田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №332  山猫

2021-12-11 12:35:05 | 映画観賞・感想

 イタリアはシチリア島に何代にもわたって統治してきた貴族が新しい時代の流れに抗しきれず没落していく主人公と、新しい時代に向かって逞しく生きていこうとする若者を描いた一大叙事詩である。

       

 この映画は11月4日(木)にBSプレミアムで放送されたものだが、長尺物(3時間7分)であったためになかなか見る機会がなく、先日ようやく観終えることができた。

 映画は1963(昭和38)年に制作された仏・伊合作映画ということだが、舞台はイタリア・シチリア島、言語はイタリア語、監督もイタリア人のルキーノ・ヴィスコンティということだから実質イタリア映画と言って良いのかもしれない。もっとも助演としてフランス人であるアラン・ドロンが重要な役を担ってはいるのだが…。

 映画はいきなりイタリア貴族の館で執り行われている礼拝のシーンであるが、キリスト教徒ではない私たちが欧米映画を観るとき理解できない部分がある。それは彼らの精神的支柱となっているキリスト教がどれだけ彼らの言動に影響を与えているのかを計り知れないからである。この映画の場合は特に伝統的価値観を重んずる貴族の物語だからなおのことである。

   

 映画は前述したようにイタリアはシチリア島においを数十代にわたって統治してきた当主サリーナ公爵のファブリッツオ(バート・ランカスター)はイタリア統一を目ざす軍隊の前に為すすべなくその座を明け渡さねばならなくなった。一方、ファブリッツオが目をかけていた甥のタンクレディ(アラン・ドロン)はいち早く時代の趨勢を見極め、統一軍に合流するという変わり身の早さを見せていた。

 没落すると言っても、財産等が全て没収されるということではないようだ。ファブリッツオはシチリアを代表する国会議員に推薦されるがそれを断るのである。その時彼が発した独白が印象的だった。(その部分をストップモーションを使って書き留めた。この辺りはビデオ録画の優位点である)

     かつて我々は山猫やライオンだった

     次はジャッカルやハイエナが来る

     そして我々は皆

     山猫もライオンもジャッカルも羊も

      自分は “地の塩” だと信じ続ける

 と独白しながら表舞台から去っていくのである。

 一方、タンクレディは統一軍がシチリア島を制覇すると、いちはやく統一軍を抜けて国軍に合流するという抜け目のなさを見せていた。さらにはシチリアにおいてファブリッツオとは正反対の生き方をしていた市長の娘(クラウディア・カルディナーレ)の美貌に惹かれて求婚するという若者らしいあっけらかんとした生き方を貫いていた。

 時代の中で変わりゆく世相と、世代間の価値観の相違などを映しながらの3時間強の長い長い物語だった。

   

 なお、監督のルキーノ・ヴィスコンティはイタリアの巨匠として有名だそうである。特にその映像が美しいことで知られている。本作も深みのある美しい色調の画面は一見に値する画面だと思えた映画だった。


オリンピック報道写真展を見る!

2021-12-10 16:58:15 | 作品展・展覧会等

 札幌の空の下を激走した大迫が…、健闘むなしく決勝レースには進めなかった小池が、寺田が…、鮮やかなパスワークで銀メダルに導いた町田が…、それぞれのひたむきな姿を切り取った写真はどれも見応えがあった。

   

 今夏、東京で開催された(一部札幌など数都市でも実施された)東京オリンピック・パラリンピックの報道写真展がチカホ(札幌駅前通地下歩道空間)で9日から12日の日程で開催されていると知り、今日ウォーキングを兼ねて出かけてきた。

 会場は北3条広場のイベント空間である。そこには大きなパネル写真約50枚が展示されていた。

   

 そのパネルの前の入口付近に男子マラソンで6位入賞を果たした大迫選手のサインが記されたユニフォームと靴が展示されていた。札幌で最も輝いた選手ということなのだろう。しかし本当の意味で札幌で輝いたのは男子競歩20キロで銀メダルに輝いた池田選手であり、銅メダルを獲得した山西選手である。ところが我が国において競歩はマラソンに比べ注目度が低いことからこうした現象となってしまったのはしかたのないことか?

