田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

初滑り in  ban.K

2021-12-21 16:44:15 | スポーツ & スポーツ観戦

 遅まきながら今日、近間の盤渓スキー場で今シーズンの初滑りをした。爽快な初滑りを思い描きながらスキー場に向かったが、実際は自らの体力低下を思い知らされるほろ苦い初滑りでもあった…。

   

 先日の大雪で市内からほど近い盤渓スキー場もようやくオープンを迎えた。そのニュースを聞いて「それでは、足慣らしに…」と思いスキー場ら向かった。

 本格的なオープンにはまだ積雪量が足りないとみえ、6本設置しているリフトのうち稼働していたのは中央の2本だけだった。スキー客も平日ということもあってか、疎らだった。天候は曇り空から雪が舞い落ちていた。

   

※ 写真にスキーヤーが写っていないところがやや寂しいです。

 足慣らしということもあり、私は2時間も滑れば十分だろうと2時間券(シニア2,640円)を購入した。4時間券でも料金はそれほど違わないのだが、4時間も滑る自信はなかった。

  

※ 私が本日滑ったコースは、センターAコースとオレンジコースです。

 まずは初滑りの最初ということで、山の中腹までの短いリフトに乗り、中斜面を滑ることにした。一本目とあってやや不安定ながらも、昔取った何とやらで難なく中斜面を滑り降りた。ホッとしたのも束の間、緩斜面に移ったところでアクシデントが発生した。曇り空だったこともあり斜面が良く見えていなかった。私の前に突然(といった感じで)大きなギャップが現れて、私は為す術なくもんどりうって転倒してしまった。以前ならシーズンの中で転倒など数えるほどしかなかったのに、いきなりの転倒はかなりのショックだった。

 態勢を立て直して再び滑り始めると、なんと一帯はスキー場が人工的に凹凸を造った斜面だったようだ。初滑りはスキー場の地形をよく観察せねばならないことを教えられた思いだった。そしてその中斜面でもう一本滑ってから、メインの山頂まで延びるメインリフトで上った。

 まだまだ降雪が十分ではないようで滑走可能なコースはオレンジコースだけで、そこも一部は土面が出ているところもあった。斜面もやや斜度がきつくなったので慎重に滑り降りることに徹した。とてもスピードを楽しむ余裕などなかった。その斜面を2本滑り終えたところで、私はある異変に気付いた。たった2本(先の中斜面を加えても4本)滑っただけで、肩で息をしているのに気付いたのだ。どうやら私の体力の限界が近づいている兆候だと悟った。

   

 無理はできない。それでもそれから休み休みなんとか2本を滑るのがやっとだった。2時間券をかなり残したまま今日の初滑りを終えた。

 最近はいろいろな場面で体力の衰えを自覚させられているが、本日の事態もかなりのショックである。さて、今シーズンは何度スキー場に向かう気力が湧いてくるだろうか??         


縄文人はSDGsの実践者だった?!

2021-12-20 13:46:33 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

 今年度「北海道・北東北縄文遺跡群」がユネスコの世界文化遺産に正式登録された。それを機に改めて縄文人の生活を振り返ってみたとき、SDGsの理念を具体化した生活ぶりだったという。どういうことなのか?話を伺った。

       

※ ポスターは今回のものとはテーマが違う。トヨタソーシャルフェスは全国展開しているようだ。

 昨日午後、「TOYOTA SOCIAL FES!2021」というイベントの一環として「北海道クリーンHOKKAIDOプロジェクト」と題するシンポジウムがZoomで配信され、それを受講することができた。

 シンポジウムのテーマは「縄文文化継承は究極のSDGs!? ~縄文人に学ぶサスティナブルな暮らし~」というものだった。

 シンポジウムに登場したのは次の方々だった。 ※敬称略 (  )内は肩書 

 ◇ 中山 卓也(俳優、世界遺産検定マイスター)

 ◇ 望月 昭秀(フリーペーパー「縄文ZINE」編集長)

 ◇ 藤岡みなみ(文筆家、ドキュメンタリー映画プロデューサー)

