鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

雲ひとつない快晴で、

2018-06-02 16:40:34 | 思いつくまま

    (これはきのうの夕方です)

   

 (以下きょうの撮影)

   

                 (午前9時20分過ぎ)

 

              (インカならぬヒロセの謎の地上絵?)

 今日の気温の展開はきのうとほとんど同じのようです。 朝7時で17.2度、お昼が21.4度、午後2時は21.5度で3時は22.5度となっています。

              

 

 あさから快晴で、午前9時過ぎには雲一つありませんでした。まあすごいです、空は真っ青で、地上は緑一色。まだウグイスの鳴き声が少し聞かれますし、分流の脇を歩けばカジカガエルが出迎えてくれます。

 

            

 だれもいない河原を一人で歩く、ひとり占めです。何という贅沢なことでしょうか。できたらもう少し広瀬川の水量が増えてくれたらありがたいのですが、そこはそうニンゲンの勝手には行きません。

 

 でも水量の少ない分流で、小魚の群れを見ることができましたし、それで良しとしましょうか。そうそうきのうきょうとカモの姿も見ているし、きょうは分流で、上流域にいる私に向かって、下流側からカモが1羽飛んできてくれました。

  

             

 

  (分流下流から泳いでくるのです。)

         

 

 そうそうきのうの天声人語は、6月1日は徳島県の坂東収容所にいた捕虜となったドイツ兵たちが、日本で初めてベートーベンの第9を演奏した日だと書いていました。

 前に紹介したことのある、マンフレッド・クラメス著「交響曲『第九』の秘密」という題名のPLUS新書にも詳しくその当時のことが書かれています。

 

 (この不思議な迫力のある花はきのう撮影です。場所は知事公館近くのマンションの植栽です。)

 1917年頃の坂東捕虜収容所には、すでにドイツ人によって吟遊楽団、吹奏楽団、マンドリン楽団、徳島交響楽団、弦楽器協会の5つの楽団が結成されていたそうです。1000人の捕虜たちの中には様々な能力、教養を持った人たちがいたそうです。

                   

 1917年12月に開催された「第1回室内楽の夕べ」ではハイドン、モーツァルトの曲のほかにベートーベンのピアノソナタやバイオリンソナタも演奏されました。 その後はべートーベンの交響曲第4、第5も好演していたそうです。

  

 そしていよいよ第九の演奏となるのですが、しかし合唱にはソプラノ、アルトという女性のパートがあるため、男性の声域に合わせた楽譜が必要となり、それは手書きで書かれたそうです。パウル・エンゲルというバイオリ二ストが大活躍したそうです。

                     

 不肖私も丸5年間第九に浸った経験から言わせてもらえば、第九合唱においてはソプラノパートはなくてはならない重要なパートで、しかも高音も高音が続くところもあるのです。 でも男性パートであるテノールもかなり高い音を出さなければならないのです、(自己弁護?)

 

 楽器も地元の青年たちの協力によって制作したそうです。 そして第九の演奏ですが、1918年6月1日に合唱団と40人のオーケストラによって第九全曲が演奏されました。 日本の地で初めての披露ということです。

 (本流の大岩の上のかも)

 この初演の観客数は定かではないようですが、収容所内の日本人関係者も観覧できたようですし、この日50人の日本人の教師が、運動競技をみるために訪問していたので、「きっとコンサートも楽しんだに違いありません。」(と著者は言っています。)

 

                 

 


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