   

 会場には数名のスタッフがいて、マラソンゴールを模したテープを張ったところでカメラのシャッターを切ってくれる方がいた。私も他の人に倣って大迫選手の横でゴールするポーズをとってシャッターを切ってもらった。

   

 パネル写真は札幌市で開催されたマラソン、競歩競技、そして北海度出身選手を中心としたパネルが中心を占めていたように思われた。

   

 いろいろな物議を醸しながら実施された東京オリンピック・パラリンピックだったが、これからの時代は全ての人々がもろ手を挙げて歓迎するオリンピックイベントとはなり得ないのかもしれないと思わせてくれた大会であった。

ただ、単純にスポーツ好きの私は大会期間中、テレビの前にかじりつき終日観戦していたことを懐かしく思い出す。なんだかずいぶん遠い日の出来事だったように思うが、写真展はあの日の熱狂を振り返る良い機会を与えてくれた…。

 以下、パネルに展示された道内出身選手の活躍の一部を掲載します。

   

※ 男子110mハードルに出場した金井大旺選手。

   

※ 女子100mハードルに出場のママさん選手の寺田明日香選手。

        

※ 男子100m、400mリレー出場の小池祐貴選手。

   

※ 女子バスケ銀メダルに導いた町田瑠唯選手。

   

※ 女子サッカーチームの統率した熊谷紗希主将。


遺跡発掘のお話を聴いてみたら…

2021-12-09 18:39:46 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

 北海道内には数多くの遺跡が発掘されたり、眠っていたりするという。遺跡発掘を専門とする「北海道埋蔵物文化財センター」の学芸員の方から北海道内の遺跡発掘の現状などについて話を聴いた。

   

※ 北海道埋蔵物文化財センターのエントランスです。(ウェブ上から拝借)

 とうとうネタ切れである。そこで今日は「道民カレッジ」事務局が編集し、配信している「インターネット講座」を受講し、そのレポート文を投稿してお茶を濁すことにする。動画のテーマは「埋蔵文化センター遺跡掘調査成果について聞いてみた!!」というものだった。以下、私の提出レポート文である。少々長いがお付き合い願いたい。

   

※ 北海道埋蔵物文化財センターの展示室の様子です。(同じくウェブ上から)

 札幌市内のあらゆる施設を巡り歩いたと自負する私であるが、今回のテーマの舞台となっている江別市にある「北海道埋蔵文化財センター」には足を運んだことがない。それくらい私にとって埋蔵物、あるいは遺跡発掘という世界は縁遠い世界である。

 その埋蔵文化財センターが「北海道埋蔵文化財センター令和2年度発掘調査成果パネル展」をかでる2・7の9階情報広場で開催したのを機に学芸員の方から直接お話をうかがったことをユーチューブ配信したのが本講座である。

 講義の最初は「北海道埋蔵文化財センター」の設立やその目的についてのお話だった。お話によると、センターは「公益財団法人」であるという。私は北海道の附属機関と認識していたのだが、どうやらそのあたりは若干違うのかな?という印象を持った。ただセンターの歴史は古く2019年には設立40周年を迎えているとのことだった。センターの目的は①遺跡の発掘調査、②文化財の保護活用の2点が主であり、調査を終えた後に「遺跡発掘調査記録報告書」を刊行することが業務になっているとのことだった。

 そして「北海道埋蔵文化財センター」が対象とする遺跡発掘箇所は比較的面積の大きなところが対象となるとのことで、例えば高速道路、ダム工事、空港建設、鉄道敷設などのために遺跡保存ができないところの発掘調査を中心に実施しているとのことである。つまり道のセンターは大きな面積のところ、それ以外のところは市町村の教育委員会等が担当するというように分担しているようである。私が現職時代に所属したことがある某町の教育委員会でも住宅地の遺跡発掘調査をしていたことを記憶している。センターがこれまでに発掘したところは全道で360ヵ所にものぼるということだった。

   

※ 講義の様子をパソコンの場面から撮りました。

 講座はこの後、司会者の質問に答える形で進んだが、「北海道は縄文人にとって住みやすい所だったか?」という問いには、古代と呼称するのがおよそ2万年前から江戸時代までとすると、その間に温かい時期、寒い時期が交互に現れ一定ではなかったものの考えられるほど住みにくくはなかったのではないかと語った。また、最近は「炭素窒素同位体」という調査方法によって古代人が食していたものも推定できるようになったが、北海道の古代人は水産物を食していた形跡が見られ、古代より北海道は水産物が豊かだったことが想像されるとした。

