田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

行動する研究者は熱く語った

2017-05-17 22:06:02 | 大学公開講座
 アイヌ研究では北海道の第一人者の一人、札幌大学の本田優子教授は、お話を聞いていて行動する研究者だと思った。氏はご自分の実践を学生たちに持ち時間いっぱい熱く語り続けた。 

               

 今日(5月17日)午後、札幌大学の公開講座(といっても、一般の札幌大生と共に受講する講座であるが)「地域創生入門」の第5講があった。
 この日のテーマは「私が描く地域創生」と題して、札幌大学の本田優子教授が講師を務めた。

 本田氏は「地域創生入門」を受講する札大生に対して、地域の創生を考えるキーワードとして次の三つを提示した。
 ◇「他人ごと」ではなく、「自分ごと」として
 ◇「傍観者」ではなく、「当事者」として
 ◇「評論」するのではなく、「実践」する姿勢で

 このように学生に語りかけた後、氏が実践している二つのことについて語った。

                    

 その二つとは…。
 一つは、氏の専門でもあるアイヌ民族に関わって、アイヌ民族の子弟に大学進学の支援をすることと、自民族の文化を学ぶ場を作ることを目的に、「ウレシ(小文字)パ・プロジェクト」を大学内に起ち上げ、成果を挙げつつあるという取り組みについて語ってくれた。

 そしてもう一つは、北海道の観光振興のために、アジアからの留学生をスキーインストラクターに育て上げ、インバウンド観光の定着を目ざす「おもてなしスノーレンジャー」という取り組みを北海道運輸局と連携して取り組み始めたという実践が語られた。

               
               ※ インストラクターを目ざすアジアからの留学生たちです。

 両方ともに、本田氏は自ら動き、他を説得し、他を巻き込んで、大きなうねりを創り出すことに成功している。
 特に、アイヌ民族については、大学卒業後、アイヌ民族の人たちが生活する平取町二風谷で11年間も暮らしたというから、なまじの研究者ではない。性根が入っているのだ。
 だから語る言葉も自然に熱を帯びていた。

 氏の専門であるアイヌ民族の研究については、別の機会にもっと専門的に聴かせていただく機会がありそうなので、詳しいレポはそれを待つことにする。
 今回の二つの取り組みを聞いていて、氏は単に行動するだけではなく、その構想力、そしてその思いを展開する力に優れている方だと感じた。
 先に、他を巻き込むと記したが、「おもてなしレンジャー」では、北海道運輸局をはじめ、官民の多くを巻き込み、成果を挙げている。
 また「ウレシパ・プロジェクト」では、「ウレシパ・カンパニー制度」というものを作り、現在道内の27の企業から協賛を得ているそうだ。(27は中核企業と称していたので、その他にも協力企業があるのかもしれない)

 本田氏の指導で、札大生の中から地域に貢献できる若者が育っていくことを期待したい。
 ところで、この講義では思わぬ副産物を私にもたらしてくれた。
 講義前に私の携帯に「札幌大学の公開講座に来ています。いらっしゃいますか?」というメールが入った。
 実は、私の新任教師時代に下宿をしていたお宅の息子さんが北海道運輸局に勤めているのは以前から知っていたが、なかなか会えないでいた。その彼からのメールだった。
 調べてみると、彼は本田氏が語った「おもてなしスノーレンジャー」の運輸局側のチーフを務めているようだ。
 そして関係者が起ち上げた「NPO法人 おもてなしスノーレンジャー」の副理事長もつとめられているようだ。
 講義後、彼の中学卒業以来だから実に40年ぶりの再会となったのだった。

                    
                    ※ 私の古くからの知人で、北海道運輸局側のチーフを務める安田稔幸氏です。

春のありがとう観察会 レポート編

2017-05-16 20:23:01 | 環境 & 自然 & 観察会
 オオバナノエンレイソウやニリンソウの白い花が満開で私たちを迎えてくれた。花(白いガク?)の時期が終わったミズバショウが巨大に育った葉を水辺に浮かべていた。森は春爛漫という様相を呈していた。

 5月13日(日)、朝から午後にかけて野幌森林公園のふれあい交流館と北海道ボランティア・レンジャー協議会主催の「春のありがとう観察会」に参加した。
 「春のありがとう観察会」とは少々違和感のある日本語のようにも思うが、この観察会は野幌森林公園の自然に感謝して、森林内のゴミを拾いながらの観察会である。そうした観察会が毎年春と秋に開催されている。したがって「春に実施する、森に感謝してゴミを拾いながら行う観察会」という意味を短く表すために付けられたネーミングと解した。

