業は特別難しくはなかった。鶏糞の肥料を入れて土をならし、後はロープを張ってポイントを記しそこへ苗を植え込むだけだった。
 苗の間をどれくらい離すのか、何列に植えるのか、などといったことを会の仲間とかしましく相談しながら、楽しく植え込み作業を行った。

        
        ※ 楽しく苗の植え込み作業を行いました。

 164株といってもけっこうな広さの花壇では前面1/3程度しか埋まらない。
 後方には買い置いていたコスモスなどの種子を播種した。

 面白いというか、苦いというか、何とも表現しがたいことがあった。
 苗を植え付けたり、種子を播種したりした後、水を撒かねばならない。そこで近代美術館の前庭にある水道の水を利用させてもらうために事務室に「水道を使わしてもらいたい」と伺った。
 その時の担当者の答えである。「近代美術館の管理外のところに使うために水を使わしてくれと許可を求められたら断らざるを得ない。だまって使ってほしい」という答えだった。いかにも役所的な回答である。後々に面倒なことにならないためにはこのように回答するということなのだろう。ちょっと残念な対応だが、いたしかたないのかな?とも思う。
 ただ私の帰り際に「よろしくお願いします」と言ってくれたことでちょっと救われた思いもした。

        
        ※ 植え込みを終えたベゴニアの苗です。まあまあ真っ直ぐに
         植えられました。

 「近美を愛するブリリアの会」の昨年までの活動は、雑草を取り除いたり、枯葉やゴミを清掃したりすることだった。このことを私流に表現すると「マイナス分をゼロに戻す」活動だった。これに対して空き地に花を植える活動は「ゼロからプラスを生む」活動と言える。言葉を変えると「生産的活動」と称することもできる。
 このことが会の活動にいっそうの活気をもたらしてくれるものと信じている。

ウォーキングコース再訪(後編)

2011-05-20 22:45:49 | 札幌ウォーク & Other Walk
 私が札幌市内のウォーキングコースとしては最も素晴らしいコースとして挙げた「安春川コース」は、以前訪れたときに受けた印象からはやや後退した感はあるものの、やはり最高のコースであることには変わりなかった。 

 ※ 今回私たちがウォークしたコースマップはこちらをクリックください。( )

 「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つ「屯田防風林」には水場も造られていた。その水は近くにある創成川水再生プラザ(下水処理場)の高度処理水を利用しているとのことだったが、こうして森林の中に水があると心が和むものである。
 その水場近くでは水芭蕉を意図的に増やす試みがなされていた。
 ただ以前訪れたときは、コース上に木材のチップが敷かれていて足の裏がフワフワする感じが心地良かったのだが、多くの人が歩いたためだろうかチップがほとんど見えなくなってしまっていたのが少し残念だった。

        
        ※ 「屯田防風林」内を往く私たちのメンバーです。

 マップ上のコースは「屯田防風林」を左折して西野屯田通の市街地を南下するコースなのだが、マップ上には近くを斜めに走る安春川沿いが「散策路整備予定」と書かれてあった。私が以前訪れたのは2008年の5月である。整備予定地がどうなったのかと関係当局に問い合わせたところ、整備が完了したとのお話を受け、マップ上のコースを外れてそこを歩くことにした。

 ところが…。
 確かに川沿いにコンクリート舗装された散策路はあったのだが、川そのものは川底までコンクリートで固められた真っ直ぐなまったく人工そのものの川で、その横の散策路も何の変化もない真っ直ぐなコンクリート道がついているだけだった。しかも、途中からはその散策路がなくなっていた。
 つまり、この後に続く安春川沿いの散策路に通じていないのである。
 これには正直言ってガッカリした。

 昼食を挟んで、コースを東に向かう本来の「安春川沿いの散策路」に入った。
 ところが…。
 3年前に訪れたときは川底も川沿いも周辺住民の手によって(?)きれいに整備されていたのだが、今回訪れると川底は濁り、川沿いにも雑草が少し目立つ感じだった。
 平成2年の工事完成というからバブル景気真っ盛りの頃、相当な予算をつぎ込んで造られた散策路である。
 私の目には贅沢すぎるほどの散策路に見えたのだが、その散策路もなんだか少しくたびれて見えた。それでも鯉が泳ぎ、鴨のつがいが水辺に遊ぶ姿には心を和まされた。
 なお、この川に流れる水も創成川水再生プラザから引いている水を流しているということだった。

        
        ※ 一見整備されて素晴らしい散策路と映るのだが…。

        
        ※ 川面には鴨のつがいも遊んでいた。         


 以前訪れたときには周辺住民の手によってきれいに整備されていた安春川だが、周辺住民の熱意が冷めたのだろうか。そうだとしたらとても残念な気がする。
 外野の私が言うことではないが、ぜひとも自分たちの周辺環境を自らの手で護ってほしいと思う。その価値が十分にあると思える散策路だから…。