 講座の最後には実際に展示されていた土器の説明があったが、その中で印象的だったのは土器のことより遺跡の中で住居跡以外に見られる穴「土杭(どこう)についてだった。「土杭」ははっきりと定義はされていないが、動物を捕獲するための落とし穴、あるいはお墓、貯蔵庫などに使われていたのではないかと推測されるとした。

 お話を伺っていて感じたことが一つあった。今回講師を務められた方はたいへん詳しく、熱心にお話してくださったが、私自身に問題があるのだろうがどうしてもお話に馴染めないのである。遺跡発掘とは本来地味な仕事であるから、どうしてもお話も地味になりがちである。聴いている私たちにワクワク感が伝わってこないのだ。そう思っていた時、あるシーンが私の中に蘇ってきた。記録を辿ると5年前の2016年の2月に紀伊国屋札幌本店で「北の縄文セミナー」が開催されて参加したのだが、そこで講演された北海道縄文世界遺産推進室の阿部千春氏のお話の内容に私自身とてもワクワクしたことを思い出していた。阿部氏の場合は聴いている者がワクワクするような話術の持ち主だったことを思い出す。

 そこで提案である。遺跡発掘という地味な題材だけに、この世界にはスポークスマン的人材が必要なのではないかと思うのだ。「北海道・北東北縄文遺跡群」世界遺産に登録された今、その存在を広くアピールするためにもスポークスマン的人材を養成して、より多くの人々に遺跡群の存在をアピールしては?と思うのだがどうだろうか?          


ニューカレンダー & 年賀状

2021-12-08 17:08:53 | その他

 今年も残り少なくなってきた。今日札幌市街の中心部に出かける用件があった。妻から「来年のカレンダーを購入してきてほしい」と要請があり、あれこれと迷った末に購入を決めたのだが…。

   

※ 迷った末に私が購入を決めたカレンダーです。

 我が家ではここ十数年来リビングに掲げるカレンダーは数字だけの月めくりのカレンダーと決めている。来年も同様のものをと考えて文具店に向かった。私は数年前に購入した濃い目のブラウンの地に黒い数字を配したのがお気に入りだった。ところが目ざした文具店ではそれらしきものが見当たらなかった。そこで周辺の主だった書店を巡ってみたのだが、どこにも私のお気に入りのものは見当たらなかった。「なぁ~んであんなセンスの良いカレンダーが見当たらないのだろう?」と私は呟いていたのだが、私だけがそう思っているということか???

 仕方がない。そこで本年と同様に白地に黒い数字を配したものにしようと、最初の文具店に戻ったのだが、どうも数字の細さが気になって購入の決心がつかない。リビングで遠くからカレンダーを眺めた時に衰えた眼では数字が霞んで見えるのではないか、と…。

 迷った末に決めたのはややダサいかもしれないが、数字が太く大きなものにすることにした。この歳になるとやはりオシャレより実用性重視ということになりますかなぁ…。

   

※ 令和4(2022)年の年賀状です。

 年の瀬となるともう一つ気になるのが年賀状である。年賀状不要論も声高に語られるようになってきたが、やはりこの歳になると年来の風習を簡単には捨てられない。年賀状を書き送る先は徐々に減りつつあるものの、古くからの友人、あるいは現職時代に親しくお付き合いいただいた先輩、同輩、後輩、等々、そして親戚縁者などに年に一度の挨拶は欠かせないと思っている。

 この年賀状にも私流儀がある。それは私たちの近況をお伝えする文面を書き添えることである。だから私の毎年の年賀状は小さなカット以外は文面で埋め尽くされることが多い。例えば今年の場合、次のような文面を添えた年賀状だった。

「昨年は私たちにとって未だ体験したことのない未曽有の大変な一年でした。少しオーバーに言えば、人類がこれまで営々と築き上げてきた文明に対して何者かが逆襲してきたかのような一年でした。災禍はまだ収まる気配をみせていませんが、私は信じたいと思います。文明は必ずやこの災禍を乗り越えてくれると…。そしてその暁にはここ心の底から『あけましておめでとうございます!』とお祝い申し上げようと思います。と同時に地球や地球に棲む生物たちに多大な負荷をかけ続けてきた文明に対する謙虚な反省も必要なのではと考えた2021(令和3)年の新年でした。 皆さまにとりまして幸多い一年でありますことをアマビエと共にお祈りいたします」

という文章をしたため、アマビエのカットとともに送付しました。

         

 今年の文面は私たちの近況からはやや離れてしまったが、これから書き起こす来年のものは元のように軌道修正をした文面にしたいと思っているが、まだ思案中である。できれば新年明けた時には当ブログ上でも公開したいと思っているが、はたしてどのような文面となるだろうか?