 参加者はおよそ30名だとか。それを希望によってAコースとBコースに分けられ、それぞれ4~5人に一人のボランティア・レンジャーのガイドが付いてくれた。私は春の花が多いと言われたエゾノユズリハコース ~ 四季美コース ~ 桂コースを巡るBコース(約5.7㎞)を選択した。
 ガイドは幸運にも協議会の会長である春日氏が付いてくれた。
 野幌森林公園は、前回4月(4月19日)の観察会と比べると、木々に緑の若葉が還ってきてとても清々しい気持ちにさせてくれる観察会だった。

               
               ※ 公園内は木々に若葉が還ってきて、清々しい空気に包まれていました。

 春日氏のガイドは実に丁寧だった。
 しかし、受講者(私)のレベルがそれに付いていけない。例えば、オオタチツボスミレ、タチツボスミレ、ツボスミレの見分け方について、実物を前にして説明してくれるのだが、私にとっては、それらスミレの僅かな相違など、一度の説明を受けてもよく理解できないし、そもそもその相違を覚えようという意欲もないのだから、これは困った受講者である。

               
               ※ 左端の人が私たちの班のガイドをしてくれた春日氏です。

 私は今の私のレベルをほんの少しだけ上げることを目標にして春日氏のガイドに付いていった。
 それでは、私が覚えることができた、あるいは覚えようとした山野草だけをこの後、写真と共にレポートする。

 まずエンレイソウの仲間である。
 大きな3枚の葉に小さな紫色の花(実はガクということだ)を付けたエンレイソウである。

               

 次は、森の中でひときわ白い花(ガク)が目立つオオバナノエンレイソウ。

               

               
               ※ 公園内には、こうしたオオバナノエンレイソウの群落がいたるところに見られました。

 続いて、オオバナノエンレイソウの変種で、花(ガク)が緑色をしている。広い公園の道端では一株しか発見されていないようだ。

               

 そして花(ガク)は白いが、オオバナノエンレイソウと比べ小さく、同時に緑色の外花を持つミヤマエンレイソウである。

               

 最後に、ガク片が緑色で、子房が黒いトイシノエンレイソウである。砥石山で発見されたことがその命名の由来だとか。この種も野幌森林公園ではその株は多くないようだ。

               

 続いて、私たちにとってやっかいな植物を二種。
 一つはツタウルシである。ウルシに弱い人は近づいただけでも肌が負けてしまうとか…。

               

 そしてこちらも保険金詐欺事件などですっかり有名になった。トリカブトである。正確にはエゾトリカブトと称するらしい。

               

 このエゾトリカブトとよく葉の形が似ているのが、公園内でもとても目立つニリンソウである。ニリンソウはこの時期、オオバナノエンレイソウとともに森林内で白い共演をする二つの山野草である。

               

               
               ※ ニリンソウが遊歩道を取り囲むように咲いているところがありました。

 次に野幌森林公園内で目立つ植物をチェックしておきたい。
 まずはオオウバユリである。まだ幼生であるが、これからどんどん大きくなって、森林公園内の遊歩道脇で存在感を誇る植物である。

               

 続いて目立つのがバイケイソウである。強い毒性のある植物で、幼芽のときはギョウジャニンニクなどと間違われて中毒事件を起こしているとのことで、要注意である。

               

 さらに目立つのが、マイヅルソウである。これは葉が鶴が舞う姿にも見えるところから付けられた名前だということで葉に特徴がある。

               

 目立つほど多くはないが、特徴的な山野草を三種ほど…。
 一つは、その幹の肌が特徴的なマムシグサである。これは覚えられそうだ。

               

 そして、これも葉に特徴があるオオカメノキで、葉の形がカメの甲羅形に似ていることから命名されたという。

               

 花が特徴的で、独特の気品さえ感じられる花が特徴的なヒトリシズカである。

               

 まだまだ、たくさんの山野草について説明を受け、カメラにも収めたが、私の能力の限度を超えそうなので、この辺りでレポを閉めることにする。
 “好きこそ物の上手なれ”と言われるが、本当にガイドの方たちは多くの植物の名を知っていて、その特徴にも詳しい。私は基本的に植物を好きになれていないのかな?


春のありがとう観察会 写真編

2017-05-15 10:57:01 | 環境 & 自然 & 観察会
 今日は一日中スケジュールがいっぱいである。
 これからすぐに、退職組織の全道規模の年度総会がある。その後が懇親交流会、そして総会に北見からやってきた元同僚と懇親の場をもつことにしている。帰宅は深夜になりそうだ。

 連日日投稿を自分に課している私としてはピンチである。
 そこで本日は先日参加した「春のありがとう観察会」の写真だけを投稿しお茶を濁すことにする。
 明日レポート編を投稿することとしたい。
 それでは「春のありがとう観察会」写真編です。(写真説明も明日に回します)

          

          

          

          
          

          

          

          

          