 ◇ 福田 裕二(函館市教育委員会学芸員)

    ◇ 永谷 幸人(伊達市教育委員会学芸員)

以上の登壇者を細田阿也フリーアナが司会を務めて進行された。

 席上、函館市教委の福田氏が縄文人の生活が「資源管理による持続可能な社会を実現する」という観点に立つと次のような特徴が見られるとした。〈 〉の数字はSDGsの17のゴールのどれに当たるかを示したものである。

 ◆ 環境適応と自然との共生 〈13〉 

 ◆ 長期間定住を営んだ大船遺跡 〈11〉

 ◆ 高い精神性:土偶 ~ 祈りの女神たち 〈3〉

 ◆ 生命を大切にする心 ~ 人を思いやる気持ち 〈2〉

 ◆ 縄文人の精神性 〈12〉

 ◆ 動物儀礼や供養を示すもの 〈12〉

 ◆「JOMON」は世界に誇る文化 〈10〉

 ゴールの指標には多少?な部分もあるが、それは素人の感覚で専門家の間では定着している考え方なのだろう。

 続いて伊達市教委の永谷氏が伊達市から発掘された「北黄金貝塚」について紹介された。永谷氏は「北黄金貝塚」は「暮らし」と「心」が分かる貝塚だとし、環境の変化に適応した(上手につきあった)暮らしをしていたことが良く分かる貝塚だと紹介された。そして「北黄金貝塚」から学べるSDGs的価値として〈11〉、〈12〉、〈14〉、〈15〉を挙げた。

   

※ シンポジウムに登壇した望月氏(左)と中山氏(右)です。

 その後、その他のお三方によるプレゼン、そして感想交流へと進んだが、こちらの方々はいずれも縄文文化応援団的な存在の方々で、諸氏の発言から何かを学ぶという視点に立った時、私の聴き方に問題があるせいか印象的な言葉を伺うことができなかった。ただ、藤岡氏が「北黄金貝塚」を訪れた経験があって、その際の印象として「愛されている貝塚」と表現されたことが印象的だった。実際に写真などを見た時に「これは一度行ってみたい貝塚だ!」と思わせてくれた。来年の道内旅行の候補として「北海道の縄文遺跡巡り」というのを考えてみたいと思った。

   

※ 藤岡氏が「北黄金貝塚」を訪れた時に写真が提示されました。

 “SDGs”、あるいは “サスティナブル” は今や時代のキーワードである。何もなかった縄文時代は人々が生き延びるために自然を上手く利用することが必須のことだったろう。時代は巡り、人間は自然から多くのものを収奪し、活用することによって便利で快適な生活を実現してきた。その結果として自然は今あらゆるものが枯渇寸前の状態になっているという。そして今、“SDGs”が、あるいは “サスティナブル” が叫ばれている。「北海道・北東北縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたのは必然のことだったのだろう…。


ホワイトイルミネーション & 札幌テレビ塔

2021-12-19 20:12:23 | イベント

 人は同じことを考えるのだなぁ…と考えさせられた今夕だった。大雪が降り、文字どおり “ホワイトイルミネーション” となった大通公園の光の芸術(?)をカメラに収めるべく出かけたのだが…。

         

 先日降った大雪で札幌市内は真っ白な雪に覆われた。大通公園のイルミネーションも文字どおりホワイトイルミネーション” となった。加えて、「さぁ!まわろうSAPPORO~見どころ施設無料化キャンペーン~」は今日が最終日だった。これは「ジャストタイミング!」と考え、サッカー天皇杯決勝戦の結果を見届けて私は大通公園に向かった。

   