    

※ 三越百貨店札幌店の前にはライオン像にサンタの衣装を着せていました。


札幌市中央図書館講座「美術への誘い」

2021-12-07 20:15:40 | 講演・講義・フォーラム等

 歌川広重が、モネが、ルノワールが、… 美術に疎い私でもその名を耳にしたことがある画家たちの作品がスライドで映し出され、その解説を聴いた。物足りなく思った受講者もいたかもしれないが、私にはちょうど良い美術入門講座だった。

 本日(12月7日)午後、札幌市中央図書館で「美術への誘い」という講座が開設され参加した。もともと芸術分野に疎く、とりわけ美術への関心がないということを言ってはばからない私が何を血迷ったのか標記講座を受講してみようと思った。というのも今年はさまざまな講座が軒並み中止となる中で、講座自体に飢えていたからかもしれない。

 講座は北海道美術館協力会アルテピアという団体のボランティアの方々が講師を務めるものだった。たいして内容も確認せずに参加した私は「あれっ?」と思った。私は専門家からのお話を聴けるものと思っていたのだが、まったく私の早とちりというわけだった。

 講座の構成は、(1)アルテピアの紹介、(2)歌川広重、(3)印象派の画家たち(4)一度は見たい世界の名画、という構成だった。

 アルテピアの紹介については、アルテピアへの入会の案内だった。年会費は1万円とのこと、特典は道内の主な美術館の観賞料が無料になるとのことだった。

 「歌川広重」は葛飾北斎と並び称せられる浮世絵画家の巨匠である。北斎の天才的な技法も素晴らしいと思うが、私はどちらかというと広重の「東海道五十三次」の方がリアリティの中に情緒性を感じる広重の方が好ましく感じていたので、スライドで広重の画を見ながらの解説を心地良く伺った。広重の画はモネやゴッホに大きな影響を与えたことでも知られる人だが、両者の画を並べて見せてくれたのも楽しかった。

   

※ 広重「東海道五十三次」の最初の画となる「日本橋」

   

※ 「東海道五十三次」の中でも私の最もお気に入りがこの「庄野」です。

   

※ 北斎「富嶽三十六景」の中でも最も有名な「神奈川沖浪裏」です。

 「印象派の画家たち」では、印象派に属する画家はたくさんいるようだが、その中から印象派を代表するモネとルノワールの作品が紹介された。両者の共通点と違いが紹介されたが、美術に関心が薄い私はどの画を見てもボーっとしか見ておらず、彼らの画の良さを感得することはできなかった。

   

※ モネの代表作の一つ「印象―日の出」です。

        

※ こちらはルノワールの代表作の一つ「春の花束」です。

 「一度は見たい世界の名画」は、合計17点の絵画について紹介があった。その中でも世界の三大名画の一つとされるレンブラントの「夜警」、ダヴィンチの「モナリザ」の紹介はあったが、もう一つが何なのかについて言及されなかったのは何故か?その他にムンク、フェルメール、ゴッホ、北斎などの代表作について紹介があった。

   

※ 世界の三大名画の一つとされるレンブラントの「夜警」です。

        

※ こちらも三大名画の一つ、言わずと知れたダヴィンチの「モナリザ」です。

 解説が専門家の方ではなく、ボランティアの方々だったこともありけっして深みのある解説ではなかったが、前述したように私にとっては聴きやすい講座だったが、美術の興味関心が深い人にとってはやや物足りなさを感じた講座だったかもしれない…。

 これを機にとは美術に関心を向けようとは思わないが、ゴッホの「ひまわり」の画は12点も存在するという。機会があればそれらを一度見比べてみたいと思った。もちろん本物ではなく、写真でだが…。

         

※ ご存じゴッホの「ひまわり」の一つの絵です。12の絵を追い求めてみますか?