「ほっかいどう山楽紀行」の著者と一献

2017-05-14 16:46:00 | 本・感想

 当年確か73歳を迎えたはずの坂口一弘氏は意気軒高だった。7日間、連日の登山にもかかわらず微塵の疲れを見せてはいなかった。楽しい語らいから、刺激を受けたというより、氏には遠く及ばないことを痛感させられた夜だった。

                    

 5月12日(金)夕刻、「ほっかいどう山楽紀行」を発刊したばかりのsakagさんこと、坂口
一弘氏と歓談する機会を得た。
 坂口氏は5月6日に札幌の会議に出席した後、道央から道東各地を回りながら連日登山をこなし、11日に札幌に入っていた。その間一日も欠かさず(天候にも恵まれたようだ)大小の山を登っていた。

        
        ※ 著書を紹介する二つの新聞記事を坂口氏のHPから拝借しました。

 氏が札幌に入ったと知って、久しぶりに氏と歓談したいと思った。
 この日の朝、すでに登山を開始していると思ったが、「もし、夕刻に予定がなければ歓談させてもらえないか」と氏の携帯に電話を入れた。案の定、氏は手稲山西峰に向かって登山中だった。急な私からのお尋ねに対して「特に予定がないので、逢ってもいいですよ」と回答を得た。
 私たちは駅前の某居酒屋で歓談のときを持った。

        

 私は冒頭、「連日山に登っていて疲れないのか?」と聞いた。「いや、別に疲れないね。簡単な山が多いし…」という答えだった。実際は簡単な山ばかりではないのだが…。たとえ小さな山であったもルートが確立されていなかったり、これまで数人しか登っていないところを登ったり、踏み跡のない藪漕ぎをしたりと、その山行は現役感バリバリの登山という感じなのだ。

 話は刊行したばかりの著書「ほっかいどう山楽紀行」のことに移った。著書は順調に売り上げを伸ばしているらしい。私も知人への紹介を含めて3冊購入させていただいたが、自費出版の上、写真が多く、高価な紙を使用していることもあって、持ち出しが相当多いということだった。
 その著書を拝見してみて、氏の山行が改めて凄いという印象だった。特に凄いと思ったのは、一つの山に2度も、3度も、そして夏も冬も登っていることだ。そのことに触れると、「新聞に山行記を載せるにはそれくらいのことは当然です」とのことだった。(今回の氏の著「ほっかいどう山楽紀行」は道新に掲載された同名の連載記事に加筆修正をしたものである)
 そして初心者の私にとっては、特に日高山系の山々などは近づくことさえできないなぁ…、というのが率直な印象である。

               
               ※ 暗い店内でフラッシュを使用していないので少し鮮明ではありませんが、リラックスされている坂口氏です。

 楽しい語らいは時間が過ぎるのも早い。疲れていないとはいえ、深酒は禁物である。私たちはもちろん一次会で解散となった。
 氏の著「ほっかいどう山楽紀行」を参考にして、あくまで私のペースでぼちぼち登って行けたらなぁ、と思いながら坂口氏と別れたのだった。

※ なお、坂口氏の著書「ほっかいどう山楽紀行」に興味を持たれた方は、こちらををクリックすると坂口氏のHPを開くことができます。


エーゲ海 サントリーニ島

2017-05-13 23:26:02 | 「めだかの学校」関連

 エーゲ海のちょうど真ん中くらいに位置するところに白壁の家々が密集していることで知られるサントリーニ島という島がある。この島は地球の歴史上で非常に重要な島であるらしい。そんなことも知らずに、私は以前にこの島を訪れていた体験があった。 

               

 5月8日(月)午後、「めだかの学校」の「新世界紀行」DVD観賞の講座が開催された。
 今回取り上げられたのは、「古代地中海伝説」「アンコールワット」が取り上げられた。歴史についてはあまり興味のない私にとっては退屈な講座になると思われた。しかし…。

 「古代地中海伝説」のDVDを観賞する中で、サントリーニ島はかつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形の一部で、その外輪山にあたるということだった。
 そのかつてとは、紀元前1400年とはるか昔のことなのだが、その爆発の規模は広島原発の100万個分に相当するという大規模な爆発だったようだ。その爆発によって、当時ヨーロッパ最古の文明と言われたミノア文明が一夜のうちに崩壊したということをDVDは伝えていた。

 そうした歴史も知らずに、私は2000年1月にこの島を訪れ、2泊3日の旅を楽しんでいる。
 サントリーニ島を訪れたわけは…。
 「2000年1月1日に、あなたは誰と、どこで、何を見つめていたいか」というキャッチフレーズで、週刊ポスト誌が「2000年の目撃者」特派記者を募集する、という記事が私の目に止まった。
 その瞬間、「これは私にも応募資格があるかもしれない!」と思った。この種の類のものに応募したことなど一度もなかったが、私は「息子とアクロポリスの丘で新年を迎えたい」という応募文を一気に書き上げて、週刊ポスト誌に送った。私は大学時代に貧乏旅行をしながらギリシアのアテネで新年を迎えたという体験があったからだった。

 応募したのも忘れかけていたころ、週刊ポストの発行社である小学館から、選出した5人の中の一人に選ばれたと連絡があった。それで私と息子は2000年の新年を挟む1週間にわたりギリシアに派遣されたのだった。
 その際、小学館の方から「一週間ずーっとアテネでは飽きもくるだろうから、どこかギリシア国内を旅行しないか」と提案があり、確かその旅先として2~3の提案があったように記憶している。

         

 私は小田実著の「なんでも見てやろう」で、ギリシアのミコノス島が真っ白な白壁が並ぶ島として紹介されていたことから一種の憧れを持っていた。しかし、提案された候補先にミコノス島は含まれていなかった。そこでやはり白壁の家々が並ぶ島として有名なサントリーニ島を大して根拠もなく選んだと記憶している。

 サントリーニ島は確かに、家々の壁から、家の間を通る小道まで、全てが白く塗られたまるでお伽のような島だった。夏は大変な観光地らしいが、私が訪れたのは冬だったために閑散としていた。
 もう30年近く前のことなので、記憶も薄れかけているが、3日間の滞在のなかでレンタカーを借り、島を巡った時にドームのように屋根がかけられた下で発掘調査が行われているところを見学する機会があった。今思うと、そこが火山の爆発の痕跡を残す遺跡だったのかもしれない。

               
               ※ 私の記憶そのまま写真がウェブ上にありました。サントリーニ島アクロティーリ遺跡です。

 その時の旅がサントリーニ島を訪れることが主目的ではなかったとはいえ、今回のDVD観賞で島の歴史に触れて、自分の無知を恥じた。事前の学習をしっかりしていれば、より有意義な旅になっただろうに…。


北海道ベースボールアカデミー

2017-05-12 21:41:32 | 大学公開講座
 北海道からプロ野球選手になる!という夢の実現に向かってチャレンジできる場を作った人が語る地域創生物語である。“出合祐太”という方がその人である。彼はこれまでも、彼自身が描いた夢に向かって駆けてきた男である。 

 5月10日(水)午後、札幌大学の公開講座「地域創生入門」の第4講が開講された。私はスケジュールが合わず、今回を含めてまだ2度しか受講していない。
 第4講は「“Locals,go global !”」と題して、出合祐太氏が講師を務めた。

               
               ※ まだまだ若い出合氏の胸の中には夢がたくさんあるようです。

 出合祐太氏を簡単に紹介すると、1983年富良野市に生まれ、当年34歳。札幌大学野球部出身である。2008~2010年にかけて、海外青年協力隊の野球隊員として西アフリカのブルキナファソに派遣された。ブルキナファソは世界最貧国の一つに挙げられるほど貧しい国で野球を楽しむ環境ではなかったそうだ。そうした悪条件の中で野球の普及に2年間情熱を傾けて帰国したそうだ。
 出合氏の素晴らしいのは、そこからである。日本に帰国してから、自らが関わったブルキナファソを、野球を通して応援したいと「ブルキナファソ野球を応援する会」を起ち上げ、地域や関係機関・団体などにに働きかけながら、ブルキナファソに野球用具を送ったり、ブルキナファソの野球少年たちを日本に招待したり、という活動を続けてきている。
 そして出合氏の応援を受けたブルキナファソの野球少年の中から、昨年、高知と新潟の独立リーグのチームに二人を入団させるという成果をあげた。
 記憶にある方もいるかと思われるが、昨年はブルキナファソだけではなく、周辺の国からも選手を集めて日本に招待し、日本ハムのOBと室蘭市において交歓試合をしたことが新聞などでも報じられこともあった。

               
               ※ ブルキナファソの少年たちに野球を指導していたころの出合氏と少年たちです。

 出合氏の夢はとどまることを知らない。ブルキナファソの野球少年たちの応援ばかりではなく、日本の野球少年たちも応援したいと立ち上がったのだ。それが「北海道ベースボールアカデミー」である。講義の際に配布された資料から「北海道ベースボールアカデミー」について説明してある部分を転写すると…。

 北海道ベースボールアカデミーは「プロ野球選手なる!という夢の実現に向かってチャレンジできる場」といえます。今日、さまざまな困難や問題、あるいは、周囲の環境、社会の中で夢を追いかける事、夢を見ることがカンタンではない状況があります。プロ野球選手になるという夢も、多くの野球少年が抱いていますが、なかなか夢の実現までのプロセスを描けないでいます。HBA(北海道ベースボールアカデミー)は、独自の育成方法で、自身の人生を方向づけ、選手として人として成長することをサポートします。 

と謳って、今年4月に11名でスタートしたそうだ。
 そして今、11名全員が4月に選手寮のある富良野と占冠に入ったという。火曜と木曜の午前は選手全員が集まっての合同練習。それ以外はアルバイトや自主練習をする日々だそうだ。まだ屋外での練習はできていないが、基礎練習に汗を流す日々だという。と同時にHBAの基本理念である「自分で考え、自分で行動する」という姿勢を選手たちに強調し、野球技術だけでなく生きるための力を育んでいるということだ。

                    
                    ※ 高知ファイティングドッグに入団を果たしたブルキナファソ出身のサンホ ラシィナ選手です。

 出合氏自身は、パンの製造・販売で生計を立てながら、少年たちの夢を応援するために東奔西走の毎日を送っているそうだ。それは出合氏自身の夢でもあるのだが…。
 まだまだ出合氏にとっては夢の途中である。
 少年たちはアルバイトで地域に溶け込み、そして地域の人たちの応援を受けることで、交流が生まれる。地域の人たちは、彼らの夢の応援することで、話題ができ、活気が生まれる。
 そんな形の地域創生の実現のため出合氏は今、全力疾走しているようだ。
 いつの日か、HBAからプロ野球選手が誕生することを、私も夢見ていたい。

北大スラブ研公開講座№1 北東アジアとは?

2017-05-11 18:19:45 | 大学公開講座
 今年もスラブ研の公開講座が始まった。スラブ研とは、正確には「北大スラブ・ユーラシア研究センター」と称する。スラブ研の公開講座はすでに31年目を迎えたそうだ。いつも刺激的なお話が聴ける本講座を楽しみにしている。この日から7回にわたる講座を楽しみたい。 (うち1回、私は欠席しなければならないが…)

 5月8日(月)夜、第1回目の講義が行われた。この日の講師は、スラブ研のエース的存在(?)の岩下明裕教授が「ボーダースタディーズから考える北東アジア」と題して、講座全体の導入的な内容をお話された。
 講座全体の大きな共通テーマは「境界地域から北東アジア 国際関係を考える」というものである。

               

 岩下教授は、今回の公開講座全体に関わってくる「国境とは?」、「ボーダーとは?」、「北東アジアとは?」といった観点から論じられた。
 まずテーマから考えると、ボーダースタディーズ…、つまり「境界学」の見地から日本を含む「北東アジア」の国々の境界を巡る争いについて考える、ということになるだろうか?

 さて、「国境」と「ボーダー」であるが、本来的には同義語であるが、岩下氏は違う意味の言葉として使っているという。つまり「国境」は、国と国の間にあるもの(ある意味で国境線が確定されたもの)であるとする。
 一方「ボーダー」は、必ずしも国ではない境目に作られた空間を指すという。ボーダーとは、いわば確定されていない、権力によって恣意的に敷かれた(敷こうとしている)線も含めてボーダーと岩下氏は規定する。岩下氏はボーダーについて、次のようにも言った「ボーダーは人間が決めたものであり、それを決めるためには力が源泉となっている」と…。

 続いて「北東アジア」である。地理的には、極東ロシア、中国本土、朝鮮半島、モンゴル、台湾、日本あたりを指す地域である。
 この北東アジアが、東南アジアや南アジアのように地域機構がなかなかできない状況にあるそうだ。その理由として、北東アジアの場合、ロシア・中国・日本、そして間接的にアメリカが関与していて、4つの大国が互いに緊張関係にあるため協力体制が構築できないでいるとした。
 地域機構というのは、弱い国同士の集まりか、強い1国が存在するところでは協力体制が構築しやすいが、北東アジアのように4つの大国がそれぞれの思惑で動いている場合、地域機構のような体制はなかなか構築できないという。

 岩下氏の講義を完全に咀嚼できたわけではない。しかし、一応定着している国境にしても、揺れ動いているボーダーにしても、その背景に国の力、パワーゲームが展開されているという事実がある。
 ボーダーレス化を目ざしたEUも理想のようにはいっていない状況である。人間の業と言ってしまえばそれまでなのだが…。何せ「アメリカファースト」と声高に叫ぶ人が米大統領になってしまう時代だから…。大国と言われる指導者の中から「地球ファースト」と主張するような大きな人物が現れないのだろうか?
 おーっと脱線してしまった。

 講座の2回目からは、北東アジア地域に存在する個々の問題について、様々な方々が論じてくれるという。楽しみに講座を聴きたい。

ワンコインランチ紀行 11 東区役所食堂

2017-05-10 16:20:09 | ワンコインランチ紀行 
 とうとう札幌市内の区役所食堂を制覇(?)した。東区役所食堂のウリの一つは「あんかけ焼きそば」との情報を得ていたので、ワンコインの掟を始めて破ることになった。(タイトルに偽りあり?)このシリーズではブレまくる私である。 

               

 とうとう札幌市内の区役所食堂7つを制覇(?)した。札幌市内10区あるうち、中央区、西区、北区は初めから食堂が無かったり、閉鎖してしまったりしていて、現在営業しているところが7つの区役所食堂だからである。

 この日(5月1日)私は他にも用件があったため、車で東区役所に向かった。区役所の駐車場が使えると思ったからだ。ところが、区役所の駐車場はそこへ入ろうとする車が何台も待っていてとても入ることができる状態ではなかった。
 しかたなく、近くの民間駐車場を利用した。ワンコインのランチを摂るのに無駄な費用をかけたという情けない話である。

               

 東区役所に着いたのは12時15分で、これは職員の食事の真っ最中ではと思いながら、食堂がある3階に向かった。
 ところが食堂内は意外にも閑散とした感じで、職員の姿も少ない。何故なんだろうか?

               

 食堂の前のメニューのディスプレイ、そして食堂に入ってすぐの発券機は、他の区役所食堂と同じである。
 それでは例によってメニュー一覧を羅列する。

                    

                    

 ◇A定食 550円 ◇B定食 500円 ◇カレーライス 470円 ◇カツカレーライス570円 ◇特定 570円 ◇中華丼560円 ◇ラーメン(味噌・塩・醤油)470円 ◇広東麺560円 ◇あんかけ焼きそば 560円 ◇かけそば・うどん 370円 ◇月見そば・うどん420円 ◇きつねそば・うどん 420円 ◇かき揚げそば・うどん 480円 ◇カレーざるそば・うどん 470円 ◇たぬきそば・うどん 420円 ◇ラーメンセット 570円 ◇ざるそば・うどん 420円 ◇(冷)たぬきそば・うどん 420円

 一見してみて、直前に訪れた手稲区や南区と比べて少し高い価格設定ではと思ったのだがどうだろう?
 さて、私は何をチョイスしようかと思ったが、事前の情報で「あんかけ焼きそばが人気らしい」と聞いていたので、ワンコインという掟を破って(560円)オーダーすることにした。まあ、駐車料もかかってしまったし…。

               

 食券を厨房に出すと「直ぐできるよ」との声と共に、直ぐにあんかけ焼きそばが出てきた。見た目はお世辞にも美しいとはいえない印象だった。
 席はかなり空いていたので、隅の方に落ち着いた。
 餡に絡まっていた具材をメモしたので紹介すると、・豚肉・アサリ・イカ・エビ・白菜・タケノコ・マッシュルーム・ヤングコーン・インゲンとなかなか豊富である。
 味の方だが、う~ん悪くはないが評判になるほどの味かなぁ、というのが率直な感想である。麺もかなり柔めだったし…。消去法で残ったのでは?

               

 食事時なのに職員の姿は少なく、目立つのはお年寄りといった感じだった。
 これまでの区役所食堂に比べ、メニューの数も少なく、食堂内の活気も感じられなかった。これで大丈夫?とちょっと心配になった。
 
【東役所食堂 データー】
札幌市東区北11条東7丁目 札幌市東区役所 3F
電  話   011-741-2400
営業時間   11:15-16:00
定休日    土・日・祝日
座  席   ?席 (テーブル席)
駐車場    有
入店日   ‘17/05/01

※市役所関係の食堂では、交通局関係の食堂が二つ残っている。次はそこを攻めようかと思っている。

洞爺湖畔フットパス 昭和新山と有珠山山頂コース

2017-05-09 21:28:25 | フットパスウォーク & トレッキング
 二日間の洞爺湖畔フットパスウォークの最後の最後にロングコースが待っていた。コースマップには6キロとしか出ていないが、それはワンウェイでの距離。ワンウェイだから当然そこは往復しなければならない。ロングコースの上に、45度の急角度で登る階段登行もあって、それまで3コースを踏破した疲労も蓄積していて、かなり辛い最後のフットパスとなった。 

           

 5月4日(木・祝)朝、「洞爺湖展望と果樹園コース」を終えた私は、壮瞥町から洞爺湖畔に移動し、「昭和新山と有珠山山頂コース」のスタート地点である「かわなみ前公共駐車場」に向かった。

               
               ※ 洞爺湖に面して造られている「かわなみ前公共駐車場」です。ここがスタート地点。

 午前10時20分、かわなみ前公共駐車場をスタートした。天候は依然として快晴、気温も高かった。
 スタート後、いきなり湖畔を離れ、坂道を上がっていく。まもなく後ろを振り返ると洞爺湖の全貌が視界に入ってきた。
  
               
               ※ スタート地点から真っすぐに山裾を上り、振り返ると洞爺湖の全貌が望めました。

               
               ※ コースの傍には珍しい馬の放牧場が…。道産子?それともサラブレット?

