今日も昨日と同じくらいの天気となってます。
(午前9時35分頃)
あした成人の日ですか。きょうとあす成人する娘さんをお持ちの親御さんは、もちろん本人も、何かと準備とくに美容院関係では何かと大変かなとお察し申し上げます。天気が良ければいいですね、寒くても雪もなくて風もない一日であってほしいですね。
あすの街中では何人の着物姿の娘さん方に合えるか、楽しみにしています。
一昨日紹介した通販生活から、とってもいい記事を紹介させていただきます。
通販生活2019春号No267から;
岸見一郎(哲学者 以下Kと略)と永 千絵(父は永六輔 映画エッセイスト 以下Eと略)の介護対談で、「親子だからできること、親子だから難しいこと」です。
ともに実の父親の介護体験を通しての“介護が心にもたらす効果”を話しています。
私も過去において父の姉、父更に母と3人の介護や入院を体験しました。この対談を読みながら昔のことをあれこれ思い出したり、後悔したりしましたが、今現在介護をしている方にとってもなにがしかの役に立つのではないかと思いまして、二人の対談からなるほどなとか、はっとしたような発言を抜き書きしてみました。引用をご了承ください。
E:やらなきゃいけないことなら、どう楽しくやるかを考える
K :楽しい時間を共有する、今日を今日という日のためだけに生きる、と考えられるようになったのが介護で倒れなかった理由の一つ
(蠟梅です)
K:命がかかっていますから、介護は真剣に取り組まないといけない。しかし、深刻になってはいけない。“真剣”と“深刻”は違うのです
K:「貢献感」をほかの人に分けてもいいと思うのです。貢献感とは、自分がすることがだれかに貢献していると感じられる気持ちです。貢献感を持てると、承認欲求から解放されて楽になりますしね
K:「介護することで、親に貢献しているのだ」と思えば、自分で自分の価値を認められます。・・・。この喜びを独り占めしないで、ほかの人に分けてもいいではありませんか
E:(紙パンツを)父に勧める前に自分で試してみるべきだった
K:何かをしなくては、と思わなくていい。ただ一緒に過ごすのだって介護です。同様に、介護される側の親も、そこにいてくれるだけで、価値がある。・・・。生きていることが、そのまま価値があることだと、私たち知らないといけない
K:私も生き永らえたことで、家族や友人に貢献していると思っていいのだと思いました。私を看病するという貢献感を彼ら(家族や友人)が持つことに、私は貢献しているのだと
E:親は介護されることで、私たちが貢献感を持つことに貢献しているということ
K:ですから、感謝しないと。そう思えたら、深刻にならずに済みます
K:介護施設に入れるというと、子どものほうが罪悪感を持ってしまうことがありますが、そんな必要はないと思います。介護で発言権があるのは、主たる介護者だけです。親本人でもないかもしれない
K:親に代わって判断するとき、子どもはどちら(胃瘻とか延命治療はどうするか等)を選んでも後悔します。でも、子どもがした判断を親は決して責めないはずです
K:介護をするとき、不完全であってもいいのです。介護は後悔の集大成のようなものです。完全な介護などだれもできません
K:でも、楽しかったことにもっと注目して、不完全であることの勇気を持たないといけない
K:今後、私たちが介護される側になったときにも、いい親になろうと思わなくていいのです。子育ても、手のかかる子ほどかわいいと言うでしょ?ですから私たちも、手こずらせる親にならなくては。