 

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。受講中にスライドを撮ったのですが、鮮明ではないために掲載は止めることにしました。


札幌景観資産⑳  指定第30号 「旧沼田家倉庫」

2021-12-06 16:07:43 | 札幌景観資産巡り

 これまで見てきた札幌景観資産の倉庫よりは一回り大きな石造り倉庫だった。そもそも「旧沼田家倉庫」は東区のタマネギ栽培が盛んな地域あったことからタマネギを貯蔵する倉庫だったが、現在はカフェとして利用されていた。 

   

※ 正面に目立つ2本の煙突はコーヒー豆の焙煎釜の煙突のようである。

 「舌の根も乾かぬうちに」という言葉があるが、まさに拙ブログの12月3日付で「札幌景観資産の残り3件は来年に取材し、レポする」と投稿しながら、そのことをすぐに反故にして本日「旧沼田家倉庫」を取材してきた。(残り2件は本当に来年に持ち越しである)   

 「旧沼田家倉庫」は札幌の中心地から「三角点通り」(モエレ沼公園通りとも称されている)という通りを北方向に進むと札樽道の手前に特徴のある札幌軟石製の渋い壁の色の建物が左手に存在感たっぷりに建っていた。

   

※ 建物の裏側から写したものです。昼時だったこともあり、駐車場はびっしりでした。

 倉庫が建つ一帯は、かつてタマネギ畑が広がり、この倉庫は界隈で最も大きいもので、近所の農家が収穫したタマネギを預けるほどだったという。札幌軟石製の倉庫が徐々に少なくなる中で、現在は地域の産業の歴史を伝えるランドマーク的存在となっているそうだ。

   

※ 通りの反対側の壁は、いかにも“倉庫"といった感じでした。窓がありません。

 倉庫は現在「豆蔵珈房宮田屋東苗穂店」として利用されているが、内部は二階建てとなっており、ゆったりと客席が配置されていた。また、内部空間が広いことを利用してライブやギャラリースペースとしても利用されているようだ。

   

※ 内部の天井には倉庫時代の明り取りの窓が残されていました。

   

※ 内部の2階席から1階客席を望んだ図です。

 建物の入口の切妻屋根の妻面には「〇沼」印と彫られ外観は石の素材感溢れる風格ある建造物である。

   

※ 切妻屋根の妻面には風格のある「〇沼」印が掘られていました。

 なお「札幌景観資産」には「旧沼田家倉庫」が2件登録されていて紛らわしいが、指定第16号の方は「旧沼田家りんご倉庫」となっておりりんご貯蔵のための倉庫でレンガ製であるのに対して、こちらはタマネギを貯蔵するための札幌軟石製であるところに違いがある。

 両者は同じ「沼田家」が建てたものだが、「旧沼田家倉庫」は沼田薫氏、「旧沼田家りんご倉庫」は沼田太蔵氏が建てたもので、別人だということが判明した。           

旧沼田家倉庫 情報》

◇所在地 札幌市東区東苗穂5条2丁目11-18

◇建設年 1962(昭和37)年

◇構 造 石造

◇指定年 2010(平成22)年7月21日

◇その他 現「豆蔵珈房宮田屋東苗穂店」

      ※ 店舗利用者のみ内部見学可

 電 話 011-787-0707 


初冬の前田森林公園観察会

2021-12-05 15:54:07 | 環境 & 自然 & 観察会

 初冬の森はほとんどの木が葉を落とし、静かにたたずんでいた。しかし、専門家に導かれるといろいろと興味深い森の様子が見えてきた。また、写真には撮れなかったが、エゾフクロウやエゾリスが樹間に遊ぶ姿も目撃することができた。

   

 秋の前田森林公園観察会(10月17日)に続いて、本日開催された初冬の観察会にも参加した。その大きな理由は、観察会を主催する凸凹クラブの案内ガイドの石田氏のユーモアを伴う確かな説明を再びお聴きしたいと思ったからだ。

   

※ 観察会の集合場所となった前田森林公園の事務所&集会所です。

 観察会は前回同様およそ20名くらいの参加者だった。公園内には一昨日降った雪はほとんど消えていたが、気温は上がらず上下ともに冬仕様で参加したのだが終始肌寒い感じは否めなかった。

 私たちは石田氏の案内でおよそ2時間にわたって、森林公園内を歩き回り、いろいろと興味深いお話を伺うことができた。   

    

※ ヤマナラシの葉です。その葉柄の葉に近い部分が平ったくなっています。

   

※ ヤマナラシの大木です。木の中間上部のところにヤドリギが見えます。

   