        
        ※ 安春川の源流(?)です。水再生プラザからの水が流れ出ています。

 こうして10km強にわたるウォーキングを終え、ゴールのJR新川駅に着いた。
 3年前に訪れたときとは若干印象は変わってしまったものの、魅力的なウォーキングコースとしての条件は十分に備えているコースだと思った。
 できればコースに関わる人たちの手でこの素晴らしいコースが維持され続けることを願いたいと思ったのだった…。

 ※ なお、私の3年前のこのコースの印象記はこちらをクリックすると呼び出すことができます。(’08/05/21(前編)  ’08/05/22(中編) ’08/05/23(後編)  )

ウォーキングコース再訪(前編)

2011-05-19 23:44:25 | 札幌ウォーク & Other Walk
 懐かしの「安春川コース」…。札幌市内のウォーキングコースとしては随一と思っていた「安春川コース」。そこは懐かしさとイメージが少し損なわれたかな?という複雑な思いを抱かせてくれた「安春川コース」だった。

        
        ※ 「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定された
         「屯田防風林」です。

 オヤジの仲間づくり21の会の仲間の方から「札幌で最も素晴らしいウォーキングコースを紹介してくれないか」というリクエストをいただいた。
 私は2008年から2010年にかけて札幌市内に設定されている118のウォーキングコースの全てを踏破していたが、リクエストを受けて即座に挙げたのが「安春川コース」(正式には「北・新川・新琴似・麻生コース」の「安春川コース」というなんとも長いコース名)だった。

 そのコースはちょうど方形に近い形をしているのだが、そのうち3辺が遊歩道として整備されていて、3辺がそれぞれ違った表情を見せてくれる9km強のウォーキングコースだった。

        
        ※ JR学園都市線の高架下緑道の遊歩道です。

 5月18日(水)午前、オヤジの仲間づくりの会5月特別例会として「安春川コース」を参加者5名でウォークすることになった。
 JR学園都市線でスタート&ゴール地点の新川駅まで移動し、さっそくウォーキングを開始した。天候は晴れ、風はなく、暑くもなく寒くもなく絶好のウォーキング日和である。
 まずはJR学園都市線の高架化に伴って設置された高架下緑道を歩く。緑道の両側にはさまざまな木を配し、目にも体にも優しい遊歩道である。
 ウォーキング日和がウォーカーを呼び込んだのだろうか、ウォーキングを楽しむシニアのカップルやグループが目立った。

        
        ※ 高架下緑道を歩くオヤジの仲間づくり21の会のメンバーです。

 直線を歩くこと2.6km、高架下緑道が終わると「屯田防風林」が始まる。
 この「屯田防風林」は日本ウォーキング協会が「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定している名物(?)のコースである。
 その昔、当地を開拓した住民が幅約50m、長さ3kmにわたり風害から農作物を守るためにポプラ、ヤチダモ、ハルニレ、白樺などを植樹したものが今に残り、その樹間が絶好のウォーキングコースとなっているところである。
 歩くコースは舗装もされず、土のコースが足に優しい…。
 私たちは歩くというよりも、周辺の樹木や草花に目を奪われながら、ゆっくりとゆっくりと歩を進めた…。                      
                           (以下、後編に続く)

シャンソンコンクール

2011-05-18 18:50:10 | ステージ & エンターテイメント
 何事にも好奇心いっぱいに札幌の街を飛びまわっている私である。私にとって縁遠い存在の“シャンソン”の世界を覗いてみた。そこには私の日常とはまったく違った世界が広がっていた…。 

 縁遠いとはいっても、その昔に研修で東京に一ヶ月間滞在したときに、恐れるものを知らない私は東京銀座にあった「銀巴里」でシャンソンを聴いたことがあった。そのときライブで歌った歌手が誰だったかは記憶にないが、1982年10月のことだった…。

 あれから40年!(誰かの口調に似ています)、第27回日本アマチュアシャンソンコンクール北海道大会が5月16日(月)京王プラザホテルで行われると聞いて、しかも入場無料ということで好奇心いっぱいの私は「いったいシャンソンの世界とは何ぞや?」との思いで覗いてみることにした。

 会場に行ってまず驚かされた。ステージが宮殿の中のような雰囲気にしつらえてあるのである。その前で歌う出場者は歌姫の気分か?
 告知では12時30分から公開予選会があるとなっていたのだか、実際は公開リハーサルということで出場22名全員が17時30分からの本選に出場できるとのことだった。
 私は勤務の関係上、本選は聴くことができず、公開リハーサルを聴くだけだった。

        
        ※ 準備の整ったステージです。なんとなく宮殿風に見えませんか? 
        