 まずテレビ塔の展望台からホワイトイルミネーションを俯瞰しようとテレビ塔に向かった。ところが!テレビ塔に着いてみて驚いた。なんと長打の列が出来ているではないか!係のスタッフの話では「およそ1時間半待ちです」とのことだった。ガーン。人は同じことを考えるのだなぁ…。そこで、一瞬「帰ろうか?」とも思ったが、「せっかく出てきちゃったのだから…」と列の後ろについて辛抱強く待つことにした。こういう時はスマホの「Yahoo!ニュース」が待つ時間を忘れさせてくれる。大して苦痛を感ずることもなく待つことができ、地上90mの展望台に立ち、大通公園のホワイトイルミネーションを俯瞰する一枚を撮ることができた。

   

   

※ これは大通公園ではなく、テレビ塔から南側を見た一枚です。

 展望台の滞在時間は10分間程度。下りのエレベーターにも行列が出来ていたため、下りは前の老人ペアを真似して階段を降りた。

   

※ 階段を降りる私の前を降りる老人ペアです。

 テレビ塔を降り、今度は大通公園の1丁目から6丁目に設けられたホワイトイルミネーションを順次撮りながら家路を急いだ。

 それでは順に命名されたイルミネーションのテーマと共に写真を掲載します。安い機材と拙い腕ではこれが精いっぱいである。

◇大通1丁目会場 約束の「ラブツリー」

   

   

 ◇大通2丁目会場 クリスマスオブジェ「Gift of Snow

   

 ◇大通3丁目会場 花咲く「ブルーミング・ファウンテン」

   

   

 ◇大通4丁目会場 耀きの「ジュエリー・パレス」

   

   

 ◇大通5丁目会場 微笑みの「トゥインクル・ガーデン」

   

   

 ◇大通6丁目会場 煌めきの「フォレストサークル」

   

 会場はどこもけっこうな人出だった。(5・6丁目はやや寂しかったが)やはりホワイトイルミネーションとなり、その雰囲気を楽しもうとする人たちが多くなったということだろうか?

気になったのは、6会場ともに昨年と同じテーマ、同じイルミネーションだったことだ。見慣れた市民の側からすると、毎年少しづつ変化があればとも思うのだが、それはわがままな望みなのか?

 なお、「さっぽろホワイトイルミネーション」は大通会場だけではない。他に、駅前通会場、南一条通会場、北3条広場「アカプラ」会場、札幌駅南口広場会場と4ヵ所も他にある。機会があれば訪れてみたいと思っている。


映画 №334  クナシリ

2021-12-18 15:26:22 | 映画観賞・感想

 旧ソ連(現ベラルーシ)出身のウラジミール・コズロフ監督によるドキュメンタリー映画である。ナレーターも付けずに淡々とクナシリ(国後島)の現状を撮り続けるドキュメントは観る者にさまざまな思いを抱かせた。

  

 基本的に私はドキュメンタリー映像が好きである。事実を写し出すドキュメンタリーは、文芸のノンフィクションに通ずると思っているからだ。

 12月15日(水)午後、サツゲキにおいて標記映画を観賞した。この映画の存在を知ったのは、11月6日にサツゲキで「日高線と生きる」を観賞した際に、予告編でこの映画のことを知り「ぜひ観たい」と思っていた映画だった。

 映画はまずロシアの戦勝記念日(だと思うのだが…)の日にクナシリの中心地において日本軍が降伏した時の様子を島人たちが演ずるのを、島の人たちが見守っているシーンから始まる。それを観せられた時、この映画はやはりロシアのプロパガンダ映画だろうか?と思ったのだが、その後の展開を観るにつれてけっしてそうではないことを思い知らされた。

   

※ 映画の冒頭、島の人たちによって日本軍が降伏する様子を再現するパフォーマンスを島の人たちが見守るシーンから始まった。

 というのも、映像はクナシリの装った街中を写すのではなく、田舎の寂れた様子や戦争の残骸を見せたり、そこに暮らす老人や婦人に語らせたりするところを写し、クナシリの 裏も表も写し出そうとする監督の意思のようなものを感じさせた。

 老人はクナシリのインフラ整備の遅れを嘆き、日本の援助を望んでいるような口ぶりだった。また、初老の婦人は自らの生活の貧しさを語った。そして彼らは戦前に日本人と共に過ごしたころを懐かしがってもいた。