※ ヤマナラシと同じ属のドロノキです。

 その中で私が最も興味を抱いたのは、ヤマナラシという大木の葉のことだった。ヤマナラシの大きな葉の下に付いている葉柄の部分が他の葉とは違い断面が丸くはなく、左右方向につぶれた形状になっている。(伝わったろうか?つまり断面が平べったくなっている)そのために葉が風に揺れやすく、いつも葉がひらひらと舞っているよう見えるのだという。葉がいつもひらひらと舞うように見えるのはポプラの葉がそうであるが、実は両者は同じハコヤナギ属ということで同じような葉柄の形状をしているそうだ。

   

※ 最初に紹介されたチョウセンヒメツゲを見入る参加者です。大木はミズナラです。

 その他にも興味深いことをいろいろ伺ったが、メモできたことを写真と共に可能なかぎりレポしていきたい。

   

※ チョウセンヒメツゲの小さく厚い葉です。

   

※ チョウセンヒメツゲの実です。(ピントが甘いですが、真ん中のものです)

   

※ チョウセンヒメツゲの花芽がたくさん見えます。(白い部分)

 公園の入口近くに背丈の低いチョウセンヒメツゲが植わっていた。何気なく見ていると見過ごしてしまうが、葉先のところに小さな実が付いていた。また、枝にはたくさんの花芽も付けているところを確認することができた。

   

※ 鮮やかな白樺の林です。

   

※ シラカバの幹内に侵入したカミキリムシの幼虫がシラカバの根元から外へ出るとき開けた穴です。

   

※ そのカミキリムシの幼虫を捕食するためゲラ類がシラカバに空けた大きな穴です。

 前田森林公園は公園の一部に植わっているシラカバの木がその木肌を美しく見せている。ところがそのシラカバにはカミキリムシの幼虫が寄生するらしい。シラカバの木に寄生したカミキリムシの幼虫は樹内に入り込み、樹液を吸ってやがてはシラカバを枯らしてしまうらしい。シラカバの木の根元にはその幼虫が抜け出た丸い穴がいたるところに見え、痛々しい姿だった。

   

※ 樹上に止まったエゾフクロウを望遠でねらい、トリミングしました。逆光で残念。

   

※ 左から順に(下の分を参照ください)

   

※ トドマツの実です。トドマツはマツボックリの形で地上に落ちることはないそうです。

 エゾリスが好むマツの樹のところに案内された。その周りにはマツボックリがたくさん落ちていたが、マツの木の高いところで一匹のエゾリスが盛んにマツボックリを食していた。また、同じところでエゾフクロウが飛ぶ姿も目撃することができた。しかし、両者ともカメラに収めるには遠すぎた。ここで石田氏はご自身が収集した各種のマツボックリを披露してくれた。左から、チョウセンゴヨウマツヨーロッパクロマツキタゴヨウマツアカエゾマツのマツボックリである。

   

※ 公園内の遊歩道脇に植えられているライラックです。

   

※ そのライラックの脇から台木のイボタが育っていました。

 公園の通路脇にはライラックの木が植わっていたが、全て葉を落としていた。しかし、その中の一本が緑の葉を付けていた。それはライラックではなく、イボタの木だという。実はイボタはライラック台木として使用されたそうだが、ライラックの木が弱ったためにライラックに代わってイボタの木が芽を出し成長した姿だそうである。

   

※ プラタナスの木肌です。その表皮をめくると…。

   

※ 写真中央に小さな白い虫が4匹見えます。

   

※ ウェブ上から拝借したプラタナスグンバイの拡大写真です。

 次に石田氏は私たちをライラックの木の下に案内してくれた。そして各自に虫めがねを提供してくれた。ライラックの木肌は薄く剥がれてくるが、その木肌を剥がすと小さな虫が現れた。プラタナスグンバイというプラタナスにとっては害虫で、樹液を吸い取られやがて枯れる原因となるということだ。体長はせいぜい5~6mmといった程度だが、かなり多くのグンバイが寄生していた。

   

※ ウラシロハコヤナギの特異な木肌です。若いうちはもう少し白いようです。

   

※ モナタンマツです。この木の葉は二葉松です。

 その他にも説明を受けたことがあるが割愛したい。石田氏の案内は期待どおりに素晴らしかったし、勉強になった。来春5月には春の観察会を予定しているとうかがった。できるかぎりまた参加したいと思わせてくれた初冬の観察会だった。               


雪上トレック in 盤渓市民の森 & 三菱山

2021-12-04 15:17:29 | スノーシュートレック & スノーハイク

 すっかり鈍(なま)ってしまった自分の身体にムチを当てようと久しぶりにアウトドアに出ることにした。目指すは私にとってホームゲレンデともいえる「盤渓市民の森」である。さらにその先にある「三菱山」も目ざした。

