鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

4年1ヶ月

2015-04-11 16:31:44 | 思いつくまま

 きのうのナイターを観戦した観客の皆さん、選手のみなさん、そして審判団、雨の中しかもかなり寒い中の試合、お疲れ様でした。

        (午前11時過ぎ)

 

 こちらはこたつに入って暖かくして見ていたのですが、それでも寒さが伝わってきました。気温も5度を下っている中での対戦、選手はまだしもポンチョを羽織って観戦している観客の辛抱強さには脱帽です。 それがファンというものでしょうか。

          

 選手の吐く息の白いこと、しかも真冬のように長く白い息です。線審の人は手袋もしていました。監督もウインドブレーカーを着て手袋をしていたかな。 何とも酷な試合でした。どちらが勝っても負けてもいいという思いで見ていました。

 

 まあ東北楽天が勝ってくれて、なおのこと嬉しかったですが、それなのにああそれなのにきょうはエースの則本が投げているのに1-3で負けています。則本は素晴らしい投球をするのですが、時折甘い球が行ってしまったりして得点されてしまいました。

  

 いまどき3点取られたくらいでは投手を攻めることはできません。 やはり問題は 打線 です。 打ってくれなきゃ、打って点を取ってくれなきゃ 勝てません。 投手は予想以上に素晴らしい投球をしてくれています。 あとは打線、打線のみ!

  

 ラジオによると9回の表を終わって、いよいよ楽天の最後の攻撃です。

 

 早いですね、4月ももう中旬です。 そしてあの日からきょうで4年1ヶ月となります。

 東京電力福島第一原発では、1号機原子炉格納容器でロボットを使った状況調査をようやく始めましたが、肝心のロボットは途中で止まってしまいました。 何ともお粗末な限りです。溶け落ちている核燃料がどうなっているかも把握していない状態で、原発の再稼働に向けてやみくもに突き進む独裁政権、再稼働や輸出も熱心だそうで、その神経が信じられません。

   

 (今サンチェスがツーランホームランを打ちました。 ということは3-3の同点ということです。もしかして勝つかも・・・。ペーニャにホームランがでないからなあ)

 何でも原発を廃止しようとしても、日本だけでは出来ないそうです。アメリカの了解がなければどうにも手の施しようがないとのことらしいです。

        

 きょうの朝日新聞の娯楽・批評欄の「終わりと始まり」で、池澤夏樹さんが『主権回復のために』と題して興味深いことを述べていました。 原発について言えば、『ドイツにならって原発を廃止しようと思っても、日米原子力協定のもとではその権限が日本にはない。』とのこと。

 他にもここまで書いていいのかと心配になるくらいのことも書いています。

 『安倍政権の問題点は集団的自衛権に見るとおり、ひたすらアメリカ追従に邁進するところだ。ナショナリストと見える彼らは実はアメリカ二ストである。強い日本は強いアメリカの属国を目指す。』

  

 『辺野古に基地を造らせないと沖縄県民が言っても、アメリカが造ると言えば日本政府には反論の権限がない。彼らは空疎な発言を「粛々と」繰り返して暴力的に建設を進めるしかない。』

 『事実上、日米安保条約は日本国憲法の上位にある。行政の頂点には日米合同委員会がある。つまり、この国はおよそ主権国家の体を成していない。』

          

 『日本は今でも国連=戦勝国連合にとっては「敵国」のままだ。・・・。我々は今もって敗戦国なのであり、条約と法律の体系はそれを反映している。国家主権を確立した独立国ではないのだ。』

  

 つまり安倍独裁政権は、強気の姿勢を内外に示していますが、なんのことはないアメリカの傀儡政権といっても言い過ぎではないのです。これが日本の悲しい現実です。

 

 

 話しは飛びますが、9日ですか南三陸町の防災庁舎をどうするか県知事と犠牲者の家族との意見交換会が開かれました。 遺族からは解体と保存の意見が出されましたが、もう少し時間をかけて議論すべきだという意見もだされたということです。

      

 河北新報の記事を読んでわかったのですが、この意見交換会は非公開で開かれたとのこと。なんで非公開にするのか、話し合った内容が知れ渡るのが不都合なのか、私には理解できかねます。

 

 もう今は防災庁舎の問題は、遺族だけの問題ではなくなっているのです。 町民全体の、さらには町民以外の人の意見も幅広く聞いて、今後どうするか決定すべきです。 少なくとも県民全体で考えて対応すべき問題です。

 私個人としては、今や南三陸町防災庁舎は4年1ヶ月前の大津波の恐ろしさ、現津波の実を後世に伝えていくべき記念碑として保存していくべきものと考えます。

                

 防災庁舎の周辺を慰霊碑のある公園として整備していくべきものと思います。 それこそが突然のまったく思いもよらなかった大津波で命を落としてしまった被害者の供養にもなることと思います。 悲しみは共有すべきです。そして忘れないようにしていくことが大切です。

  

 幅広くいろんな人の意見を聞いて決めるべき大きな問題と思いますので、その意味でも今は宮城県が示した2031年までの県有化という考えに賛成します。 絶対に南三陸町の被害者遺族だけで決定するということはやめて欲しいです。 将来を見据えて対応を考えていこうじゃないですか。


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