 彼らが住んでいるのはクナシリのどこらあたりなのか不明であるが、その光景は私が子ども時代に過ごした戦後間もなくの日本の田舎の光景を見ているようで、生活環境が整っていない現状を写し出していた。

    

※ クナシリのどこかは不明であるが、クナシリの現実を写し出した一つのシーンである。

 一方、クナシリを管轄する役所の役人は「クナシリを日本に返すことなど論外であり、       日本はクナシリをロシア(当時のソ連)に返上したのではないか」と明言した場面も写し出されていた。

 前述したようにドキュメンタリーでありながら、ナレーターは付けず、住民たちの言葉を挟みながら、クナシリの現状を淡々と写し出すことに終始した映像だった。

 北方四島の返還は日本の宿願であり、大きな外交問題である。しかし、戦後75年が経った今になっても問題は少しも進展していない。その間、ロシア国民が住み続け既成事実化が進んでいるのが現状である。

 非常に難しくデリケートな問題ではあるが、なんとか両国政府が歩み寄り平和的な解決策を見いだすことができないものかと思うのだが…。

 いつもは納沙布岬から国後島(クナシリ)を望む映像ばかり見せられるが、映画ではクナシリから知床連山を望む映像が新鮮に見えた…。

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものである。           


北の歴史を彩った人たち Ⅱ

2021-12-17 16:24:44 | 講演・講義・フォーラム等

 大友亀太郎が…、岩村通俊が…、榎本武揚が…、さらには知里幸恵が、と北海道の歴史の中で活躍した人、貢献した人、影響を与えた人が次々とノンフィクション作家・合田一道氏によって紹介され、興味深くお話を伺うことができた。

 道民カレッジの「ほっかいどう学」かでる講座の今年度第10回講座が12月15日(水)に開講された。今回の講座はタイトルどおり「北の歴史を彩った人達 2」と題して、ノンフィクション作家の合田一道氏が講師を務めた。タイトルに “2” と付いているように昨年に引き続きの講座だった。(私のタイトルは "人たち" と"Ⅱ" とちょっと変えてみたが…)

   

 今回合田氏が取り上げた人物は次のとおりである。①大友亀次郎、②吾妻謙、③岩村通俊、④桶野惠介、⑤中島三郎助親子、⑥榎本武揚、⑦永倉新八、⑧知里幸恵、⑨吉良平次郎、⑩高橋真、と実に10人にも及んだ。こんなに多くの人たちを取り上げると、わずか1時間の講演時間ではそれぞれの人たちのさわりの部分しかお話することはできなかったように思われた。それでも合田氏のお話は興味深いのだ。そう思える理由は何なんだろうか?と考えながら講演を聴いた。それは合田氏の豊富な知識がそうさせるのではないか、と思うのだ。つまり史実として明らかになっていることを軸にして、明らかになっていない部分は氏の豊富な知識を総動員し、作家らしい読みの深さでその辺りを埋めて私たちに語ってくれているからではないか、と私は考えたのだ。合田氏が歴史上の人物を語るとき、いつも人物像が見事に立ち上がってくることを憶えるのだ。

 紹介された全ての人物をレポすることは難しいので、中から知名度が低いと思われる三人の方を取り上げてレポすることにしたい。

 一人は「吾妻謙」である。彼は仙台の小藩・岩手山藩(藩主・伊達邦直)の家老だった。岩手山藩は仙台藩と共に戊辰戦争で朝敵となってしまったために、北海道開拓を余儀なくされ、吾妻謙は藩主邦直の思いに身を挺し率先して藩士たちを導き、現在の当別町の開拓に成功した人物である。その吾妻が村を治めるための規則である「邑則(ゆうそく)」の写しが提示された。その内容は、例えば「村の事務一切は衆議によって決定する」など今でいうところの民主的な手法を執っている内容であった。なおこうした吾妻を主人公にした映画「大地の侍」が昭和36(1956)年、東映によって制作された。その映画を私は今年7月に幸運にも観ることができた。