 そこから坂道が上下する退屈な道路を往く。その途中に、「1977年火山遺構公園」という案内があった。コースから外れて横道にそれる道だったが、寄ってみることにした。
 遺構公園には、火山活動によって病院の建物が被害に遭った様子がそのまま保存されていた。

               
               ※ 1977年の有珠山噴火の遺構です。病院跡だそうです。記憶に新しい2000年の噴火ではありません。

 再びコースに戻り、退屈な道を往く。好天、高温のため、徐々に体力も奪われていく。コース上で出会う人もいない。
 そうするうちに、湖畔から伊達市に繋がる道々703号線と合流した。703号線は昭和新山に向かう道でもある。この道路と合流したとたん、車の交通量が激増した。昭和新山に向かう観光客の車のようだ。
 車だとどうということもないが、歩く身になると、けっこうな坂道である。休む回数が増えていった。

               
               ※ コースの途上には、こうした案内板がところどころに掲げられていました。

               
               ※ 昭和新山に通ずる道路は、車がひっきりなしに行き交っていました。

 坂道との格闘がどれくらい続いたろうか?やや坂道が緩くなり、ふと左側を見たら昭和新山の赤い岩肌が間近に迫っていた。
 間もなく、昭和新山の山裾に設けられている有珠山ロープウェイ駅に着いた。

               
               ※ ご存じの昭和新山です。

               
               ※ 有珠山ロープウェイの山麓駅周辺です。想像したいたよりたくさんの店が出店していました。

 ロープウェイ駅からは、洞爺湖の遊覧船同様、ひと時観光客に変身である。多くの観光客と共にロープウェイで山頂駅に向かった。(ロープウェイ往復1,500円 割引有)
 山頂駅からのパノラマ写真を一枚撮って、さっそく「有珠外輪山遊歩道」に向かう。

               

          
          ※ 有珠山ロープウェイ山頂駅の展望台からパノラマ撮影してみました。

 山頂駅から「有珠山火口展望台」まで5分ほど階段を上って到達する。ここまではほとんどの観光客が訪れるが、遊歩道はここからがスタートである。
 有珠山火口展望台から約600段といわれる階段で真下へ向かって下っていく。そして上り返すところがこの遊歩道フットパスのハイライトである。

               
               ※ 観光客の方は、ここまでは皆さん上って火口を見物するようです。

               
               ※ その火口展望台から先が「外輪山遊歩道」の始まりです。

               
               ※ 遊歩道名物(?)の斜度45度の木造階段です。上りも下りも大変です。

               
               ※ その階段を少し離れたところから撮るとこんな感じです。

 この階段の下り上りを終えると、比較的平坦な外輪山トレッキングとなる。右手に銀沼火口群を見ながら、左手には遠く内浦湾を望みながら、伊達や虻田の街並みが見える中を往く。

               
               ※ 典型的な外輪山遊歩道の様子です。遊歩道の右手も左手も切り立った崖になっています。               
               
          
          ※ 遊歩道の右手は「銀沼火口群」が広がっています。

               
               ※ 左手には遠く内浦湾、陸地の方は伊達市の街並みだと思われます。

 やがて「火口原展望台」に到達した。ここには東屋やトイレの設備があり、私も休憩を取り行動食を口にした。
 目的の「外輪山展望台」まではもう一息だったが、ここからはまた上り道となる。火口原展望台から約20分、外輪山遊歩道の終着点「外輪山展望台」に到達した。

               

 「外輪山展望台」の一角は整備されてたくさんの人たちが憩えるような広場となっていた。そこから望む火口原内では1977年の噴火でできた「有珠新山」の麓から噴煙が出ていたが、その他のところからは特に噴煙などは確認できなかった。
 私は有珠の外輪山を歩くのは2度目なのだが、以前歩いたときは(2014年?)外輪山展望台に至る途中にあった「伊達の善光寺奥の院」が外輪山展望台の一角に移されていた。(イラストマップは私の記憶と同じだから、移設されたのは最近のことかもしれない?)

               
               ※ 行き止まりとなっている「外輪山展望台」の一帯は大きな広場になっていました。

               

               
               ※ 有珠新山の麓からは細い噴煙が上がっていました。若い火山の証拠ということでしょう。

               
               ※ どこから見ても羊蹄山は絵になります。まるで河口湖から見た富士山のよう、といったら言い過ぎですか?

               
               ※ 伊達市の善光寺奥の院は移設されたようです。

 「外輪山展望台」からの折り返しは、疲労もあってひたすらゴール地点を目ざすトレッキングだった。帰りの600段の階段は、何度も何度も立ち止まりながらの登行となった。

 ロープウェイで有珠山山麓まで下りてからは、路線バスで車のところまで還ろうと思ったのだが、時間が合わず、結局全コースウォーキングとなり、午後2時30分にゴールの「かわなみ前公共駐車場」に着くことができた。

 3日、4日と二日で洞爺湖畔フットパスコース4コースを予定どおり踏破することができた。ところが私の中では思っていたより疲労感が残った。二日間で歩いた距離は、マップ上では合計わずか33キロである。順調に年齢を加え、身体の老化も進んでいるということなのだろうか? 少々寂しい思いをしながら二日間を振り返っている私である…。


洞爺湖畔フットパス 洞爺湖展望と果樹園コース

2017-05-08 16:16:52 | フットパスウォーク & トレッキング
 二日目の洞爺湖畔フットパスの最初は、洞爺湖畔から少し離れた壮瞥町本町の名所(?)を巡るコースだった。朝から気温が高い中、いきなりの急坂登行に苦労したが、その先には素晴らしい景色が待っていた!