 公開リハーサルといっても本番直前だから、出場者は真剣そのもの、本番の衣装に身を包み練習の成果を発揮しようと熱唱します。
 専門的なことは分からないが、歌のレベルは人によって差があるような気がした。それでも以前に比べるとレベルの向上が見られるとか…。
 目を見張ったのが出場者の豪華な衣装である。およそステージ以外では着用することがないだろうと思われる高価そうなドレスに身を包んでいた。

        ※ 豪華なドレスに身を包み公開リハーサルを行う出場者たちです。

        

         

        

 後ほど関係のウェブ上の記事を繰ってみると、出場エントリー料が9,000円。その上、プロのピアニストに伴奏を依頼しないといけないようだ。
 しかも、北海道大会を勝ち抜いて神戸市で行われる全国大会に出場するための交通費などは全て自前とか…。
 う~ん。なんとなく庶民の世界の話ではなさそうだ。
 シャンソンとは高貴な趣味なのか?そんなことはないはずなのだが…。

 本選を聴けなかったのは残念である。来年はスケジュールを調整してぜひとも本選を聴いてみたいと思った…。

高校野球シーズン到来!

2011-05-17 18:34:07 | スポーツ & スポーツ観戦
 高校球児が躍動する季節がやってきた!全道各地で円山球場を目ざしての戦いが始まっている。甲子園大会に直結する大会ではないが、札幌でも5月9日からその予選大会が始まり、今日四つの代表校が決定した。 

 甲子園大会に直結する大会ではない「春の高校野球」(春季北海道高等学校野球大会)は私には関心外の大会だった。
 しかし昨年夏の南北海道大会を凝視し続けることによって高校野球の魅力に改めて気付かされた私は、春の大会の、しかも札幌支部予選まで観戦したいと思うようになっていた。

 今回私は、
 ◇5月14日(土)麻生球場
 ◇5月15日(日)円山球場
 ◇5月17日(火)麻生球場
と三日間球場に通った。
 数ある対戦の中から私が選んだ観戦試合は、やはり強豪校といわれる高校の試合だった。
 札幌に縁もゆかりもない私としては、関心がいきおい強豪校になるのは止むを得ないことだと思う。
 14日は北海高校を、15日は札幌第一と立命館慶祥を、そして17日はC、Dブロックの代表決定戦を観戦した。

        
       ※ 延長10回札幌大谷を4対3の激戦で制し校歌 
        を聴く札幌南の選手たちです。

 結果は、Aブロック~立命館慶祥、Bブロック~北海学園札幌、Cブロック~札幌南、Dブロック~北海 が全道大会に駒を進めた。
 この中で、札幌第一を破った立命館慶祥、私立の2校を撃破し代表権を獲得した札幌南の健闘が光る。
 今回、北海高校の戦いを2試合観戦したが、その安定した戦いぶりは他校より一二歩先に行っているような気がした。決定戦こそ東海大四高に延長戦にまで粘られあわやという場面もあったが、予選4試合を通じてエース玉熊を一度もマウンドに上げなかったのは余裕の表れか?
 30日から始まる全道大会でも札幌勢は相当の活躍を見せそうである。

        
       ※ こちらも延長戦にもつれ込んだ東海大四高対  
        北海の試合結果を表すスコアボードです。

 それにしても北海道でこの季節の観戦はなかなか厳しいものがある。
 風が吹きっさらしのスタンドに座って、寒さに耐えながらの観戦は難行苦行である。
 今日も空は晴れているのに、私の服装ときたら歩くと汗が出そうなほどウェアを着こんでいたのに、さらにその上に風を通さないレインウェアの上下を着こむことによってようやく観戦に集中することができた。
 夏の大会は暑さ対策をしなくてはいけないし、アウトドアのスポーツ観戦はなかなか大変である。でもそれがアウトドアスポーツの観戦の醍醐味なのかもしれない…。

        
       ※ 立命館慶詳のマネージャーだろうか、自チーム 
        の活躍の様子を一生懸命カメラに収めていました。

映画 48 小さな町の小さな映画館

2011-05-16 18:48:54 | 映画観賞・感想

 「映画を見ない人生よりも、見る人生の方が豊かだ」この言葉は映画館「大黒屋」の三代目館主が言った言葉だそうだ。最近映画づいている私はこの言葉に共感しながらこの映画を見た。

          

 最近の私はすっかり映画づいてしまった。
 それは映画が私たちシニアにとってはコストパフォーマンスに優れたエンターテイメントだと思うからだ。
 私たちシニアはいつでも僅か1,000円でおよそ2時間の間、さまざまな世界に遊び、いろいろと思索させてくれるのが映画である。

 今回の映画「小さな町の小さな映画館」は以前に蠍座で予告編を見て興味を抱き、5月14日(土)に見たものである。
 映画は人口1万4千人の北海道浦河町に93年にもわたって営業を続ける映画館「大黒屋」をめぐるドキュメンタリーである。
 映画館「大黒屋」4代目館主三上雅弘夫妻とその母親の三人を中心として、映画館に関わる街の人たちが次から次へと登場してくる。