 二人目は「中島三郎助親子」である。中島は榎本武揚に従い軍艦開陽丸の機関長として箱館戦争に従軍するが、その際に妻への手紙で戦死の覚悟を書き綴り、文面には自らの墓の図まで書き表した文面の複写が提示された。結果は中島三郎助が予見したとおりに戦死した。

 三人目は「高橋真」である。高橋はアイヌ民族の末裔であり、北海道新聞の記者だったという。合田氏も北海道新聞の記者で、二人は釧路支社で机を並べたこともある間柄だったそうだ。その高橋は負けず嫌いの性格で、合田氏に対してもライバル心を隠さなかったという。やがて彼は北海道新聞の記者を辞し、ガリ版刷りの「アイヌ新聞」を発行し始めたそうだ。講座ではその新聞の写しが提示された。新聞は第11号となっているが、発行日が1947年1月31日となっている。ということは戦後まもなく発刊された新聞となる。合田氏は講演では触れなかったが、「アイヌ新聞記者 高橋真~反骨孤高の新聞人~」という著書を発刊している。その中で合田氏は高橋真氏のことを「アイヌの歴史と現状を訴える数々の評論も発表し続けた反骨のジャーナリスト」と紹介している。

   

 こうした話を10人にわたって紹介してくれるのだから、それはそれは興味深い1時間だった。合田氏のお話はこれまで10回以上は聴いているはずだが、いつ聴いても興味が尽きない。これからも機会あるごとに合田氏のお話を伺うことができれば、と思っている。


カーリングのストーンが曲がるのは石のせい?

2021-12-16 16:33:06 | 講演・講義・フォーラム等

 北京五輪の出場権をかけたカーリング世界選手権がクライマックスを迎えようとしている今、タイミングよくカーリングに関する一つの研究成果が発表された。これまでのカーリング界の常識を覆す新説とは?

 道民カレッジの大学インターネット講座に「カーリングのストーンが曲がるメカニズム~世界で初めてその要因を明らかにした研究~」と題する北見工大の亀田貴雄教授のお話がユーチューブで公開された。カーリング世界選手権大会が渦中の今、私は興味を抱いて亀田教授のお話を聴き入った。

    

※ 自説について説明する北見工大の亀田教授です。

 亀田教授が明らかにした「ストーンの曲がるメカニズム」の概要は次のとおりだ。

 カーリングのストーンの底には、氷面と接するランニングバンドという円環状の白い帯状の線がある。このランニングバンドはストーンを削ることでザラザラの面を作り出すそうだ。つまりランニングバンドの表面の粗さ加減によってストーン曲がり具合が変わってくる、ということを計測器などを使い科学的に明らかにした、ということなのだ。

      

※ ランニングバンドとは、左のストーンの底のところに円環状についた帯状の円のことです。

 亀田教授によると、これまでストーンが曲がることについて科学的に説明した科学者は皆無で、世界的には初めての発表だということだ。 これまでストーンが曲がるのはその日の氷の状態によって曲がり方が変わるというのがカーリング界では流布されてきた説だったという。亀田教授の説は発表から日が浅いこともあり、まだカーリング界では知っている人が少ないとも語っていた。

 カーリング界においてランニングバンドを作るのはカーリング場の責任者であるアイステクニシャンと呼ばれる方だそうだ。ということは、カーリング場ごとにランニングバンドの表面の粗さに違いがあるということになる。

 すると大会に出場する選手たちは、大会会場となるカーリング場の氷の状態と、ストーンのランニングバンドの表面の粗さのチェックが必要となってくるということになる。

 果たして亀田教授の新説はカーリング界において定説となり得るのだろうか?今後の動向が気になるところである。

 現状では昨夜強豪韓国に勝利したロコソラーレの吉田知那美選手(姉)がインタビューで「これからの戦いでも氷の変化を読み切り、全力で戦いたい」と述べていた。今のところ「ランニングバンド」に言及する選手は見当たらないようだが、これからはどうなっていくだろうか?

   

※ リサーブの石崎選手(真ん中)

 現在のところ5勝1敗と首位を走るロコソラーレは早ければ今夜にでも北京五輪出場が決定する。テレビの前で声援を送ろうと思っている。男子のコンサドーレはやや苦戦しているが、なんとか粘りを発揮して男女ともに五輪出場を果たしてもらいたいものである。


もっと知りたい!「ちゅうおうクイズラリー」

2021-12-15 16:59:24 | イベント

 どう考えてみても子ども向けの企画だと思われるのだが、いい歳をした大人が(いやオジィが)敢然とこのクイズラリーに挑んだ。“挑んだ” とは勇ましく聞こえるが何てことはない。中央区内の数か所を訪れるという他愛ないものだったのだが…。

 先日、広報さっぽろの12月号が配布され、そのなかの「ちゅうおう区民のページ」というところに「もっと知りたい!『ちゅうおうクイズラリー』開催」という記事が載っていた。

   

 暇を持て余している(?)ジジィは「どれどれ」と思いながら記事を眺めてみると、「区内の5つのクイズスポット(大倉山ジャンプ競技場円山動物園札幌市資料館札幌もいわ山ロープウェイ札幌市電)を巡り、クイズに挑戦しながら地域の魅力を再発見するイベントです」とあった。

   

 5つのスポットとも私にとっては何度も訪れたところであり、珍しくも何とも感じないところばかりである。ただ、そこにクイズが付加されたことでちょっと興味が沸いた。いつも暇なジジィにとっては暇つぶしなるかな?との思いから区の呼びかけに反応してみることにした。

 昨日、札幌市資料館、札幌市電、札幌もいわ山ロープウェイの順に回り、本日残った大倉山ジャンプ競技場と円山動物園を巡って歩いた。

   

 クイズの内容は難しくなく、それぞれの施設にはヒントカードも用意され小学生でも十分に答えられる内容であった。例えば「冬の札幌で活躍するササラ電車!この名前は、車両の前後に取り付けられたブラシで線路の雪を飛ばすことからつけられました。さて、ブラシは何でできているでしょうか?」という問いに、①動物の毛 ②竹 ③鉄 の3択から選ぶ方式だった。

   

私は早速答えを書いてメールで送信した。その際に、「参加した感想」を書く欄が必須事項としてあった。そこで私は次のように記入して送信した。

   

 「冬期間は戸外に出るのが億劫になりがちだが、こうした企画によって戸外へ出るキッカケとなり、健康づくりにも資する企画である。また、私は実現しなかったが、親子、あるいは孫と一緒に参加することによってコミュニケーションを図る絶好の機会ともなる」とこの企画を持ち上げたが、これからも違った形、内容での市民、区民が参加する企画が提供されることを望みたい。 


映画 №333  小川の辺(ほとり)

2021-12-14 15:38:28 | 映画観賞・感想

 藤沢周平原作の映画化である。藩主の農政に異議を申し立てた義兄弟を討て、という藩命を受けた戌井朔之介は葛藤しながらも藩命に逆らうことのできない下級武士の悲哀を描いた藤沢ワールドの神髄を描く映画である。

        

 私が所属する「めだかの学校」の時代劇映画観賞会「藤沢周平の世界」第3回観賞会が昨日13日(月)午後開催された。今回の上映作品「小川の辺」は藤沢周平短編集「闇の穴」に収録されていた同名の短編小説が原作である。映画は2011(平成23)年、篠原哲雄監督によって映画化されたものだ。

 海坂藩の下級武士である戌井朔之介(東山紀之)はある日藩の家老から呼び出しを受け、朔之介の妹・田鶴(菊池凛子)の夫である佐久間森衛(片岡愛之助)を討てとの命令を受ける。朔之介は一度は断るものの、藩命には逆らえぬとの家老の言葉には逆らえなかった。森衛は藩主の農政を糾すべく直言したことが藩主の逆鱗に触れ、さらに脱藩したことで海坂藩としては生かしてはおけない輩となっていたのだ。義理の弟を討つということに加え、朔之介を悩ませたのは田鶴が剣の名手であり、朔之介が森衛と相討つとなると田鶴が森衛に加勢して兄妹が修羅場を演ずることになりかねないことが朔之介を悩ませていた。

