鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

5年と1ヶ月

2016-04-11 15:00:09 | 思いつくまま

 きょうの天気は何かとっても変なものです。 

              (午前9時10分頃)

   

 今丁度午後3時ですか、陽射しがありますが、風は強いです。 早朝は割と強い感じの雨でした。雨音で目が覚めた(夜のオシッコもあるのです、悲しいかな)くらいですから。

 

 (ハングライダーみたいな凧揚げをしてる人がいました。風はあってもうまく風に乗って高く上がることは困難なようすでした。)

                 

 雨の中の立哨は嫌だなあ、何とか止んでくれないものか、それでなくてもきょうとあすは冬逆戻りの天気と言っているし、・・・・。 その願いが叶ったのでしょうか、朝になると雨は止んでくれました。

              

 時折陽は差すものの、風があり日陰になると空気の冷たいこと。オーバーコートが、ネックウオーマーが欲しいくらいでした。 「うまくいかない」ものです。

  

 そういえばラジオで言っていました、平年ならきょうが桜の開花日だそうです。今年の開花日は4月1日、満開の日は6日でした。異常に早いことを物語っています。

        

 

 午後から私立の小学校の入学式に出てきました。42人というこじんまりとした入学式でしたが、ひとり一人の顔や姿は何とも個性的で、可愛いものです。 身長差がすごいですねこの年齢ですと。3月生まれの子どもはどうしても小柄です。 名前を呼ばれるとひとりひとり元気にハイ!と返事をしていました。 

 児童会を代表して歓迎のあいさつをした6年生、いやあ実に堂々とした立派なものでした。どうしても60年近く前の自分に置き換えて比較してしまいますが、私にはとてもここまで天晴な歓迎の言葉を言うことはできなかったでしょう。 

 何にしても満開の桜が迎えてくれた小学校の入学式、いい思い出になる事でしょう。

                 

  (分流と桜のコラボはいつまで見られるのでしょうか)

        

  

 今の「ところうまくいっている」のは、東北楽天くらいなものです。 釜田投手、やりましたね! 粘りの投球で、得点を与えませんでした。 今シーズンは調子はいいのですが、釜田投手が投げる時に打線が打ってくれなかった。

              

                (広瀬川本流のカモの番?)

 きのうも打線が好調とまでは行きませんでしたが、1点を守り切ったというのはすごいことです。1点差でのゲームを勝か負けるか、この差はとても大きいものです。

   

 1点差のゲームでも苦労しながら何とか勝ちに持って行ける、こういう試合が続いて それを克服して行ければ、もう強さは本物です。

               

 心配の種は中継ぎの投手陣ですね。中継ぎにもっとシャキッとした投手が出てくれれば攻守ともに万全なのですが、・・・・。

 

 きょうは4月11日です。1か月前のマスコミの賑わいが全く嘘のような、東日本大震災はわすれられている(かの)ようです。 G7外相会議の方が大きなニュースになりますからね。ましてや会議の場所がヒロシマとなれば、ますます会議の重要さに重みが増します。

 正直に言えば私もついつい今日という日(11日という月命日)を忘れがちになってしまいます。頭がはっきりしている間は、極力忘れることの無いようにしようと固く自分に誓ったはずなのですが。

 3月12日以降を振り返ってみますと、何といっても石巻市の 『大川小学校の保存』と『門脇小学校の一部保存』 を石巻の亀山市長が結論を出したということが一番大きい出来事だと思います。南三陸町の旧防災庁舎の20年の県有化ということに続いてよかったなとホッとしています。

 5年前ですか、亀山市長は大川小学校の遺族に責任を追及されてついつい言ってしまったことがありました。確か「未曾有の津波であり、想定外で仕方がなかった」といったと記憶しています。その軽々しい発言でずいぶんと追及されたと思います。そういう苦い経験があるから、いろいろあったけど”保存”に傾いたのかななんて天邪鬼な私は勘繰ったりもして、・・・。

 記者会見をしたのは3月26日ですか。 その前に地元の新聞河北新報では「石巻・震災遺構を考える」と題した連載記事を掲載していました。3月14日から22日までの9回シリーズですが、なかなかにいい記事だと思います。タイムリーでもありましたし。

                  (大川小学校全景)

         

 大川小学校の保存とかについては私も何回も書いています。大川小学校の状況も写真で何回もお知らせしています。そういうこともあって改めては書きませんので、過去のこのブログ記事を改めて読んでいただけましたらありがたいです。

 (主な記事一覧)

 2011年10月27日・28日 とくに27日のコメント欄もご覧になっていただけたらありがたいです。

 2012年3月21日・22日 、 7月11日

 2013年8月18日 、 10月11日・12日・14日・2日

 2014年3月12日 、 11月11日

 一つだけどうしても言いたいことがあります。前にも行っていますが、事の重大さから言ってどうしても真相究明のためには、生き残った教員の事情聴取が必要だといことです。 大震災当時学校にいなかった校長の責任をいくら追求しても、真相究明には直接には結びつきません。

 生き残った児童と教員のあの日の50分間の出来事、それが事実の究明には絶対的に欠かせないことだと今でも思っています。当該教員にとっては精神的にも肉体的にも非常に辛いことでしょうか、一度に84人もの人たちが亡くなっているという思い思い事実があります。その事実の前には自分の全存在をかけてでも教員としての使命を全うされるように切に願うものですが、厳しすぎるでしょうか。

 大切な子どもを亡くした親からしてみれば、なんとしても生き残った教員の真実の声を聞きたいと思うことでしょう。

 今大川小学校を巡る訴訟が提起されています。4月8日に仙台地裁で当時の校長の証人尋問がありましたが、「想定していなかった」とか「思っていません」、「考えていなかった」とかいってるようです。遺族も『あの校長に子どもの命を預けたことが残念だ』とまで言っているようです。

 9日の河北新報の記事では、『生き残った男性教諭への尋問は、全員の尋問を終えた後に必要性を判断する』と書いてありました。 でも『必要性』の判断をするというのなら、誰が考えても「必要性はある」となるのではなでしょうか。 それしかない!となぜ言えないのか、そこが不思議です。 必要性がないと判断するという判断自体が私にはきわめて不合理なことに映ります。

 亡くなった児童74人はあの日から桜とは全く縁のない世界へ突然連れて行かれてしまいました。                                         合掌

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする