今年も残り少なくなってきた。今日札幌市街の中心部に出かける用件があった。妻から「来年のカレンダーを購入してきてほしい」と要請があり、あれこれと迷った末に購入を決めたのだが…。
※ 迷った末に私が購入を決めたカレンダーです。
我が家ではここ十数年来リビングに掲げるカレンダーは数字だけの月めくりのカレンダーと決めている。来年も同様のものをと考えて文具店に向かった。私は数年前に購入した濃い目のブラウンの地に黒い数字を配したのがお気に入りだった。ところが目ざした文具店ではそれらしきものが見当たらなかった。そこで周辺の主だった書店を巡ってみたのだが、どこにも私のお気に入りのものは見当たらなかった。「なぁ~んであんなセンスの良いカレンダーが見当たらないのだろう?」と私は呟いていたのだが、私だけがそう思っているということか???
仕方がない。そこで本年と同様に白地に黒い数字を配したものにしようと、最初の文具店に戻ったのだが、どうも数字の細さが気になって購入の決心がつかない。リビングで遠くからカレンダーを眺めた時に衰えた眼では数字が霞んで見えるのではないか、と…。
迷った末に決めたのはややダサいかもしれないが、数字が太く大きなものにすることにした。この歳になるとやはりオシャレより実用性重視ということになりますかなぁ…。
※ 令和4(2022)年の年賀状です。
年の瀬となるともう一つ気になるのが年賀状である。年賀状不要論も声高に語られるようになってきたが、やはりこの歳になると年来の風習を簡単には捨てられない。年賀状を書き送る先は徐々に減りつつあるものの、古くからの友人、あるいは現職時代に親しくお付き合いいただいた先輩、同輩、後輩、等々、そして親戚縁者などに年に一度の挨拶は欠かせないと思っている。
この年賀状にも私流儀がある。それは私たちの近況をお伝えする文面を書き添えることである。だから私の毎年の年賀状は小さなカット以外は文面で埋め尽くされることが多い。例えば今年の場合、次のような文面を添えた年賀状だった。
「昨年は私たちにとって未だ体験したことのない未曽有の大変な一年でした。少しオーバーに言えば、人類がこれまで営々と築き上げてきた文明に対して何者かが逆襲してきたかのような一年でした。災禍はまだ収まる気配をみせていませんが、私は信じたいと思います。文明は必ずやこの災禍を乗り越えてくれると…。そしてその暁にはここ心の底から『あけましておめでとうございます!』とお祝い申し上げようと思います。と同時に地球や地球に棲む生物たちに多大な負荷をかけ続けてきた文明に対する謙虚な反省も必要なのではと考えた2021(令和3)年の新年でした。 皆さまにとりまして幸多い一年でありますことをアマビエと共にお祈りいたします」
という文章をしたため、アマビエのカットとともに送付しました。
今年の文面は私たちの近況からはやや離れてしまったが、これから書き起こす来年のものは元のように軌道修正をした文面にしたいと思っているが、まだ思案中である。できれば新年明けた時には当ブログ上でも公開したいと思っているが、はたしてどのような文面となるだろうか?
※ 三越百貨店札幌店の前にはライオン像にサンタの衣装を着せていました。