 今では人口10万~20万の都市でも映画館が消えていく時代だという。それがなぜ人口1万4千人の街で今日まで続けてこられたのだろうか。
 第一は4代目館主である三上雅弘さん夫妻と三上さんの母親の三人の「続けよう」とする気持ちの強さなのだろう。しかし、三上さんはそのことに肩肘張るようなところは少しもなく、淡々と今の状況を受け入れながら営業努力は怠らずに努めているといった姿である。
 一方、街の人たちは「大黒座サポーターズクラブ」、「浦河映画を見る会」などを組織し、なんとか浦河から映画文化の灯を消さないようにと一生懸命に大黒座を支えている。

 映画はそんな三上さんの家族、街の人たちを淡々と映していく。その淡々として映し出すだけで、決して声高に何かを主張しないだけに、その底流に映画を愛する制作者の思いがずーっと流れているように感じた。
 4代目館主の三上さんはその朴訥とした語り口で「映画館で映画を見るのは、母親の胎内にいるときのような気分になる」と語っている。
 母親の胎内と似ているか否かは私には判断できないが、映画館で映画を見ることが、自宅のテレビでDVDを見るのとは明らかに違うと私も思っている。

 冒頭に紹介した3代目館主の言葉「映画を見ない人生よりも、見る人生の方が豊かだ」そんな思いに共感する浦河町の人たちがたくさん増えて、これからも小さな町の小さな映画館が続いていくことを願いたい。
 私もいつか「大黒座」を訪れてみたいと思った…。


札幌の西部山麓部は温泉銀座だった!?

2011-05-15 23:37:03 | 札幌学 & ほっかいどう学
 その昔、札幌市街地の西部山麓地帯にはたくさんの温泉施設があって市民の憩いの場になっていたという興味ある史実を伺うことができた。札幌の街にあった温泉盛衰物語である。 

 5月14日(土)北大総合博物館で「土曜市民セミナー」があり参加した。
 今回のセミナーは「札幌の市街地西部山麓にあった温泉」と題して北海道立総合研究機構の地質研究所長の藤本和徳氏が講師を務められた。
 地質に関係する固い話と思いきや、昔の絵図などを用いた地域史のような話で興味深く伺った。

        
        ※ 講義をする地質研究所長の藤本氏です。

 時代は明治から大正・昭和の初めにかけてである。
 札幌の市街地西部に連なる山々の麓に八つもの温泉施設があったということだ。
 まず、手稲山の北東山麓に「瀧の沢温泉」(手稲金山)、「藤の湯」(手稲本町)、「軽川温泉」 (手稲富丘)と三つの温泉があった。
 時代はそれぞれ多少違えども、明治末から大正にかけて開業するもどの温泉も湯量や温度ともかんばしくなく、昭和の初期に廃業を余儀なくされたようである。

 そして荒井山の南麓には「円山温泉」、円山と藻岩山のあいだには「札幌温泉」「界川温泉」「藻岩温泉」「不老閣」と五つの温泉が並んでいたということである。
 この中で最も特徴的なのが「札幌温泉」である。「札幌温泉」はその場で掘削して温泉を湧出させたのではなく、なんと定山渓温泉からパイプラインを使って引湯していたというのである。定山渓から札幌まで約25kmの距離に土管を敷設したというのである。
 そしてさらに、市街地から温泉客を運ぶために市内電車を運行させたという。
 相当の資金を注ぎ込んで大正15年(昭和元年)に開業した温泉営業だったが、経営不振に陥り昭和7年には閉鎖に追い込まれたということである。
 その他の温泉もそれぞれに物語りはあるのだが、それぞれ個人の事業主が夢を抱いて開業したものの長くは続かず閉鎖してしまったということだ。

 なぜ長く続かなかったかというと、先にも記したように温泉自体の湯量や温度の問題とともに、大正7年に定山渓鉄道が開通し、大型の温泉施設が建てられたこと。さらには昭和4年に定山渓鉄道が電化され定山渓-札幌間に一日16往復の電車が通じたことで札幌市民が定山渓を身近に感じられるようになり、湯量豊かな定山渓温泉には太刀打ちできなくなったことが原因だったということだ。

        
        ※ 図では見づらいが、赤丸が現在利用されている温泉です。

 講師の藤本氏によると、現在札幌の市街地では43の温泉井が利用されているということである。これは現在市内各所で温泉を謳って営業している施設を指すのだろう。
 ということは、明治から昭和の初めにかけて札幌市街に起こった温泉ブームが形を変えて再び静かなブームを呼んでいるということなのかもしれない。
 いや~。日本人は昔から今にいたるまで温泉が好きなんですね~。