鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

沖縄 慰霊の日

2009-06-23 22:28:15 | お知らせ

 今日の暑さは一体何なのだ。フェーン現象により、仙台も真夏日、最高気温が30度を超えました。今週はずーと暑い日が続くようです。水温も上昇するでしょう。 あとは水量も増えて欲しいところです。 

 

 今日6月23日は沖縄の慰霊の日。沖縄戦での組織的な戦闘行為が終了した日。 今日の日は日本人として、決して忘れてはならない日でしょう。

 仕事の帰り、本屋により今日発売の岩波新書を数冊購入したあと、ハードカバーの本を見ていたら、写真の本が目に飛び込んできました。いわば買ってくれと言わんばかりに。

 650ページを超える大部な本です。本を買うときは必ず、「はじめに」と「おわりに」に目を通すことにしています。買うか買わないかの判断基準にしていますが、「はじめに」を読んでいて、これはおもしろい、読む価値があるかなと思いました。

 『沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが”被害者意識”に隈取られた”大文字”言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぼえる。

 沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の「沖縄ノート」に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。

 ・・・・略・・・・

 だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。

 沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を一九四五年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。  以下略 』

 私も大江健三郎の「沖縄ノート」は読んでいたし、その前かな、中野好夫の「沖縄戦後20年」というやはり岩波新書を読んでいてとっても感銘を受けたものです。 私も沖縄県民を知らず知らずのうちに神聖化していたようなところがあったようです。

 その後10年前か、夫婦で沖縄に行ってきて、レンタカーで北から南まで回ってきました。そこで沖縄の人々の生活に接し、日々の生活に一喜一憂しているところを見てきて、やはり同じ日本人だなと感じたわけですが、でも一番痛切に感じたのは、改めて沖縄本島における米軍基地の大きさ、その占める割合の巨大さでした。レンタカーにはカーナビがついていたので、今どこを走っているか、どこに米軍基地があるか分かるわけです。これはあまりにひどすぎると痛烈に感じました。

 その後も沖縄の米軍基地を巡ってはいろいろな動きがあり、現在に至っているわけですが、状況はいい方向に向かっているのではなく、逆に悪い方向に行っているとしか思われません。

 その意味でも、これ以上沖縄の状況を悪くしないためにも、自公政権を今度の総選挙では打倒しなければならないと考えます。

     

 写真の上が表紙、下が裏表紙です。

         

 

 (おまけ)

 今日沖縄に行った阿呆太郎は、またもややってくれたようです。いい間違い、勘違いを。当時の沖縄の守備軍としては、陸軍は牛島満中将、海軍は大田実少将ですが、ともに「大将」と言ったようです。自決後は、大将と中将にはなりましたが。 そして書籍「鉄の暴風」を「鉄の嵐」と言ったとか。いかにも阿呆そのものです。(その前にオバマをブッシュと言ったのには呆れてしまいましたが)

 こんな奴が総理大臣というのですから、本当に情けない限りです。


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