田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北の歴史を彩った人たち Ⅱ

2021-12-17 16:24:44 | 講演・講義・フォーラム等

 大友亀太郎が…、岩村通俊が…、榎本武揚が…、さらには知里幸恵が、と北海道の歴史の中で活躍した人、貢献した人、影響を与えた人が次々とノンフィクション作家・合田一道氏によって紹介され、興味深くお話を伺うことができた。

 道民カレッジの「ほっかいどう学」かでる講座の今年度第10回講座が12月15日(水)に開講された。今回の講座はタイトルどおり「北の歴史を彩った人達 2」と題して、ノンフィクション作家の合田一道氏が講師を務めた。タイトルに “2” と付いているように昨年に引き続きの講座だった。(私のタイトルは "人たち" と"Ⅱ" とちょっと変えてみたが…)

   

 今回合田氏が取り上げた人物は次のとおりである。①大友亀次郎、②吾妻謙、③岩村通俊、④桶野惠介、⑤中島三郎助親子、⑥榎本武揚、⑦永倉新八、⑧知里幸恵、⑨吉良平次郎、⑩高橋真、と実に10人にも及んだ。こんなに多くの人たちを取り上げると、わずか1時間の講演時間ではそれぞれの人たちのさわりの部分しかお話することはできなかったように思われた。それでも合田氏のお話は興味深いのだ。そう思える理由は何なんだろうか?と考えながら講演を聴いた。それは合田氏の豊富な知識がそうさせるのではないか、と思うのだ。つまり史実として明らかになっていることを軸にして、明らかになっていない部分は氏の豊富な知識を総動員し、作家らしい読みの深さでその辺りを埋めて私たちに語ってくれているからではないか、と私は考えたのだ。合田氏が歴史上の人物を語るとき、いつも人物像が見事に立ち上がってくることを憶えるのだ。

 紹介された全ての人物をレポすることは難しいので、中から知名度が低いと思われる三人の方を取り上げてレポすることにしたい。

 一人は「吾妻謙」である。彼は仙台の小藩・岩手山藩(藩主・伊達邦直)の家老だった。岩手山藩は仙台藩と共に戊辰戦争で朝敵となってしまったために、北海道開拓を余儀なくされ、吾妻謙は藩主邦直の思いに身を挺し率先して藩士たちを導き、現在の当別町の開拓に成功した人物である。その吾妻が村を治めるための規則である「邑則(ゆうそく)」の写しが提示された。その内容は、例えば「村の事務一切は衆議によって決定する」など今でいうところの民主的な手法を執っている内容であった。なおこうした吾妻を主人公にした映画「大地の侍」が昭和36(1956)年、東映によって制作された。その映画を私は今年7月に幸運にも観ることができた。

 二人目は「中島三郎助親子」である。中島は榎本武揚に従い軍艦開陽丸の機関長として箱館戦争に従軍するが、その際に妻への手紙で戦死の覚悟を書き綴り、文面には自らの墓の図まで書き表した文面の複写が提示された。結果は中島三郎助が予見したとおりに戦死した。

 三人目は「高橋真」である。高橋はアイヌ民族の末裔であり、北海道新聞の記者だったという。合田氏も北海道新聞の記者で、二人は釧路支社で机を並べたこともある間柄だったそうだ。その高橋は負けず嫌いの性格で、合田氏に対してもライバル心を隠さなかったという。やがて彼は北海道新聞の記者を辞し、ガリ版刷りの「アイヌ新聞」を発行し始めたそうだ。講座ではその新聞の写しが提示された。新聞は第11号となっているが、発行日が1947年1月31日となっている。ということは戦後まもなく発刊された新聞となる。合田氏は講演では触れなかったが、「アイヌ新聞記者 高橋真~反骨孤高の新聞人~」という著書を発刊している。その中で合田氏は高橋真氏のことを「アイヌの歴史と現状を訴える数々の評論も発表し続けた反骨のジャーナリスト」と紹介している。

   

 こうした話を10人にわたって紹介してくれるのだから、それはそれは興味深い1時間だった。合田氏のお話はこれまで10回以上は聴いているはずだが、いつ聴いても興味が尽きない。これからも機会あるごとに合田氏のお話を伺うことができれば、と思っている。