 朔之介は同行を願い出た若党の新蔵(勝地涼)と共に森衛を討つべく江戸方面へと旅立った。実はこの新蔵が意外に重要な役どころとしてこの物語は回っていくのだが、粗筋紹介が本ブログの趣旨ではないので、この後は映画、または原作にあたっていただきたい。

   

※ 田鶴と新蔵は実は幼馴染だった……。

 さて、主演を務めた東山紀之であるが、彼のストイックな生き方、そして憂いをたたえた彼の表情はまさにはまり役と思えた。そして意外だったのは新蔵役を演じた勝地涼である。難しい役柄を演ずるに十分に演技力だったと私は見た。さらに意外だったのは、観賞後の話し合いである参加者が、この映画を海外で公開した際に田鶴役の菊池凛子が絶賛を浴びたという話が出たことだ。勝気な表情の菊池凛子は兄にさえ立ち向かっていくという役柄にぴったりとは思えたが、映画の中でそれほど登場場面も多くはなかったのに、絶賛を浴びたということが私には解せなかった。

 そもそも海外において、藩命に逆らえず義兄弟といえども果し合いをせねばならないというシチュエーションを理解することができたのだろうか、という疑問が私の中にはあったのだが…。案外、外国の社会においてもそうしたことはあり得た話なのかもしれない…。

        

 これで「めだかの学校」では、「武士の一分」(木村拓哉)、「たそがれ清兵衛」(真田正之)、そして今回の「小川の辺」(東山紀之)と三者三様の海坂藩の下級武士を観てきたのだが、それぞれが持ち味を出した下級武士を演じてくれて興味深かった。次回は山田洋次監督の「隠し剣鬼の爪」(永瀬正敏)の鑑賞予定である。山田洋次と永瀬正敏がどんな藤沢ワールドを見せてくれるのか?今から楽しみである。 

※ 今回掲載の写真は全てウェブ上から拝借したものです。                   


札幌市民ギャラリー ウィンターコンサート

2021-12-13 16:43:51 | ステージ & エンターテイメント

 声楽の良さを感得できない自分なのだが、ソプラノコンサートに足を運んだ。市民ギャラリー展示室の高い天井に響き渡るソプラノの歌声は、研鑽を積んだからこその美声なのだと納得した思いだった…。

   

※ 会場となった札幌市民ギャラリーの第一展示室です。

 一昨日(12月11日)は、「札響の第九」だけではなく、その前に市民ギャラリーでのウィンターコンサートも楽しんだ私だった。

 午後2時からのコンサートは無料だったこともあり、およそ200名の聴衆が列を作って入場を待った。会場はふだんは絵画作品などが展示される天井の高い第1展示室だった。

 この日のゲストはソプラノの月下愛美さん、ピアノの小板橋沙里さんのペアだった。二人ともまだ若く、演奏家としては今が伸び盛り(?)という年代に見えた。

        

※ ソプラノの月下愛美さん。

 演奏された曲は次のとおり。

 ◇おんがく(作者不明)

 ◇かやの木山の/山田耕筰

 ◇吹けよ、吹け、冬の風よ/イギリス歌曲 シェイクスピア詞

 ◇月の光/C.ドビュッシー   ※ ピアノソロ

 ◇ピエ・イエズ/クリスマス曲

 ◇歌劇《リゴレット》より “慕わしい人の名は” /G.ヴェルディ

 ◇花のワルツ/チャイコフスキー   ※ ピアノソロ

 ◇ペチカ/山田耕筰

 ◇オペレッタ《こうもり》より “公爵様、あなたのようなお方は” /J.シュトラウス

〈アンコール〉

 ◇きよしこの夜

     