 このところすっかりアウトドアに出ることが減ってしまった。無意識のうちに身体の衰えを感じ取っているようだ…。それではならじと、自分にムチ打って戸外へ飛び出した。とは言っても衰えた身体で無理することはできない。手軽にアウトドアを楽しめる「盤渓市民の森」を目ざした。

   

 一昨日降った雪は平地ではすでに姿を消していた。しかし、平地よりは標高が高い「盤渓市民の森」の入口では雪がしっかり残っていた。   

 私はトレッキングシューズではなく、スパイク付き長靴を装着して雪上トレックを開始した。

   

 今さらながらに一つの発見があった。それは「盤渓市民の森」に自生する木々のほとんどは落葉樹(広葉樹)だということに改めて気が付いた。森のほとんどの木は葉を落としていた。私が生まれ育ったオホーツク地方の森はほとんどがトドマツやエゾマツなどの常緑樹(針葉樹)だったことを記憶している。それだけ気温差があるのだと思われる。

   

 途中、コースに雪がまったくないところがあった。陽当たりが良いところでもないのに何故だろう?と思い上を見上げた。すると頭上を覆っていたのは緑色の葉を付けたトドマツの木があった。つまり先日の雪はトドマツの葉に受け止められ、その下には雪が降らなかったということのようだった。

   

 「盤渓市民の森」のコースは、“市民の森” というくらいだから上りといっても緩やかな上りが大半である。しかし、ところによってはけっこうな急斜面もあり、背中に汗を感じるような箇所もあった。

   

 やがて、市民の森のコースを外れて、さらに高みを目指してのトレッキングが続いた。すると「盤渓スキー場」のリフト最上部のところを通過した。スキー場は今年の少雪にヤキモキしていることだろう。もう少しの雪がほしいところだ。

   

 三菱山の頂上部を巻くようにしてルートが作られており、最後は急な石段を上ると三菱山々頂だった。

   

   

※ 山頂から少し望遠を効かせると札幌の市街地が遠望できました。手前が盤渓スキー場です。

   

※ 閉鎖されたコバワールドスキー場の跡だと思われます。

 今日は晴天だったので、山頂からの眺望は良かった。遠くに札幌市街地が望め、近くには閉鎖してしまったコバワールドスキー場の跡地が見えた。肝心の盤渓スキー場は足元に見えるはずなのだが、木々に遮られてゲレンデを見ることはできなかった。

 三菱山の標高は482m、盤渓市民の森の入口の標高は250mくらい。標高差約230m。今の私にはちょうど良い刺激となった雪上トレックだった。

   

※ 「盤渓市民の森」は写真のように案内板が整備され、所々にはベンチも配されています。


札幌景観資産⑲  指定第27号 「旧市民会館前のハルニレ」

2021-12-03 15:37:17 | 札幌景観資産巡り

 さすがにこの時期のハルニレの木は葉を落としていた。しかし、樹齢300年を誇る古木は堂々として札幌の中心地に立ち、札幌の発展を見守ってきたかのように存在感十分に屹立していた。

   

 私の「札幌景観資産」巡りもいよいよゴールが目前に迫ってきた。(残りは本日分も含めて3件である)当初は、葉を落としてしまったハルニレは来年夏になってからレポートしようとも思ったが、一応年内に一応のゴールを見たいと思い、敢えてこの時期にレポートすることにした。と思ったのだが、過日残されていた「旧藻岩第一浄水場」に行ったところ冬期間閉鎖ということ取材できなかった。そこで今回のハルニレも含めて残り3件は来年改めて取材し、レポすることにしたい。

   

 資産名として「旧市民会館前」となっているが、現在地名からいうと「札幌市民ホール前」とした方が適当では?と思われるが札幌市民にとっては「市民会館」というのが長期間にわたって親しまれた名前なのだろう…。

        

 札幌市内には数多く存在するハルニレの中から、ここのハルニレが札幌景観資産に選定された理由は以下のような理由があるという。   

「かつてこの場所は『豊平館』のあった場所で、ここにあるハルニレはその豊平館前の庭園の一角にあった樹木と考えられ、樹齢は約300年といわれている。市内中心部に残る数少ない古木で、市民や観光客に親しまれている景観上重要な樹木であること。さらにはハルニレが札幌の代表的郷土種であり、存在感も十分で、樹容も整っており、地域の歴史性を物語るシンボルとして、優れた都市景観を特徴づける樹木である」