          

 5月4日、壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」の駐車場で車中泊したが、この「洞爺湖展望と果樹園コース」はスタート&ゴールが、その道の駅だった。

               
               ※ フットパスコース「洞爺湖展望と果樹園コース」のスタート&ゴールとなった道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」の建物です。

 朝7時40分、朝から快晴の中、スタートした。
 まずは道の駅から壮瞥町の中心部に向かっていく。中心部とはいっても市街地らしい商店街などはなく、住宅が並んでいるだけである。
 そんな中、三角形のとんがり屋根をいただいた周りの不釣り合いな建物が目に入った。何だろうかと近づいたところ壮瞥小学校の建物だった。続いて隣には壮瞥中学校も建っていた。

               
               ※ 壮瞥の市街地といってもご覧のように閑散としています。このあたりも過疎化が進行しているようです。

               
               ※ 一風変わった建物で何かな?と思いましたが壮瞥小学校の建物でした。

 コースは、伊達方面と洞爺湖畔方面に分かれる十字路に差し掛かるが、洞爺湖方面に向かう道路の横に壮瞥川に沿った町道があり、そこを進む。

               
               ※ 壮瞥川の静かな流れです。この上流に激しく落ちる滝があるとは…。

 町道を進むと間もなく「壮瞥滝」の案内板が目に入る。「壮瞥滝」はコースに入っていないが、せっかくなので寄り道をすることにした。7~8分も進むと結構な水量を落とす「壮瞥滝」があった。イラストマップによると水は洞爺湖から流れ出ているようだ。

                    
                    ※ 「壮瞥滝」を落下する豪快(?)水の流れです。レンズが水煙で曇ってる?


 元に戻ってコース上を往く。コースは山の上にある「壮瞥公園」に向かっての急な上りに差し掛かった。とても直登できる坂ではなく、大きく左右に蛇行しながらジグザグに上っていく。陽射しに照らされながらの登行は一気に汗が噴き出る羽目となった。
 坂の途中には小さな像がたくさん立っており、「○○王子」という表示がされていた。36童子があるという。

               
               ※ このような急坂を陽射しを浴びながら20分近く登らされました。汗だくだくです。

               
               ※ 山道のそこかしこにはご覧のような王子像が立っていました。

 息せき切って山頂まで上がると、そこに大きな「不道明像」が立っていた。
 そして、そこからは洞爺湖を見下ろす素晴らしい景色が目に入った。遠くには羊蹄山もくっきりと映り、なかなかの絶景であった。
 後で知ったことが、壮瞥公園は梅林が立派な公園として知られているということだったが、私が訪れたときはまだ早かった?

               
               ※ 不道明像の御尊顔は逆光のために残念ながら見えませんね。

               
               ※ 「壮瞥公園」からの見事な眺めです。手前の樹が梅林のようです。

 そこからのコースははっきりいって面白いものではなかった。いわゆる洞爺湖の外輪山にあたる山道を歩くコースだった。舗装された味気のないコースで、見るべきものも特にないという退屈なコースである。

               
               ※ 壮瞥公園からのコースはご覧のような退屈な道が続きました。

                
               ※ 外輪山の上を行くコースですから、片や洞爺湖、片や送別の街が眺められました。写真はもちろん壮瞥の街の上から見たところです。             

 そうした道を3~40分歩かされた後、外輪山上の山道と別れ、スタート地点を目ざして坂道を下った。坂道を下ったところにはリンゴやサクランボ、あるいはブドウの樹が一面に広がっていた。一帯はたくさんの果樹園が集まっているようだ。(約20戸の果樹園があるとか)
   ※ なぜか果樹畑の写真を一枚も撮っていませんでした。まだ絵になる前の光景だったからでしょうね。

 国道に出て、10分ほど歩くとスタートした道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」に到着した。ゴールしたのは9時35分だったが、道の駅には早くも観光客がたくさん押しかけ、ソフトクリームなどを頬張っていた。

               
               ※ 壮瞥町が有珠山や昭和新山の街であることを改めて教えられるように直ぐ近くに二つの山が見えました。(ゴール地点からの写真です)

 コース総距離6.6キロ、寄り道をしたり、坂道がきつかったりしたためおよそ2時間かけてのフットパスとなった。