※ ピアノの小板橋沙里さん。

 ゲストの二人はまだ若いと書いたが、見方によっては脂が乗ってきた年代と言えるかもしれない。二人ともコロナ禍で制限されてはいるが、精力的にコンサート活動を展開しているようである。特に月下さんの張りのある声は自信に満ちた素晴らしいものだった。ヨハン・シュトラウスの最後の曲は特に聴き応え十分だった。

 声楽の有料コンサートにはなかなか足が向かない私であるが、来年は思い直して足を運んでみようかな?とも考えた…。


札響の第九 VⅢ

2021-12-12 19:52:19 | ステージ & エンターテイメント

 今年も「第九」の季節がやってきた。今回で連続13回目の鑑賞である。今年もまたいつものメンバーで「札響の第九」を楽しみ、そしてその後に静かに細やかに4人での忘年会を楽しんだのだった…。

        

 今年の「札響の第九」は昨日(12/11)と今日(12/12)の2日日程であったが、私たちは昨夕17時からの部を選んだ。陽が落ちるのがすっかり早くなった。私が会場のKitaraに着いたのは16時半前だったのだが、辺りはすっかり黄昏れてKitaraの前のイルミネーションやKitaraの屋内の照明が鮮やかだった。

 今年もまた札響会員のN氏の手を煩わせて最安値(3,000円)のチケットを手配していただいた。このところ2年続けて都合で来られなかったH氏も復帰して、久しぶりに4人揃っての鑑賞となった。座席は ちょうどステージを横から眺めるRA席だったが、これが思わぬ幸運(?)をもたらしてくれた。

 コンサートはまず第九の前にJ.C.バッハ作曲の「シンフォニア 二長調」という約12分の小曲が披露された。私にとってこの曲は聞き慣れない曲であったが、全体に優しく穏やかな感じの曲だった。この曲はおそらくこの日の指揮者の広上淳一氏が選定されたと思われるのだが、広上氏にとてもマッチした曲のように思えた。というのも、広上氏の指揮ぶりはたいへん特長があり、非常に軽やかであり表情も豊かなのが特長である。その広上氏がビオラやコントラバスの音が気になるのか、絶えず私たちの席の方に顔を向けて指揮をされるのだ。だから私たちは広上氏の指揮ぶりだけでなく、顔の表情までも絶えず視野に入れながら聴くことができた。広上氏は親指を立ててgoodサインを送ったり、満足そうに頷いたり、本当に広上氏の表情を見ているだけでも楽しかった。

 さて、本番のベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』」である。こちらは約65分の長丁場で4楽章に分かれている。私は13回目にして今さらながらだが、各楽章ごとの特徴を聴き分けてみようと思った。あるいは私の聴き方が間違っているかもしれないが、私は次のように聴いた。

 第1楽章~起伏はあるものの打楽器が多用され、力強い印象が残った楽章だった。

 第2楽章~全体に静かな印象に終始した楽章だった。

 第3楽章~この楽章も終始穏やかな感じで、爆発するのをぐっと抑えている感じだった。

 第4楽章~いきなり打楽器を中心とした重厚な出だしで、そこから徐々に徐々に盛り上がっていき、最後に抑えていたものを爆発させるようなエネルギーに満ちた大合唱が繰り広げられてフィナーレを迎える。

 そんな感じに私は聴いたが、はたしてどうなのだろうか?いずれにしても、最後の大合唱が会場に満ち溢れてフィナーレを迎え、会場内が大拍手に包まれると、演奏者たちも観客も一年のフィナーレを迎えたという気分に満ちているようだった。もちろん私も。

 高揚した気分でKitaraを後にした私たちは、Kitaraからほど近いホテルのレストランで忘年会と名の付くほどでもない忘年の宴を持った。ところがレストランがコロナ感染対策のために一人一人をアクリル板で囲むようにテーブルをセットしているためになかなか話が弾まないのだ。その上、私たちも加齢とともにアルコールを遠ざけるようになったために冷静さを失わないこともあって今一つ盛り上がらなかった。こんなところが我々世代の 宴会なのかもしれない。ちょっと複雑な思いを抱きながら家路に就いた私たちだった…。