ことが選定理由として挙げられているようである。

   

 私が訪れたのは11月24日と雪景色ではないものの初冬という雰囲気の中、前述したように葉は全て落としていたが、その姿は堂々としたもので、札幌を代表するハルニレに相応しいと思えた。幹回りを見ると、二か所ほど大きな洞が見えたところも古木らしい。そこには小鳥や小動物たちの塒(ねぐら)となられないようにネットが施されていた。

        

 樹木全体に葉を付ける来夏にも再訪してレポしたい思っている。

旧市民会館前のハルニレ 情報》

◇所在地 札幌市中央区大通西1丁目

◇種 類 ハルニレ

◇樹 高 19m 

◇幹 周 3.82m

◇指定年 2009(平成21)年3月31日

◇その他 現「ナカモトホール」前

◇訪問日 2021年11月24日


今冬で初めての雪景色

2021-12-02 15:24:07 | 環境 & 自然 & 観察会

 札幌では今朝の未明から雪が降り始めたようである。朝起きてみると、辺りの風景はすっかり真っ白に様変わりしていた。「雪が消えてしまわないうちに…」と、朝食を終えた私はさっそく札幌のマチに飛び出した。

 「ようやく…」と言っていいのだろう。雪国札幌にもようやく本格的な雪が舞った。師走を迎えたというのに、昨日までの札幌のマチにはほとんど雪を見ることができなかった。このことは今年だけの現象ではなく、近年はある意味当たり前のような光景になっていた。しかし私たちが子どもの頃には、12月といえばもうあたり一面はすっかり雪景色となっているのが当たり前の光景だったのに…。地球の温暖化を実感せずにはいられない現象である。

 そこで、今朝の札幌の雪景色をカメラに収めようと、私にしては珍しく朝早く外へ飛び出した。(と言っても近代美術館の前庭の扉が開放される午前9時過ぎだったが…)

 コースとしてはつい2週間前に「晩秋のサッポロのマチ点描」でルポした、道立近代美術館の前庭、北海道知事公館の庭園、そして大通公園と巡って歩くことにした。そしてできれば同じアングルからの写真を、と思ったのだが…。

◆北海道立近代美術館前庭

 近美前では職員が来館者のための通路の雪かきに精を出していた。前庭の木々も地面も白と黒のモノトーンの世界。その奥に位置する近代美術館の壁の色も白いためにまったく目立たなかった。

   

   

   

◆北海道知事公館庭園

 こちらが計算外だった。というのも庭園の開放は11月30日で終わりとなっていたのだ。

   

 仕方がないので規制線の外から僅かに覗いた庭園の様子を撮るのがせいぜいだった。そして、前回のときは撮らなかった公館のエントランス方向から一枚撮って終了とした。

   

   

※ 安田侃作の彫刻を覆うカバーの上にも雪が降り積もっていました。

   

◆大通公園

 大通公園はたとえ雪が降っても行き交う人たちが多かった。それぞれが急ぎ足でオフィスに向かっていた。

   

※ 真ん中に見える塔状のものはテレビ塔ではありません。ドイツ・ミュンヘン市との姉妹都市の象徴マイバウムの塔です。

   

 公園内の遊具や彫像などの周りは進入禁止のロープが張り巡らされていたが、冬には撤去するはずのベンチはまだのようで雪を被っていた。

   

   

※ 北海道開拓の功労者の一人ケプロンの像の肩にも雪が積もっていました。

 また雪が降り続いていたせいだろう、遠くからでも眺めることができるテレビ塔が西5丁目広場くらいになってようやく視界に入ってきた。

   

※ 降雪が続く中、テレビ塔が薄っすらと見えています。

 雪景色…、それは周囲の全ての色を白く覆ってしまい、そこに僅かな黒色がアクセントとなるモノトーンの世界である。その光景はカラフルな世界から見ると寂しい光景に映るかもしれない。しかし、それが私たち道産子にとっては一年の中で巡り来る当たり前の世界だった…。その光景が近年薄れつつあるのは寂しい思いを隠せない。昨日まで妻と「今年は雪が遅いねぇ~」という会話を何度交わしたことか…。ようやく札幌にいつもの冬が戻ってきた…。